名古屋正教会

Nagoya Orthodox Church

22、平安と感謝 ――聖体礼儀の祈り

 聖体礼儀は終わりに近づき、私たちは聖堂を離れる準備をします。私達は、神が与えて下さったご聖体について感謝し、聖歌隊は次の様に歌います。

「すでに真の光を見、天の聖神を受け、正しき教えを得て、分かれざる聖三者を拝む、彼、われらを救ひ給えばなり」。

 私達は、イイススが聖なる人であるように、自分達も聖なる人として毎日を送ることができるように祈ります。
 司祭は至聖所を離れ、聖堂の真中に来て、そこで私達と一緒にこの大きな式典を行い得たこと、そしてご聖体を受けるのを許されたことのために神に感謝します。
 私達は神に神の平安を与えて下さるようにお願いすることをもって、聖体礼儀を始めました。そして今聖堂を離れる前に司祭は「平安にして出ずべし」と称えます。こうして私達の旅行は終わります。私達は神のご聖体を受け、神の国は今や私達のうちに宿っています。
 司祭は王門を通って来て人々を十字架で祝福します。聖体礼儀の終わりに、ある教会では、人々が王門の処に歩いて行って司祭の持つ十字架に接吻し、聖パンの一片を受け取ることによって終わりになります。又教会によっては、人々は司祭から聖パンの一片を受け取るだけで十字架には接吻しません。
 私達は家族や友人達と教会を離れる時、聖なる生活を送るとはどんなことか、又私達のうちに小さな神の国を保つとはどんなことかを自問し、考えてみなければなりません。それは、私達が教会や聖書で学ぶ神のご意志に従って生き、そして、神のお仕事をするということです。神のお仕事をするとはどういうことかといいますと、それは聖使徒の生活を見ると明らかです。

「イイスス・ハリストスのお仕事を続ける聖使徒たち」

 イイススが天に帰られる時、彼は使徒達に大きな役割を与えられました。

「あなた方は行って全ての国民を弟子として、父と子と聖神の名によって彼等に洗礼を施し、あなた方の命じておいた一切のことを守るように教えなさい。見よ、私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいるのである」。

 その10日後、使徒達がイエルサリムのあき家に集まっていた時、彼等はイイススが約束されていた聖神の力を受けました。それは、激しい風が吹くようにして来て、家一杯に満ち、炎の舌のような形で彼等一人一人の頭上にとどまりました。
 その日以来、使徒達はイイススのお仕事を行うことで恐れたりすることは決してありませんでした。彼等は全世界に旅立ち、教え、説き、教会を建て、困っている人々に善い行いをしました。彼等はそのためにしばしば獄につながれ、むちで打たれ、多くの人々が殺されましたが、決して仕事を止めませんでした。
 彼等は時には多勢の群衆に話し、又時にはイイススのことを学びたいと望んでいるたった一人のために多くの時間と愛を注ぎました。彼等は神の大きな愛について、貧しい人々、富める人々、全ての国民に教えました。彼等は、自分たちが出会う全ての人々に、そして自分たちに起こるどの様な出来事も、神が自分たちに行うように望まれたことを行う良い機会であることを知っていたのです。
 ここに使徒行実の中に書かれている一つの物語があります。
 神の使いがフィリップに言いました。「起きてイエルサリムからガザに行く道を南に行きなさい」。フィリップは出かけました。この道は砂漠でしたが、突然、フィリップはエチオピアの女王の家来である一人のアフリカ人に出会いました。彼は乗物の中で聖書を読んでいました。フィリップは心の中で「行ってあの人に語りかけなさい」という言葉を聞いたように思いました。それでフィリップはその人のところにかけつけて、彼が聖書を読んでいるのをみると「あなたは読んでいることが分かりますか」と言いました。エチオピア人は「誰かが私に教えてくれなければとても分かりません」と言いました。そして、彼はフィリップに、自分と一緒に腰掛けるように招きました。彼が読んでいたのは聖書のイサイアの預言書で、イイススがどの様に苦しみ、死ぬかについて書いてありました。エチオピア人は「この予言者は誰のことについて言っているのか教えて下さい」と頼みました。
 フィリップはイイススについて彼に教え始め、そしてイイススのなさったこと、教えられたことの全てと、彼がいかに死に、復活したかを教えました。
 彼等が道を行くと水のある処に来ました。エチオピア人は言いました。「ごらんなさい水があります。私は洗礼を受けることができますか」。そこで車をとめ、フィリップとエチオピア人は水に入り、フィリップは彼に洗礼を施しました。