名古屋正教会

Nagoya Orthodox Church

階梯者聖イオアン

 克肖者・聖イオアンは『階梯(かいてい)』と呼ばれる精神書の著者として教会で尊敬されています。その著作『階梯』により階梯者と呼ばれる聖イオアンがどこで生まれた人なのかはわかっていません。シリヤの人とも言われる聖イオアンは幼い頃から利発で篤い信仰を持った少年だったと伝えられています。

 十七歳の時、聖イオアンはシナイ山の修道院に入ります。マルティリィという師父のもとで指導を受け、四年後、剪髪を受けて修道士となった聖イオアンは十九年の間、老師のもとに就いて修行に励みました。師の永眠後、聖イオアンはフォラと呼ばれる荒野に退き、祈り、斎、痛悔の涙を流すという隠遁生活に入り四十年を過ごします。荒野での孤独、沈黙を好みましたが教えを乞いに来る者達を拒みませんでした。彼は『階梯』の中で痛悔の涙について「炎が枯れ木を焼き尽くすように潔い涙は外と内の全ての不浄を洗い流す」と言っています。また自分のことについて次のように述べています。「私は度を超した斎はしませんでした。夜の祈りを特別に勤めたりしませんでした。地面の上に寝ることもありませんでした。しかし全てを従順に謙虚につとめました。そして主・紙は間もなく私を救われました」

 隠遁生活で四十年の修行を積んだ聖イオアンは七五歳になった時、シナイ山の修道院長に推されました、約四年間、彼はシナイ山の聖なる修道院を指導しました。この頃アラビアの修道院の院長の依頼によって著されたのが『階梯』と名づけられた書です。聖イオアンはその書中で次のように告げています。

 「主ハリストスが群衆の前に出られた三十歳の年に習い、この地から天の門に昇って行く三十段からなる階段を建てました。この階段を昇って主の年齢に達した時、義なる人となり、倒れることのない確実な人となります」

 この書は、救いに到達するためには自己犠牲と熱心な修行が必要であるということを教えています。この他に「牧師に与うる書」を著した聖イオアンは六四九年、安然として神の御元に向かったと伝えられ、その記憶日は四月十二日です。