名古屋正教会

Nagoya Orthodox Church

5、神の国への旅行

 人々は聖堂に入るときローソクを買い、それを聖像の前に灯します。今や聖堂内は明るく照らし出され、私達は司祭が聖体礼儀を開始するのを静かに待ちます。王門が開かれ、司祭は宝座の前に立ち両手を上げて次のように称えます。

「父と子と聖神の国はあがめほめらる・・・」

 この言葉と共に司祭は私達が招かれた奉神礼を開始します。
 さて、神の国とは何でしょうか。それは神の家のことです。神の国では全てが神の望むようになっています。そこには憎しみも悪も不幸もありません。神の国はこの世の国家や都市、或は場所のようなものではありません。それは神のおそば近くに居ること、そして私たちが、神が私たちに望まれるように、生きることです。私達が他の人々に対して善いことをするとき、私達は幸福であり、神の平和の中に居り、私達はすでに少し神の国に入っています。

 私達が聖体礼儀に出席するのは、神の国に行くことを意味しています。私達は、神の御聖体を受けることによって神にお会いするのです。

 聖体礼儀を、神の国への旅行として考えてみましょう。司祭が祈祷を開始するとき、彼は私達が何処へ行くのかを宣言するのです。

 私達が旅行するとき、色々と新しいことを学ぶことが出来ます。私達は新しい場所、新しい人々をみて、自分自身を少し別人のように感じます。旅行はつかれるものかも知れません。しかし、もし私達が特別の場所に行こうと望むなら、つかれることなど気にしないでしょう。

 聖書の中には、神の民によってなされた興味深い多くの旅行のことが記されています。神の命令によって行く先を知らずに旅行に出たアウラハムのお話や、エジプトの奴隷にされていたユダヤ人達が、モイセイに導かれて、約40年にもわたる荒野の旅を続けたお話など沢山あります。そして聖書は、むしろ私達の人生そのものが神の国への旅行であることを教えています。