名古屋正教会

Nagoya Orthodox Church

ミラリキヤの大主教 奇蹟者聖ニコライの生涯

西暦二八〇年頃、小アジア半島(現トルコ)の南端のパタルに生まれた。後に列聖された叔父のパタルの主教ニコライの薫陶をうけ、修道司祭になった。その後聖地巡礼をし、リキヤのミラで大主教に叙聖された。聖なる奇蹟者として人々に崇められながら、三四一年十二月十九日、永眠。

ローマ帝国が地中海沿岸を支配していた頃、異教を信じていた諸皇帝は、しばしば教会を迫害し、まだ信仰心が堅まっていない信徒たちを混乱させていました。しかしいつも教会を温かく見守り、守護して下さる神は、弱い信徒を助け、彼らを励まして、真理を堅く守って下さいました。

聖なる主教ニコライは、そうした神のみ旨を行う人でした。わたしたちは、彼を記念して、毎年二回聖ニコライ祭を行っています。

聖ニコライは、三世紀の後半に、リキヤ郡のパタルに生まれました。彼は幼い頃から神の教えを熱心に学んで大人になりました。

彼の叔父パタルの主教ニコライは、聖ニコライの信仰を見て感心し、彼の両親に対して彼を教会に奉職させるよう勧めました。

両親はこの勧めを受け入れ、主教ニコライは、彼を主祭に叙聖しました。主教ニコライは、この叙聖の日、聖神に満たされて多く人人に向かって預言しました。

「兄弟よ、いまこの地上に新しい太陽が昇り、多くの悲哀のうちにある人々を慰さめています。この司祭によって牧される信徒の群は、幸福です。なぜなら、彼は、迷える羊を導いて正しい道に入り、たくさんの傷ついた者達をいたわる保護者だからです。」

聖ニコライの一生は、この預言の通り、災いにあった者や弱者を助け、信仰の弱い者をいたわって真理を守らせることに捧げられました。

さて聖ニコライは、両親亡きあと、その遺産を善行に用いました。彼は、人から誉められるために善行を行わず、人々が自分の行いによって真理に気づくよう働きました。

ある時、パタルの一豪商が事業に失敗して全財産を失い、惨めな生活を送るようになりました。彼は貧しさに耐えられなくなり、自分の成人に達していた三人の娘を売春婦にして家族を養わせようとしました。

これを知った聖ニコライは、こうした行いをやめさせようと考え、ある晩ひそかに数百枚の金貨を窓から投げ入れました。翌朝、下幸な父親は、大金を手にして夢かと驚き、三人の娘を売春婦にするのをやめました。

しばらくして長女は、この大金を用いて結婚しました。聖ニコライは、次女をも結婚させてあげたいと考え、再びある晩、金貨数百枚を窓から投げ入れました。このお金で次女も結婚することができました。父親は大変喜び、神に感謝して言いました。

「神よ。ご自分の体血をもってわたしたちを死より贖い、いままたわたしたちを悪業から守りたまいし仁慈なる神よ。わたしたちを憐れんで下さった方を教えて下さい。わたしたちを悪い思いから救い、罪悪から助けて下さった地上の神使に会わせて下さい。」

父親は、ある夜、窓をあけてお金を投げ入れる人を見つけて追いかけ、その人をつかまえました。彼は、その人がイエルサリムに行って不在の主教の代理として今教会を治めている聖ニコライであることを知り、その足下にひざまずいて感謝の涙を流しました。

「神がもしあなたを遣わして、わたしたちを救わなかったら、わたしたちは誘惑に負けて、罪なき娘たちを不義に落とし罪を犯させていたでしょう。」と、彼は聖ニコライに語りました。

この出来事は非常に有名になり、聖ニコライの名声は高まりました。

聖ニコライは、叔父であった主教がイエルサリムから帰国した後、自分も聖都に行って主の聖墓にひざまずこうと考え、海路イエルサリムに向かって出発しました。ところが途中で暴風雨に遇い、船上から海に水夫が転落しました。聖ニコライは、溺れ死んだ水夫を深く憐れみ祈りを捧げました。すると彼は甦りました。その後無事に航海を終えた聖ニコライは、イエルサリムに到着して主の聖墓を拝しました。彼は、ますます神への愛に燃えある修道院に入って、勤労・節制の生活を送りました。しかし神は、聖ニコライに別の生き方をとるようにと、ある晩、彼が祈祷している時に、預言しました。

「ニコライよ、もしおまえが神から栄冠を受けたいと望むのであれば、ここにおらずに、人々のあいだで伝道しなさい。」

聖ニコライはこれを聴いて不思議に思い、これはいったいどういう意味なのかと考えました。するとつづいて、「ニコライよ、いまおまえがいる田園は、おまえが望むような実を結ぶ所ではない。ここを出て人々のあいだで生活せよ。これはおまえによって神の名が讃揚されるためである。」という声がしました。

この時聖ニコライは、自分の歩むベき道を悟り、主の旨に従って修道院生活を捨て、リキヤの首府ミラに行きました。

当時ミラには、大主教イオアンが永眠したため、後任を選出するために諸主教が集まっていました。しかし議論が激しくなり混乱するだけで、なかなか後任者を選べず、諸主教らはついに自分たちの力が及ばないことを悟り、神ご自身による啓示にあずかろうとして、祈祷・禁食していました。

ある日、一人の主教が一日の祈りを終えた時、突然神使が現われて、夜になったら聖堂の戸口に立つよう命じました。そして神使は、最初に聖堂へ入る者が、神の選んだ後任者であり、その名はニコライである、と告げました。彼は、他の諸主教にこの啓示を告げました。夜になり、彼は聖堂の戸口に立ち、他の諸主教らは聖堂内に集まりました。

そこへ聖ニコライがいつものように、早課の祈祷をするためにやって来ました。主教は彼を呼び止めて名前をききました。「主教よ、わたしはニコライと申します。」と彼はていねいに答えました。

主教はこれをきいて大変喜び、その手を取って聖堂内に入り諸主教らに聖ニコライを紹介し、この人こそ神の選び賜いし大主教であると宣言しました。

この出来事は、あっという間に全都の話題になり、人々は先を争って聖堂に集まりました。これをみた主教は、人々に向かって言いました。

「兄弟よ、聖神が膏(あぶら)つけし牧者を受けよ。彼はわたしたちが会議で選んだ者ではない。彼は、神自ら選ばれた聖なる人である。」

聖ニコライは、自分が高位に値する者ではないと考えて辞退しようとしましたが、神の旨に逆うことができず、とうとう大主教の職を受けました。

コンスタンチノープル総主教聖メフォディによると、聖ニコライは大主教になる前夜夢をみて、主イイスス・ハリストスから黄金・宝石が飾られた福音経を与えられ、至聖なる生神女から主教の大帯(オモフォル)を与えられたといわれています。

その後聖ニコライは、約五十年間平穏無事に教会を治めましたが、突然、迫害の嵐が教会を襲いました。

皇帝ディオクレティアンとガレリイの迫害は、十年間続きました。その間ニコメディヤで二万人の信者が殺されたのを始めとして、ローマ帝国全域に迫害が広まりました。聖ニコライも何人かの信者と共に捕えられ、獄舎に幽閉されました。しかし彼は獄舎においても信者を励まし、正しい教えを伝えていました。しばらくして、コンスタンチンがローマ皇帝になりました。彼はキリスト教を信仰し、捕えられていた人々を自由にしました。この時聖ニコライも解放され、ミラに帰り再び大主教の職務につきました。

迫害が収まると、今度は、異端論争が起こりました。アレキサンドリヤの司祭アリイは、イイススの神性を認めず、フィワの主教職を奪われていたメレティもエジプト教会で邪説を広めていました。

三二五年、コンスタンチン大帝は、ニケヤに諸主教三一八人を集め、第|回全地聖公会を開会しました。議論は二ケ月間つづき、諸師父らは、信経・八端を編み、アリイの異端とメレティの岐(ぎ)教(きょう)を罰しました。この会議中、聖ニコライは、異端者アリイの神への暴言に怒り、アリイの顔を打ちました。このため聖ニコライは大主教職を奪われました。しかし尊貴なる師父数人が、聖ニコライが神に選ばれたる者であることを述べたので、波は元通り大主教職に復帰しました。

ある時、フラキリ郡で騒乱が起こり、コンスタンチン大帝は、ネポティアン、ウルス、エルピリオンの三人の将軍を送りました。三人の将軍は、この騒乱を征圧したあと、船で帰国しようとしました。ところが暴風雨に見舞われミラに近いリキヤ海岸に流されました。兵士たちは、無事に陸地に着いたので狂喜して上陸し、近くの村々で掠奪や人殺しを行いました。これを聞いた聖ニコライは、急いで行って三将軍に会い、兵士たちの暴行をやめさせました。

そこへ今度は、ミラから報せが届きました。主教がいないのを良い機会と考えた一部の市民が、悪人たちと結束して、罪の無い市民三人を死刑にしようとしたのでした。聖ニコライは急いで三将軍と共にミラに帰りました。

聖ニコライがミラに到着した時、死刑を宣告された三人が、処刑場に連れ出されていました。聖ニコライは、処刑場に突び込むと首斬り役人の剣を奪って三人の縄を解きました。三人は喜び感泣して、彼の足もとにひざまずきました。

聖ニコライは、「不義の裁判を行えば、神の怒りにふれ、神による罰を受けるであろう」と語りました。死刑の工作をした市民たちは、自分達の過ちを認め、痛悔しました。

このあと三人の将軍は帰国しましたが、コンスタンチノープルの一部の市民が、三捋軍の功績をねたみ、コンスタンチン大帝に、彼らは反逆するつもりです、と讒訴(ざんそ)しました。

大帝は非常に怒り、ただちに捕縛して獄舎に入れました。しかし裁判を行い、三将軍の無実が判明することを恐れた市民たちは、「彼らは獄舎を破って反乱を起こすつもりです。すぐに死刑に処すべきです。」と大帝に奏上しました。

三将軍は、獄中でこの話をきき、もはや助かる術(すべ)はないとあきらめ、落胆してしまいました。けれども三将軍の一人、ネポティアンは、以前聖ニコライが無罪の市民を救ったことを思い出し、救いを求めて熱心に祈りました。「聖ニコライの神よ、願くは罪なくして死刑にされようとしている私達を顧み、私達を救って下さい。もはや私達を助けてくれる人は誰もいないのです。速かに私達を助けて下さい。」

神は、この願いをきき入れ、聖ニコライによって三将軍を助けられました。その夜、聖ニコライは、コンスタンチン大帝の夢の中に現われて真実を証言しました。

「罪なくして罰せられている三将軍を赦しなさい。もしあなたがわたしの命に従わないのであれば、わたしは大軍を率いてあなたの国を征服するでしょう。」

大帝は大変驚き、名前を尋ねました。彼は、「ミラリキヤの大主教ニコライ」と答えました。コンスタンチノープルの市民たちも同じ夢をみたと、大帝に奏上しました。翌朝、大帝は、三将軍を召して問い直しました。

三将軍は、大帝の側に聖ニコライが立っている幻を見て、「ニコライよ、私達の為に弁護して下さい」と祈りました。大帝は「ニコライとは誰か」とききました。三将軍は、ミラにおいて見聞きしたことを語りました。

コンスタンチン大帝は、ただちに三人の将軍を赦して言いました。「わたしがあなた方を赦したのではない。神の奉事者ニコライがあなた方を赦したのです。あなた方は行ってミラの大主教に感謝しなさい。」三将軍は、喜んでミラへ行き、大帝から託された数多くの贈物を手渡し、感謝しました。

聖ニコライは、数多くの奇蹟を行い、主降生三四二年、ミラにおいて永眠しました。彼は、旅行者・航海者の保護者、正しい人々の弁護者、大いなる奇蹟者としていまもなおわたしたちを神の国へと導いています。

十二月十九日に正教会では、聖なる奇蹟者の徳行を記念して、次の讃(トロ)詞(パリ)を歌います。

「なんじの行実は、なんじを牧群の為に信仰の範、温柔の型、節制の教師と表わせり。故になんじは低きを以て高きを得、貧しきを以て富を得たり。成聖者神父ニコライや、ハリストス神に、我らの魂の救われんことを祈りたまえ。」

(おわり)