名古屋正教会

Nagoya Orthodox Church

聖アレキシイ

 3月30日は、5世紀の聖人で「神の人」と呼ばれる、克肖者・聖アレキシイの祭日です。

 聖アレキシイは4世紀の末に、ローマの裕福な家庭に生まれました。両親は、貧しい人や生活に困っている人への援助を惜しみなく行う信仰篤い人でした。アレキシイは、敬虔な両親の愛に育まれて、幼い頃から書物を好み、将来修道士になることを望みました。

 両親は、一人息子が修道士となるのを喜ばず、アレキシイが成人すると、王族の美しい女性と婚約させ、指輪を取り交わしました。しかし、修道への思いを断ち切れない聖アレキシイは、聘定式の後、婚約者に指輪と錦の刺繍帯を渡して思いを伝え、若干のお金をもって両親の家を出ました。アレキシイが船で向かったのは、「手にて書かれざる聖像」が安置されているエデッサの聖堂です。他の巡礼者と共に、この至聖なる聖像に伏拝した後、アレキシイは、残りのお金を貧しい人達に分け与えました。自分は乞食となって、その町の生神女聖堂の傍らに住んで、日夜祈祷し、主日毎にご聖体を受けたのです。

 エデッサで祈りの生活を送って、17年の歳月が流れました。生神女聖堂の堂役者が、夢で生神女のお告げを受け、アレキシイが神様から特別の恵みを受けていることを示しました。エデッサの人達が、自分を敬うようになると、アレキシイはその地を後にしました。

 キリキヤに向かうつもりが、船は難船しローマ近くに漂着します。生家近くの聖堂前で父の姿を認め、屋敷の傍らに住まわせてもらえるようにアレキシイは頼みました。17年間貧しさに耐え容貌の変わったアレキシイが自分の息子だと、父エフフィミィは気付きませんでしたが、いつも貧しい人にするのと同じように求めに応じました。

 さらに17年の歳月が流れ、アレキシイは、自分の死期が近づいたことを悟り、家出した時から34年の生活について記すと共に、両親と妻に許しを求める言葉を続けました。その時、ローマ総主教インノケンティが、皇帝の参列を得て、聖体礼儀を執行していると、「神の人」アレキシイを捜すように、という声が聖堂内に響き渡りました。皇帝と総主教が、アレキシイを捜しだしたときには、既に永遠の眠りについており、市内に不朽体を安置し、後に聖堂が建てられたということです。