名古屋正教会

Nagoya Orthodox Church

十字架挙栄祭の聖像

(V・ロスキー著「聖像の意味」より。小見出し訳者付加。)

真の十字架の発見――献堂祭と挙栄祭
 聖大金曜日はさておき、十字架の主題は一年を通して週間奉事で毎水曜日と金曜日にいつも繰り返されます。さらに、「十字架叩拝(大斎第三主日)」、「十字架の出行祭(8/14)」、そして西方でも9月27(新暦では14)日に祝う「十字架挙栄」と、正教会では主の十字架に三つの特別な記念祭(日)を献じています。

 十字架挙栄祭は、パレスチナに端を発しました。コンスタンチン帝がエルサレムに建立した復活聖堂献堂を記念する為制定した「聖堂成聖(献堂)記念祭」は、早くから真の十字架発見の記念と関連付けられました。335年に催された成聖式の記録で、エウセビイ(エウセビオス)は十字架の発見に何ら言及していません。しかし、347年にはエルサレムの聖キリルが、「既に全宇宙は十字架の木の断片により満たされている」と述べています。よって、十字架の発見はおそらく成聖の少し後、340年頃にあったと思われます。

 エデッサの伝承は、ティベリウスの治世副帝クラウディウスの妻プロティニキアに十字架の発見を帰そうとしました。しかし、コンスタンチン帝の母聖エレナが十字架を発見したというより信頼できる話は、四世紀末には広く受け入れられていました。

 395年には、ゴルゴファの丘の真下で皇太后エレナが3本の十字架を発見したこと、真ん中で見つかり罪状札が付いていたことからハリストスの十字架が確認されたと、聖金口イオアンが述べています。5世紀初頭には、聖エレナとエルサレムの(総)主教聖マカリイにより認められた真の十字架による奇蹟について幾人かが言及しています。400年頃エルサレムへの旅行について記したアエゼリアは、「丁度その日に主の十字架が発見されたので」聖堂成聖記念祭は大変荘厳にお祝いされたと述べています。

 十字架の祭は、すぐほぼ完全に聖堂成聖記念祭を凌ぐようになりました。6世紀には、9月27日に聖堂成聖と尊き十字架挙栄を祝う恒例の祭について修道士アレクサンドルが言及しています。聖人暦の10世紀末の写本は、335年聖堂成聖の翌日に初めて聖なる木を目の当たりにすることが民衆に許され、「主憐れめよ」という信者の声に向け高所に立つ主教品が十字架を挙げたと記しています。これは、十字架発見の時からエルサレムで常に行われて来たに違いない「挙栄」の儀礼に関する叙述です。

 コンスタンチノープルでは、614年9月27日に初めてこの儀礼が行われました。イラクリイ(ヘラクリオス)3世帝がペルシャ人達から奪還した十字架は、628年帝国の首都に凱旋し戻されました。最後に首都へ持って来られたのは633年のことで、その時は、セルギイ総主教がその十字架を持ってブラケルネスから聖ソフィヤ大聖堂まで十字行を行い、大聖堂で極めて荘厳に挙栄の儀礼が執行されました。コンスタンチノープルからキリスト教世界の他の中心地へとこの祭は広まり、セルギイ教皇(位687~701年)の下ローマでも祝われるに至ったのです。

 挙栄祭は、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い(コリンフ前書1・25)」と全人類が受け認めることによるハリストスの十字架への讃美です。「我等今日爾が司祭首の手にて挙げらるるを見て」「詛の釋かれ、不朽の栄え、地上の者が神成せられ、悪魔の全く仆されし所以の(十字架挙栄祭大晩課、挿句の讃頌第五調)」ハリストスの武器を教会は祝讃します。

 しかし、救贖の業と同時に、キリスト教に敵する現世的力に対する十字架の無敵の勝利も教会はお祝いします。実際、「世界の援助(同、リティヤの讃頌第二調)」――世界史上稀に見る助けである主の十字架による以外に、ハリスティアニンにとって勝利を意味するものはありません。
 ハリスティアニンであることを望む国は、コンスタンチンの勝利を確実にし 「此を以て夷狄(蛮族)は勝たる、此を以て諸王の権柄は固めらる(早課、讃頌第八調)」十字架の前に伏拝しなければなりません。

 これら「コンスタンチニアン(コンスタンチン主義者)」の本分の存在が、正教の民とキリスト教文明の長である「王」は十字架の無敵の力で敵に打ち勝つという政治的特徴をこの祭に与えています。しかし、ビザンチウムの町に属するこの見方を別として、尊貴にして生命を施す十字架の全地(全宇宙)の挙栄には、「十字架に於いて明らかにされた神の権能による宇宙の成聖」という恒久的で本質的な見方があります。

 ハリストスを新たなるアダムとすると、十字架は堕落した世界に天の不朽を取り戻す新たなる生命の木です。その二つの梁で天国を抱える十字架は地に挙げられ、悪魔の群れを敗走させて地の四極に恩寵を注ぐのです。

挙栄祭聖像の構図
 聖像表現では、十字架の発見に関連する十字架挙栄の表現が時々見受けられます。聖像上側に十字架を挙げる主教品が描かれ、下側にはゴルゴファの丘のふもとの洞穴近くで丁度発見したばかりの三つの十字架の前に聖エレナが描かれます。しかし、正確に言えば普通この主題は挙栄に限定されます。

 最も単純な構図では、アンモンに立ち両手で大きな十字架を支えている主教品(エルサレムの聖マカリイ)が描かれます。その主教品が民衆に示しているのは、ハリストスの真の十字架に他なりません。主教品は副輔祭に両側から支えられており、側には聖コンスタンチンと聖エレナが描かれます。時折、皇帝とその母は共に主教品の右側に位置し、左側には十字架の権能により起こった奇蹟(病者の癒しか死者の復活)が描かれることもあります。

 十字架を挙げる主教品の後ろの建物は、きっとコンスタンチンが建立した復活聖堂を表現しているのでしょう。それは、聖像表現の中に保たれたかつての「聖堂成聖記念祭」の記憶なのです。