名古屋正教会

Nagoya Orthodox Church

正教会の祭服

  ミラリキヤの大主教奇蹟者ニコライ、肩に掛かっているのがオモフォル

その意味と機能 正教時報連載
コンスタンティン 桝田尚 神父
ステハリ(祭衣) ミトラ、カミラフカ、クロブーク、スクフィヤ
オラリ(大帯) フェロン(祭袍)
ポルーチ(套袖) マンティヤ(長袍)
エピタラヒレ(領帯) サッコス(聖衣)
ポヤス(腰帯) オモフォル(肩衣)
パーリッツァ(方佩)とナベトロニク(股衣) オルレツ(鷲氈)とジェーズル(権杖)


輔祭の祭服


司祭の祭服

主教の祭服

1、祭衣(ステハリ)

 至聖所で務めをなす神品と教衆(副輔祭、諦経者、堂役)は、聖務に参与する際には必ず定められた衣服を身につける。この衣服を祭服とよぶ。

 祭服は、本来人間には近づき得ない神の奥妙な働きに参与することができるよう、特別な恩寵が聖務者を被っていることを、眼に見える形に現したものである。祭服はたんなる装飾を目的に身にまとうのではなく、会衆に対しては、神・聖神(聖霊)の不可視な働きが実在することを知らしめるため、着る人にとっては、自分が奉事にたずさわるために特別な神恩と守護をいただいていることを、自覚させるためのものであるといえる。祭服のそれぞれの部分は、着る時に必ずその目的に見合った祈祷文がとなえられるが、その内容は、各々の部分にどのような形で恩寵が作用しているのかを、よく示している。

 祭衣(ステハリ)は祭服の中で最初に身につけるものであり、堂役から主教まで、至聖所に務める人なら誰でも例外なくこれを着用しなければならない。ステハリとは「列、線」を意味するギリシャ語の「スティフォス」が語源の名称で、ここから神の恩寵がまっすぐにその人に注いでいることを意味する。初代は純白もしくは銀系の着物が多く用いられ、聖務者の潔白をあらわしていた。しかし4世紀に正教がローマ帝国の国教となり、その後の年間奉事の充実化と拡大に伴い、各祭日・祭期の意味を表すのに適した色彩のものが使い分けられるようになる。今日一般的なものは.金系、白系、赤系、青系、黒系、緑系、紫系、などで、場合によっては橙系やベージュ系が使用されることもある。教会暦に従って、その時期に適切な色彩のものを着分けるようになっている。中でも大斎期に使用される黒系や、復活大祭期に用いられる赤系は日本でも定着しており、なじみの深いものとなっている。ステハリを身につけるには、着用に先立ってまず、主教、あるいは司祭から祝福を受け、高座に向って三度叩拝し、そのつど「神よ、我罪人を浄めて我を憐れみ給え」と黙誦する。ついで「我が霊は主の為に喜ばん。蓋彼は我を著するに、救いの衣をもってし、我を服するに楽しみの衣をもってせり。我に栄冠を戴かせしこと花婿の如く、我を美しく装いしこと花嫁の如し。」との祈祷を献じ、着る。

 これは、至聖所に務める者が自分自身で身を潔めるのはもちろんだが、神の恩寵によっても潔められて、はじめて聖務にのぞめることを意味している。ステハリは、これを着用する人が、神意を伝える神使の役目を担っていることを象るもので、無血の奉事によって人々に生命をもたらす神の意志に、神使のようにくもりのない心で自らも同意していることの表明である。その人の動作や祈りを通して、この世で神の光栄が遣わされるという、大いなる喜びと賜が与えられたことの具体化であるといえよう。

 なお、司祭と主教が身につけるステハリは薄目で、袖がひもで巻いて固定するようになっている。これは特に、祭袍下着(ポドリスニク)とも呼ばれている。

2・大帯(オラリ) 

 オラリは副輔祭以上の教役者が身につけるもので、日本語では「大帯」、「聖帯」と訳される。その名の通り、人の身長の二倍ほどもある長い帯である。
 ステハリは、アルタリに入るための神恩を受けていることの証であったが、オラリは祈りを通して神に働きかけるために使用されるものである。オラリの語源であるギリシャ語の“オラリオン”は、「祈る。口で唱える」を意味し、天上の宝座の周りで絶えず神への賛美を捧げている、神使セラフィムの翼を象ったものである(イサイヤ6:1-3)。このことから、これを着用する者が神の傍らで奉仕できる、高位の神使の如き立場にあることを表している。
 オラリは輔祭にとって、文字通りその聖職を表す翼であって、オラリなくして輔祭は聖務に携わることはできない。このことは副輔祭も同様だが、副輔祭のオラリは体にたすき形に巻きつけて使用される。これは、光栄の司祭長イイスス・ハリストスの両脇で翼をたたんで跪いている神使を象っており、このことから副輔祭は司祭長(主教品)のそばで勤めを果たす者となった。又、オラリはステハリを着ずして着用されることはない。このことは、輔祭と副輔祭は神恩の担い手ではなく、祝福を受けて始めてその責務を十全に全うすることができる立場にあることを示している。
 尚、主教と司祭が身につけるエピタラヒレもオラリの変形とされるが、さらに別の意味が加味される。

3、套袖(ポルーチ)

祭服は神の働きに参与する為に身にまとうものであり、装飾や演出といった世俗的理由に基づいて使用されるわけではない。現在の形も、神の光栄を顕すにふさわしいものを追い求めた試行錯誤の結果なのである。その下地には、使徒達が旧約律法から受け継いだヘブライの伝統が常にあった(出28章)。
 しかし一方で、聖務に粗相無くスムーズに行い、適材適所で着けはずしする便利さという、現実面に即した要素も考慮されてきた。祭服について述べる時、常に信仰上の意義、実際面、歴史的背景という三つの側面から考慮する必要があるのは、こうした理由による。
 套袖(ポルーチ)は、実務的には機密の執行に粗相のないよう、袖を固定するためにつけられるものであるが、機密執行にたずさわる者とそうでない者、つまり神品と教衆を聖別するものでもある。これをはめない副輔祭、堂役等は、宝座や聖器物に直接手を触れることはない。歴史的にはイイスス・ハリストスが受難にあった際、両手にはめられた手錠を象っている。万物を創造した神の手が罪人を縛る手錠に収まったという、計り難い謙遜を表しているのである。同様にこれを着ける者も、神の謙遜に倣って身勝手な動きをすべきではないとされる。手は、働きを表すからである。宝座に触れる事ができる者がその為の神恩を手に宿している事の有形化なのである。そのことは、套袖を実際に着用する時の祈祷文にもよく表れている。 

(右手)
主や、汝が右の手は力に依りて光栄を顕わせり、主や汝の右の手は仇を破り、汝が光栄の大いなるを以って敵を滅ぼせり。

(左手)
汝の手我を造り、我を設けり、我に悟らせ給へ、我汝の誡めを学ばん

ここで強調されているのは、神の救購と創造の御業である。救購と創造は、創世以来現在に至るまで一貫して示されてきた、聖三者の働きである。機密を通して、今もその御業が顕れている。機密とは、聖三者の御業が今も人々を救い、神の子へと再創造している証なのである。套袖は、救世主に倣う謙遜があって始めて機密執行に参与できる神恩が、その手に宿ることを表しているのである。神品の手に信者が接吻することは、その手を通して救購と創造の御業が現れていることへの敬意に他ならない。套袖は、それをはめる事によって、神品に対しては主に倣う謙遜、信者には聖務者に宿る神恩を明示しているのである。

4、領帯(エピタラヒレ)

神は崇め讃めらる、蓋彼はその恩寵をその司祭に流すこと、芳しき膏が首にありて、髯即ちアーロンの髯に流れ、其衣の裾に流るるが如し。
(エピタラヒレ領帯を着ける時の祈祷文)

 祭服は、どの部分であっても神恩を目に見える形に表したものである、という点で共通している。祭服の中で信仰上の意味と関連付けられないものはないが、身を守る、防寒、動きやすくするためなど、実際面や歴史的背景なども重要な要素である。しかし中には、ほぼ純粋に信仰的意味のみを表現したものもある。領帯や肩衣(オモフォル)はその代表である。
 領帯は機密執行者である主教と司祭が身につけるものである。9世紀頃までは、オラリを首に巻いて使用する形のものも存在した。そのためこの祭服はオラリの変形であり、輔祭の二倍の恩寵が司祭に降っていることを顕す、と説明される。しかし、この祭服にはもっと深い意味もある。
 まず第一に、領帯は肩ではなく首に前掛け状に装着される。これは領帯をつけるときに唱える祈祷文にあるように、豊かな神恩が流れている事を意味すると同時に、機密執行者が背負うくびきをあらわしている。オラリには、このくびきを意味する要素は希薄である。
 第二に、領帯はオラリと違ってほとんど動かしては使用されない。領帯に動きが伴うのは、罪の赦しや、神恩が降ることを明示する時のみである(痛悔や婚配機密の時など)。それを暗示するように、主教・司祭は祈祷中輔祭・副輔祭と違い、祝福を降す時以外あまり発声したり、動き回ったりしない。そのかわり、黙誦による祈りが多くなる。この黙誦は神と人の奥密な接点となる非常に重要なもので、祈祷中大切な箇所に差し掛かるほど多くなる。これは、特に聖体礼儀において言えることである。教会の生命の源は、機密執行者が人知れず交わす神との対話の結果、もたらされるのである。オラリは物理的な動き・発声に伴うものだが、領帯は目に見えない霊的な動きと祈りに伴うものであるといえよう。このように、領帯はそれを着ける者が、神と人の仲立ちにあることを明らかにするものなのである。機密執行こそ教会の生命の源泉である事を考えれば、領帯は全ての祭服の中で最も重要なものであるといえるであろう。主教・司祭とそれ以外の聖務者の違いとは、神恩を降す者と受ける者の違いであるといる。領帯は、機密執行者とそれ以外の人を聖別する、恵みと重荷を同時に表している。事実、司祭はこの領帯なくしてどんな聖務も行うことはないのである。

5・腰帯(ポヤス)

あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる。私にこたえよ。私が地の基をすえた時、どこにいたのか(イヨフ記38章3-4節)。

 この箇所は、旧約聖書の「イヨフ書」の中の一節である。多くの苦難の前に意気消沈していたイヨフに対し、神が語られた言葉である。神は死を願うイヨフに対し「帯を締め直し」、しっかり面と向かって問いに答えることを求める。もっとも大いなる方と直接向き直るに先立って、神自ら、帯を締めて勇ましくある事を命ずるのである。
 イスラエルに限らず、パレスティナでは重大な事(多くは宗教的行事)に携わる時、必ずといってよいほど腰帯を締める習慣があった。それは旧約律法の奉事規定にも明示され、厳格に守られた(出28:4、29:9)。このことは、イスラエルの伝統の上に花開いた、教会の奉神礼にも言えることである。腰帯は、そのままの形で残っている物としては、祭服の中で最も歴史の古いものの一つなのである。
 このように腰帯は、実務的には他の祭服を固定し、聖務の邪魔にならないようにする為の物だが、信仰的には自らの姿勢を正して神と向き合う決意の現れである。このことは、腰帯を装着する時の祈祷文にもよく表れている。

 神は崇め讃めらる、蓋し彼は力を持って我に束ね、我が為に正しき路を備う。我が足を鹿の如くにし、我を高き所に立たしむ。
(ポヤス腰帯を着ける時の祈祷文)

「正しき路を備える」とは、救世主が籍身する事で明らかにした神とひとつになる路に他ならない。この祈祷文は、ポヤスを着ける者が救世主と似る者となり、人々が正しい道を歩むための、水先案内人となるべき立場にあることを著している。聖務者がしっかりと神に向き合う姿を見る事で、参祷者もそれに倣う関係を意味している。「高き所に立たしむ」とは、司祭が信者の模範者として見られる存在である事を明示するものなのである。
 腰帯を身につけるのは、機密執行者である主教・司祭のみである。しかも、重要な祈祷に向けて完装する時のみ装着される。それは聖体礼儀(あるいはそれに付随する祈祷)の時に他ならない。聖体礼儀にこそ、機密執行者の本領が発揮されるからである。

6、方佩(パーリツァ)と股衣(ナベトレニク)

 祭服の中には、その前身が元々体を保護する、手を洗う、防寒目的と言った、実用性が動機となって身に着けられていたものがあった。始めそれらは単なる備品に過ぎなかったが、時代が経るにつれ、実用目的が薄れて神学的意味づけがなされ、聖別された祭服の一部として残るに至った。この背景には、どんなものでも神の光栄を顕すものに変容し得る、と言う聖使徒が救世主から直接受け継いだ教えがある。正教会で使用される祭服を特徴づける点のひとつとして、元々この世の物でありながら、神の光栄を顕す物に「変容させられた」結果である、と言う要素があげられる。たとえ合理的目的が失われても、歴史性と福音的意味を今日まで伝える物として残される。これは、奉神礼そのものについても言えることである。祭服を身にまとう事は、いわば教会の歴史そのものを背負う事の証と言える。今回紹介する方佩(パーリツァ)と股衣(ナベトレニク)も、そうした祭服のひとつである。

 方佩と股衣は、元々神品が祈祷中に手を拭く為に用いた布であった。特に主教品は聖体礼儀中に何度も手を洗うが、身につけた布で手を拭くという発想が生まれたのも、祈祷を粗相なく、速やかに行うためであろう。一説によれば、膝立ちの姿勢で祈る時、床にひく座布団の役を果たすものもあったらしい。後代になってこれに聖書的意味が加わり、ハリストスの裁判の時、ポンテイィ・ピラトが手を拭いた布を象る(マト27:24)、とか、聖体機密制定の時、晩餐前に主が弟子達の足を拭ったタオルを象るもの(イオ13:3-5)、などとされた。しかし、本当の意味で神学的意味づけがされていったのは、14世紀頃である。
 方佩と股衣が同じ前身であった事は、身に着ける時の祈祷文が共通である事からも理解できる。

剛き者や、爾の光栄と爾の美麗たる爾の剣を股に佩びよ。此の飾りにて、真実と温柔と義との為に急ぎて車に乗れよ。爾の右の手は、常に爾の奇妙なることを顕さん、今も何時も世々に、アミン。
(パーリツア方佩とナベトレニク股衣を着ける時の祈祷文)。

 「剛き者」とは、教会を悪から守る立場にある者―主教品―を指し、剣はその為の武器「聖神(聖霊)の剣」である。したがって、方佩は元々主教品の祭服の一部であり、主教品は完装の時必ずこれを身に着ける。しかし後代、功労に応じて司祭品にも与えられるようになった。功労の証と言う点では、股衣も同様である(現在、ギリシャ正教会は股衣を用いていない)。股衣は司祭に対し、方佩は長司祭に対し授与され、前者は左側に、後者は右側に腰を被う形で装着される。いずれもこの世の様々な誘惑や障害から、真実の信仰を守り抜いてきた勝利の印として与えられるものである。このように方佩と股衣は、司祭品にとっては必ずしも必要不可欠な物ではないが、徳の高さや、長年月教会に奉仕してきた尊敬と敬意を表すものとして、尊重されている。それは、機密執行者が教会の歴史を背負いつつ、「真実と温柔と義」を守る者である事の自覚と表明の具現化なのである。

7、王冠(ミトラ)、円帽子(カミラフカ)、修道帽(クロブーク)、球帽子(スクフィヤ)

 前回のナベトロニクとパーリツァの回でものべたが、司祭・輔祭はその功労に応じて特別の栄誉を主教品から与えられることがある。これは大別して、長司祭(長輔祭)・首司祭(首輔祭)といった無形の称号として与えられるものと、有形のものを通して与えられるものとがある。後者の場合、奉神礼の時に身に着ける特別な祭服と言う形で与えられる。今回説明する円帽子(カミラフカ)と王冠(ミトラ)もそのひとつである。
 カミラフカは、長輔祭・長司祭に与えられる円筒形の帽子である。祭服とは言っても、頭にかぶると言う点で他のものとは大きく異なっている。かぶる、という性質上よく目立つものだが、実はハリストスが言われた「大いなる者となりたいなら、まず人に仕えるものとなりなさい」という教えの現れであり、謙遜さを明示するものである。従って円帽子は神品だけでなく、修道請願をした者も普通に身に着けるものである。修道士がかぶる円帽子は妻帯神品のものと異なり、色が黒く、背面が薄い布で覆われている。これは特に修道帽(クロブーク)と呼ばれ、元々はイイスス・ハリストスが十字架刑のときにかぶせられた、茨の冠を象るものである。修道者はこれをかぶる事よって、全生涯を通じて主の受難を分かち合うのである。修道士がかぶるところから、主教品もこれを身につける。これが奉神礼において正装する時、王冠(ミトラ)と呼ばれるきらびやかな冠となる。ミトラは万有の王、イイスス・ハリストスの光栄をあらわしており、主が世をさばく王である事を表す。最も貧しい者となられた者が、最も高貴な方へ変容するのである。王冠も円帽子も、この世の貧しさを神の国において富める者へ変容させる、神の力をよく顕しているといえる。それは、謙遜さこそが救世主と光栄を分かち合うにふさわしい資格であり、この世で追うべきくびきの象りなのである。
 一方、奉神礼執行時以外に、神品や修道者が日常出歩く時にかぶるものもある。これは球帽子(スクフィヤ)と呼ばれ、なだらかな円錐形をしている。

8、祭袍(フェロン)

 祭服はどこに装着するものであっても、歴史的過程をさかのぼってゆけば、イイスス・ハリストスにたどりつく。祭服について述べる上で歴史的背景が非常に重要となるのも、それが啓示に属するものだからである。祭服も教会の聖伝を担うものである。今回紹介する祭袍(フェロン)もその例外ではない。
 フェロンは司祭品が一番外側に身につける、袖と縫い目のない外衣である。たいていの祭服の部分(パーツ)は、聖務者が奉神礼を粗相なくすみやかに行う為の工夫が凝らされている。ところが、フェロンは逆に身動きを抑制するかのように、司祭の上半身を包む形で装着される。それはこの祭服が、機密執行者がこの世で担う重荷を象っていることに関係している。
 フェロンの原型は、主イイススがポンティ・ピラトから有罪判決を受けた際に着せられた「鮮やかな色の上着」を象ったものであった。この上着を着せられたイイススは頬を打たれ「ユダヤ人の王慶べよ」と、嘲笑された(イオ19:1-3、マト27:28-30他)。旧約時代から、罪に支配されたこの世で義人といわれる人々が背負う苦難の重さは、聖書が示唆する大きなテーマであった。旧約聖書中の「イオフ記」はこれを中心的テーマとして扱ったものだが、旧約時代はこうした義人たちの苦難に対する明確な回答が出されるに至っていない。しかしこの義人達の苦難は、今や籍身した神自らがこの世で苦難を背負われた事実と、その結果もたらされた復活によって明確化されている。主とともに背負う苦難は、最早神の国で光栄が約束される前提なのである。この事は、フェロンが重荷の象りであるにもかかわらず、身に着ける時の祝文が歓喜の明示となっていることからもうかがい知れる:

主や、爾の司祭等は義を衣、爾の諸聖者は常に悦ばん、今も何時も世々に、アミン。(フェロン祭袍を着用する時の祝文)

 主が背負われた重荷=十字架をともに分かち合う事は、信仰者の誉れである。このようにフェロンは、機密執行者がこの世で義人・諸聖人、そして主イイススとともに十字架を分かち合っている事の現われなのである。
 尚、フェロンは元々司祭だけでなく主教品も身につける祭服であった。これが現在のサッコスの前身である。このことは、フェロンとサッコスを着用する時の祝文が共通であることからもうかがい知れる。サッコスは、現在の形になるまでの歴史的変遷過程が非常に複雑である。

9、長袍(マンティヤ)

 司祭品が聖体礼儀において身に着ける祭袍が、イイスス・ハリストスが受難の時に着せられた「鮮やかな上着」を原型としていることは、前号においてすでに述べた。この十字架の分かち合いを日常生活から求める修道者は、普段からこれを身に着ける。ただし修道士が日常身に着ける上着は、司祭品が奉神礼執行時に着用するものと異なり、黒色で体全体を蔽う長い上着となっている。これは通常長袍(マンティヤ)と呼ばれる。したがって、マンティヤもフェロンも元々同じ原型を持ち、しかも初代教会時代から用いられていたものであった。この事は、聖使徒の証言からもうかがい知れる。ティモフェイ後書4:13で使徒パウェルが述べている「外服(マントール)」とは、現代のフェロン、ないしはマンティヤの事をさしている。ハリストスの苦難をこの世の生活において分かち合うことは、時代がどんなに異なってもけして変わることがない事を知ることができる。
 修道士が身に着ける所から、当然主教品もこのマンティヤを着用する。ただし主教品が身につけるマンティヤには主教がはたすべき義務である「牧会者」「教導者」「奉神礼主管者」に対して、神の恩寵が降っている証である三本の線が入っている。さらに胸元には、旧約と新約を表す長方形の固い布が貼られている。マンティヤによって示されるイイススの受難・復活こそ旧約・新約両方の聖書が示唆する主題である事を表現している。主の十字架をともに分かち合っている証であるマンティヤにこれが貼られる事で、主教品が旧約と新約をともに司り、その真意を伝える責務を担っている事を示しているのである。
 尚、ロシヤ正教会では主教品が着用するマンティヤを管轄区の大きさによって主教・大主教=紫、府主教=水色、総主教=緑、と言う形で色分けしている。

10、聖衣(サッコス)

主や、爾の司祭等は義を衣、爾の諸聖者は常に悦ばん、今も何時も世々に、アミン。(サッコス<聖衣>を着用するときの祈祷文)

聖衣(サッコス)は、主教品が身につける、ステハリによく似た形をした丈の短い上着である。すそには聖使徒達の宣教の声を象る鈴がつけられ、主教品が聖使徒の継承者であることを表している。聖衣は、もともと司祭品の祭袍(フェロン)や長袍(マンティヤ)と同じ起源をもつものであった。したがって、その信仰的意義もほぼ同じものであると言える。事実、初期教会においては主教品も現在の聖衣ではなく、司祭品と同じ形態の祭袍を普通に身に着けていた。主教品であった聖人がイコンの中でフェロンを着て描かれるのもその為である。聖衣は始め、総主教のみが身に着けていたようである。初期の時代、主教品が着用するフェロンには十字架が一面に描かれ、司祭品のものとは区別されていた。これは「ポリスタブリオン」と呼ばれ、現在も修道院の中で見られる。主教候補の掌院(アルヒマンドリト)や、修道院長などの指導的立場にある修道士が身に着けるのである。現在の聖衣は、古代のビザンティン帝国の皇帝が着用していたものに形態が近く、それがいつから主教品の祭服となっていったかは定かではない。いずれにせよ聖体礼儀において、屈辱の証であった「鮮やかな着物」をかたどるマンティヤを身につけていた主教品が、王の着物であるサッコスに着替えるのは、とても印象的である。「権ある者を位より退け、卑しき者を挙げる」(ルカ2:52)神の力が、目に見える姿で顕されているかのようである。どんなに形が変遷してきらびやかになろうとも、サッコスは主教品の尊徳を表明するものである事に変わりはない。それは、主イイススの謙りとの一体化であることに他ならないのである。主教品の尊徳とは、自らの生涯をかけて神が背負った苦難を分かち合う事に裏付けされているのである。この尊徳の証である聖衣の上に、さらに主教品は神の牧群の徴である肩衣(オモフォル)を背負う事になる。

11、祭服十一、肩衣(オモフォル)

斯くの如く爾の光りは人々の前に照るべし、彼等が爾の善き行いを見て、天にいます我等の父を讃栄せん為なり、今もいつも世々に、アミン。 爾の光よろしく衆人の前に輝き、爾の善行を見て、爾が天にいます父に光栄を現さんが為なり、今も何時も世々に、アミン。
(肩衣【オモフォル】着用後、主教品の完装終了の後に唱えられる祝文)

教会の神品職(イエラルヒヤ)は、長い歴史の中で必然的に形成されていったものである。それが人工的・意図的なものではなかったことは、新約聖書を読めばすぐに分かる事である。とりわけ主教品の選立と生涯には、人の判断では計り知れない神の摂理が働いている事をしばしば感じさせる。主教品がまとう祭服は、そこに降り注ぐ神の照管を目に見える形で現しているのである。

肩衣(オモフォル)は、主教品のみが身に着ける、幅の広い、長い帯状の形態を持った祭服である。形態的にはオラリと大変よく似ているが、その信仰的意味は全く異なったものである。肩衣以外の主教品が直接身につける祭服は、同じく機密執行の恩寵を与えられた司祭品のものと重複するものが多い。多少形態が異なっても信仰的意義は共通である。だが、肩衣のみは主教品以外の聖務者が身に着ける事はけしてない。肩衣は主教品の職掌をもっとも顕著に現すものであり、他の祭服にはない多くの意味を含んでいる。事実、主教品はどの公祈祷においても肩衣なくしてたずさわることはない。特に聖体礼儀や神品機密等で主教品の権能が顕れる時、肩衣は顕著な形で用いられるようになる。

肩衣こそ、主教品が聖使徒の継承者であり教会を背負う立場にあることを目に見える形で表した祭服なのである。歴史的に見ても、肩衣は祭服の中で最も古いもののひとつといわれる。肩衣を身に着けた主教品は、羊飼いが羊を肩に背負った姿を現していると言われる。そのため、古い肩衣には羊毛を植え込んで織った物もあった。これは自らを「善き羊飼い」(イオ十:一-二十一)と喩えたイイスス・ハリストスの姿を象るものであり、主教品が神の牧群である教会を背負う者である事を意味する。牧者がいない羊の群れが散り散りになって失われてしまうように、主教品がいない教会もけして存在し得ないのである。聖体礼儀において、主教品は特に主イイスス・ハリストスを象る時にこの肩衣を身に着ける。

主教品が教会においてイイスス・ハリストスを現しているというのは、たんなる象り以上の意味を持っている。それは、主が信者のために神・父に祈りを献じたように(イオ17章)、主教品も自らの祈りと生涯を神に捧げる者である。聖像画の中には主教品と同じ祭服姿の救世主がしばしば描かれるが、これは神・父に対する従順さと言う点において、救世主と主教品がひとつである事を示しているからなのである。直、現在の肩衣には長い物と祈祷中の脱着に便利な短い物の二種類があるが、信仰的意義は全く同じである。前者は聖体礼儀の始まりの完装時に装着され、使徒経の読みの前にはずされる。信者の聖体礼儀において数度にわたって肩衣の脱着があるため、より実用的な短いものを用いるためである。

12、オルレツ(鷲氈)とヂェーヅル(権杖)

 主教品は公奉事において、その職掌を表す為にいくつかの備品を身につける。これ等の中には必ずしも祭服と呼べないものも多くあるが、いずれも主教品が持つ権能を、人々に向けて明示する働きがある。その代表的なものといえるのが、鷲氈と権杖である。鷲氈は、主教品が立つ時に足元にしく円形の絨毯である。表面には教会を中心とした街の上空に、鷲が翼を広げて飛んでいる図柄が織られている。聖書の中で鷲は、神の権能と救い神秘さの象徴としてしばしば登場する(出19:4、聖102:4等)。鋭い視力で万事を見通す視力は神の目を思わせるが、主教も自分が司牧する教区とそこにいる信者に対して、鷲のように隅々まで目を行き届かせ、神より依託された権能を行使する者である事を表しているのである。一方権杖は主教品の司牧権を表す杖である。元々は、羊飼いが羊を牧する為に使用していた杖が原型とされる。主教叙聖が終わった後、新しく主教となった者はすぐに主教の祭服を着せられるが、権杖だけはすぐには授与されない。叙聖式のあった聖体礼儀終了後、改めて主教職の重みを説かれた後、最後に手渡されるのである。この権杖を渡されて、初めて新主教は人々を祝福する事が許される。この事は、主教の祝福が信徒の司牧と深い関わりにある事を示している。主教が行使する権能とはただの権力ではなく、祝福の担い手として、司牧者としての慮りの中に明らかにされるものなのである。このように、鷲氈も権杖も祭服でこそないが、主教品が担う重責と権能をよく表す物として尊重されている。尚、ロシヤ正教会では防寒の為、権杖にスゥオックと呼ばれる覆いを用いる。権杖は主教候補の掌院(アルヒマンドリト)も手にするが、主教品のものとは形が若干異なっている。主教品の権杖には、頂上に全信徒の道標である主の十字架がつけられている。