名古屋正教会

Nagoya Orthodox Church

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祈りに興じる

至聖三者聖セルギイ修道院

2002年2月末から3月始めにかけて、名古屋教会司祭は
モスクワ郊外の至聖三者聖セルギイ修道院へ単身研修派遣されました。
教団機関誌「正教時報」に掲載されたレポートをご紹介します。
正教の奉神礼的生活の一端にでも触れていただければ幸いです。


 伝統には誰でも近づくことができます。伝えられてきたものを忠実に再現することは根気さえあれば、いずれ誰にでも可能となります。幼い時から修行に励んでいれば、私だって今頃はいっぱしの職人でしょう。
 しかし芸術にせよ、思想にせよ、生き方にせよ独自の新しい世界を創り出すのは誰にでも可能なことではありません。創造的という悪魔的な言葉にとりつかれ、どれほど多くの人々が人生を空費してしまったことでしょう。
 生きること、そして日々の生活には安定したかたちが必要です。まずそのかたちを生活の律動の中で、共に生きる人々と分かち合うことが、生きることの喜びや楽しさへの誰にでも開かれた入り口です。私たちの不幸はそのかたちを失ってしまったことです。

 二月末から三月始めにかけ十日間、モスクワから数十キロ北にある至聖三者・聖セルギイ大修道院で過ごしました。七百年近い歴史を持つ、つねにロシア正教会の中心にあった修道院です。巡礼者や観光客への活発な対応へのいそがしさという外皮をはぎ取れば、「伝統」といったら他にどこで探せるのかというほど伝統的な暮らしがそこにあります。
 朝の五時半、聖セルギイの不朽体を前にした聖人への感謝祷から始まり、徹夜祷が永眠修道士たちへのリティアで終わる夜八時近く(日曜は徹夜祷が長く九時頃)まで、奉神礼を中心にした生活が毎日厳格に繰り返されます。修道院側から丁重にも立派なゲストルームを提供されたため体験できませんでしたが、おそらく修道士たちの修室でも祈りや労働を中心にした伝統的な生活が規則正しく実践されていることでしょう。鈴の音で始まり、聖人伝の誦読の内に「着々と」進む大食堂での食事にその片鱗をかいま見たと言えるかもしれませんが。(写真は聖セルギイの不朽体が安置されている至聖三者聖堂)
 しかし、そこでは、伝えられたかたちに縛り付けられ、凍り付いてしまった人々は見受けませんでした。もちろん勝手気ままな無秩序な生活があるのでもありません。伝統やかたちがあるがゆえに人々は逆に解き放たれているとでも申しましょうか。

 滞在二日目の日曜、見事な英語を話す修道女で、私のために大修道院内の案内をしてくれたセルゲイア姉に、「これが鐘楼です」とうながされたとき、何の気なしに自分が神学生時代にニコライ堂で鐘を打っていたことを話しました。すると彼女は一人の修道司祭を引っ張ってきて「こんな訳だから夕方の打鐘の際にゲオルギイ神父を鐘楼に案内してやって欲しい」と頼んでくれました。その修道司祭コルニリイ神父は相好をくずして、繰り返し「四時四十五分だよ」と念押ししました。(写真は修道士たちの僧坊の建物)
 約束の時間に行くと、すでに鐘楼へ招かれた巡礼者や子供たち十数人に囲まれて、こぼれるような笑顔のコルニリイ神父が待っていました。「こんなよいものを、こんなにたくさんの人たちに見せてあげられて、今日はなんてステキな日なんだろう」と言わんばかりです。手を取り合い、ひげ面で抱き合うや、ただちに出発です。工事中の場所もあり足場も悪い(危険と言った方が正確)階段を、弾むようにのぼっていく神父について、数分かかってようやく鐘楼に着きました。息切れでしばらく声も出ません。すでに若い修道士が大鐘を打っています。眼下には大修道院が隅々まで見下ろせます。大修道院をとりかこむ門前町、人口五万人ほどのセルギエフ・パッサードの市街の向こう側は、森や教会の金色の丸屋根が散見されるだけの大雪原です。そのはるか彼方では、もう灰色の空と雪原との区別はできません。(写真はコルニリイ神父)

 もう一人の修道士が時計をちらっと見て、大小の鐘が十数個並んでいる場所に上がり、規則正しい大鐘のテンポに滑り込むように幾つもの鐘を軽やかに奏ではじめました。修道士は大雪原の彼方を見つめながら、胸を張り、両手両足を繰って華やかに、力強く、そして繊細に複雑な響きを打ち鳴らします。その時、私は彼の姿に、伝えられた生活と伝えられた祈りのかたちに「興じる」幸福な人間を見たような気がしました。すぐにその姿は、日本なら「もし事故でもあったら誰が責任をとるんだ」としか誰も考えないような、ブリキの切れっ端や木っ端が散在した鐘楼への階段を、「ここは危ない」「あそこは気をつけて」とにこにこしながら私たちを引率していったコルニリイ神父の姿にも重なりました。さらに身振り手振りよろしく、流ちょうな英語でこの大修道院の聖なる歴史や無数の聖遺物を紹介してくれた、知的でしなやかな、ユーモアあふれるセルゲイヤ姉にもそのイメージはつながっていきました。彼女には修道女という言葉で連想しがちな「思い詰めた敬虔ぶり」など気配にもありませんでした。
 修道院での十日間は、このような連綿と伝えられてきた祈りの生活に「興じる」人たちの発見の日々だったとも言えるでしょう。

 鐘楼から大急ぎで向かった、二千人は収容できるかと思われるセルゲイ聖堂ではすでに晩祷が始まっていました。修道士たちは立っていたり座っていたり。誰かが立ち上がれば、他の誰かが座るということもあります。それをいちいち咎める人など一人もいません。
 朗々とスティヒラの句を読み上げる司祭も、それに答えて交互に唱う左右の聖歌隊も「楽しそう」なこと。神学生や神科大学の学生たちに修道士も混じる若さみなぎる聖歌隊です。互いに競い合う様子が手に取るように伝わります。自分たちの部分を元気よく歌い終えると、それを聞いていた向かい側の聖歌隊に向かい「どんなもんだ」とガッツポーズさえ送りかねない張り切りようです。
 宝座への接吻のために至聖所へ入ると、ポリエレイに備えて司祭たちが金色の祭服をまとって待っています。若い司祭たちが挨拶に来て、「こんなよい所へ、遠いところからまあ、よく来たじゃないか」…そう言っているかのように、ぎゅっと手を握り、ガバッと頬を寄せ、ひしと抱きしめてきます。高座の長いすに座っているミトラをかぶった年輩の高位司祭たちは、なにやら楽しげに小声で頷き合いながら、豊かな白い髭をしごいていたりします。恰幅のよい掌院とおぼしき神父が私に目をとめ、歩み寄ってきてロシア語で話しかけました。多分名前を聞かれたのだろうと「ゲオルギイ」と答えると、至聖所の奥からエピタラヒリとフェロンを持ってきて「アチェツ・ゲオルギイ。ポリエレイ(だから祭服を着なさい)」と差し出してくれました。その時のゆったりと包み込むような笑顔にほっとしたこと。やはり相当緊張していましたから。
 そんな至聖所内には、「今日も神さまを美しい祈りで讃えさせていただける」といった、子供っぽいとも言えるナイーブな期待感が溢れています。ここにも伝えられた祈りの生活に「興じる」人たちがいました。

 しかしもっと印象的だったのは、ポリエレイを終えて聖所に戻ったときでした。イコノスタスの前に置かれた幾つもの燭台のローソクをうやうやしく世話している初老の修道士がいます。短くなったものを燭台のすぐ下に置いてある箱から長いものに取り替え、となりのローソクの熱で曲がったものは、引き抜いて、冷ましながら、ゆっくり何回かしごき真っ直ぐにのばして差しなおします。それを見ている私の視線に気づいたのか、彼はすっと胸を張り、こちらに顔を向け、口元に何とも言えない誇らかな笑みを浮かべました。次の日も、また次の日も修道院滞在中ずっとそれは変わりませんでした。これまでも、これからも同じでしょう。その誇らかさは、何ごとも上長に絶対服従して、従順に、謙遜に…、といった修道士の紋切り型のイメージでも、下積みの人たちにありがちな「俺はもう何十年この仕事を受け持ってきたんだ」といった押しつけがましいプライドとも違うものでした。やはり、祈りに「興じる」、その無条件のしあわせに自分も与れることへの喜びの表現でしょう。彼の仕事が聖歌隊やまして聖職者たちの華やかな仕事ではなかったのでなおさら、彼の誇らかさは、正教会が祈りを「奉神礼」、ギリシャ語でリトゥルギア、すなわち神の民の「仕事」と呼ぶ意味を実感させてくれるものでした。そういえば、四時間近く十字を切り叩拝する以外にはほとんど同じ場所で立ちつくすばかりの千人以上の会衆も、たとえ肉体は苦痛でも心では、仕事の一翼を担う者として「正教会の伝える『立って祈る』というかたち」に「興じて」いるのではないか、そんな思いすら浮かびました。

 例をあげればきりがありませんが、祈りに興じる人たちを他にもたくさん発見しました。奉神礼の場だけではなく、そこでは生活全体が祈りへの備えとして「祈りの生活」です。この大修道院全体が、祈りに、すなわち生活に興じているといってもよいでしょう。
 しかし、この発見は大修道院だけでのことではありませんでした。大修道院を辞して二日後、帰国の日の朝、モスクワの友人が通う教会の聖体礼儀に与りましたがも、そこにも祈りに興じる人たちがあふれていました。古い聖堂の修復作業に信徒が何年も協力を続けているという、内部に足場を組んだままのこの小さな教会も、やはり祈りに興じていました。

 しかし私は、「やっぱりロシアは…」と言いたくてこんなことを申し上げているのではないのです。
 帰国して三日目、充分に疲れが取れないままに立った名古屋教会の聖体礼儀、ここにもはやり「祈りに興じる」なつかしい仲間たちがあふれていました。尋ねてきた人が、なんと教会の門前から「道に迷ってしまいました」と携帯をかけてきたことがあるほどのつつましい会堂です。しかし、信徒全員が無事領聖した後、ポティールを掲げて堂内を見渡したとき、堂内全体が喜びで輝いていました。大修道院の聖体礼儀にあった喜び、モスクワの町の教会にあった同じ喜びが、ここにもありました。これまでにもあったし、これからもあり続けるでしょう。

 おそらく日本中の正教会で、小さな教会でも大きな教会でも、正教徒なら誰でも知っている、神さまの前に子供らしいキマジメさで奉神礼を献げさせていただける、言いかえれば祈りに興じさせていただける喜びがあふれているはずです。伝統的な正教国の教会にも、伝道教区の小さな集いにも、世界中の正教会に日曜日を待ち望む人たちの日曜日に向けた生活がいきづいているはずです。
 これこそハリストスを愛しその尊体血を分かち合う人々の集いに溢れている聖神が、私たちに贈ってくれる至福です。寒風吹き抜ける鐘楼でコルニリイ神父が、暗い聖堂内でローソク係の修道士が、あらためて、またハッキリと確かめさせてくれた至福です。
 

(大修道院は外敵から身を守るために、その広大な敷地をこのような壁で囲まれています)

正教会のお葬式

 日本人に最もなじみ深いお葬式はいわゆる「仏式」のお葬式でしょう。祭壇に置かれたお棺を前に、僧侶が仏教の深遠な真理を記したお経を唱え、死者に真理の「悟り」を促し、「成仏」させます。「仏」とは「悟った者」という意味です。人は真理を知らないから迷い苦しむとされます。だから真理を悟れば救われるというわけです。

 これに対しキリスト教のお葬式、特に私たち正教会のお葬式は「祈り」です。
 私たち人間はたとえ真理を知っていても、真理を生きられません。自己中心的な生き方で神に背き、神が人に与え、その限りない深まりへとお招きになる、いきいきとした神との交わりの生活を失ってしまったからです。そこで、神はご自身のひとり子 を人としてこの世に遣わしました。ハリストス(救世主キリスト)です。悔い改め、信じ、洗礼を受けて、人となった神・ハリストスの人間性を分かち合い、人ほんらいの生き方を回復する道がさしだされました。この救いへの招きに応えたのがクリスチャンです。しかし、神に向かう者を妨げようと躍起になる悪魔の誘惑はまだ神への道の途上にあり、以前の罪深さの影響をひきずる私たちに、洗礼の後も罪を犯させます。クリスチャンは神の赦しを信じ、何度でも悔い改め、何度でも立ち上がりますが、完成への途上でこの世を去らねばなりません。もはや自分の口、自分の体で神に祈り、人生の歩みの中で悔い改めの実りを生み出してゆくことはできません。

 そこで私たちは、「愛」である神に、神への愛をもって、永眠者への愛に突き動かされて、そして、教会という「愛の交わり」の中にあって、祈ります。どうか、私たちの愛する永眠者の罪を赦し、あなたのみもとにしばし安らわせ、やがて世の終わりに実現される永遠の神の国に、輝かしい肉体をもってよみがえらせ給えと。
 これが葬儀や記憶祭など、正教会が死者の為に行う礼拝の意味です。

 永眠者の眠る棺は、永眠者が私たちの愛の内から、神の愛へとゆだねられ、引き渡されることを象徴して、参会者の中央に、神の臨在を示す至聖所(外部会場ではハリストスの聖像や十字架が置かれる方向)へ向けて置かれます。棺は神の国への旅を安全に守る船です。
 また祈祷中、参会者は、十字架で殺されたハリストスが三日目にその初穂として示し、やがて私たち神を信じる者すべてが与ることになる永遠の生命への復活を象り、立って祈ります。手に持つローソクは私たちの心に灯された信仰と、私たちを導く光・ハリストスを表します。
 そして何より、参会者が一体となって祈ることを通じ、永眠者と私たちが、やがてそこによみがえり、そこで再び手を取りあい頬を寄せ合う、神の国の愛の集いへの希望を確かめ合います。

平安にして出ずべし

聖体礼儀を生きる

                 (「福音と世界」2000年5月号に投稿)

    名古屋ハリストス正教会 司祭 ゲオルギイ 松島雄一

正教会の聖体礼儀

 クリスチャンは、「新たなる神の民」の仕事(リトゥルギア)として、ハリストスの死と復活を、そしてその「よみがえりの生命」を自らの生活の場で、自らの生活全体によって証しする。使徒たちは、主の死と復活の直接の目撃者としてその体験を証言したが、「見ないで信ずる者は、さいわいである」(ヨハネ20:29)と祝福される私たちは、ハリストスの体・教会にあって聖神(聖霊の日本正教会訳)の溢れの内にそれらを体験し、世に証しする。その体験の中心に、使徒たちから今日まで連綿と伝えられる聖体礼儀(リトゥルギア)がある。

 正教会では通常の主日・祭日には、四世紀のコンスタンティノープルの大主教金口イオアンに帰せられる「金口イオアンの聖体礼儀」が行われる。
 前半は、新約聖書の誦読・説教を中心とする宣教的な集いであるが、後半は、古代教会では信徒のみに参加が許された「神の民の宴」である。
 まずパンとぶどう酒が厳粛な聖歌に伴われ宝座(祭壇)に献げられる。その際の祈祷文は、ハリストスの十字架への自己献祭を記憶し、この自己献祭によって、人間の神への献祭(交わり)が再び可能となったことを告げる。次に教会全体が「ハリストス我らの内に在り」「まことに在り、また永く在らんとす」と、主にある愛を確認し合い、ニケア・コンスタンティノープル信経の歌唱によって信仰の一致、教会の一致を表明。この一致のもとで、感謝とともに、主の救いの業、すなわち籍身(受肉)、最後の晩餐、その死と復活、昇天と再臨が記憶され、いよいよ「聖神の降下の祈願(エピクレシス)」が祈られる。この時、献じられたパンとぶどう酒のハリストスの体血への変化が成就する。次に、この主の体血のもとで、生神女マリヤ、諸聖人、主教、国を司る者、信徒兄弟姉妹、とりわけ苦難にある者たちが記憶される。最後に天主経(主の祈り)が歌唱され、教役者・信徒は主の体血を領聖(聖体拝領)し、私たちが献げた地の実り(パンとぶどう酒)が、私たちが真に神の民にふさわしく生きるための糧(主の体血)として贈り返される。「すでに真の光を見…」と終末的な光栄に与ったことを感謝し、終結の祈りに入る。

神と人と世界との、交わりの回復

 この聖体礼儀は、教会の本質の表現でありその体験である。
 ハリストスの死と復活の記憶によって、私たちは教会を、主がもたらした「新しさ」・神の国として体験する。主教(もしくは司祭)に司祷され教役者・信徒がそれぞれの役割(リトゥルギア)を果たしつつ進行する奉神礼(リトゥルギア)によって、私たちは教会を、ハリストスに導かれた「神の民」の、この「新しさ」・神の国への歩みとして体験する。そして領聖によって、私たちは教会を、終末に約束される「新しさ」の成就、永遠の生命の溢れる神の国の味わいの先取りとして体験する。
 とりわけ領聖では、「肉体となった」「ことば」(ヨハネ1:14)が、現実に、そのお体と血を私たちのために「まことの食物」「まことの飲み物」(ヨハネ6:55)としてさし出され、神の救いの本質、その「新しさ」があらわにされる。
 すなわち、領聖を通じて人は再び神との交わりを回復する。私たちの食物・私たちの飲み物が神の体血となり、神の体血が私たちの食物・飲み物となり、私たちは神に生かされ、神に感謝し、神を愛し、神のために自己を献げる者となる。
 また、領聖を通じて人は再び互いの交わりを回復する。聖体礼儀に集う信徒が一つのパン・一つの爵から主の体血を分かち合うとき、そこには再び三位一体の神の似姿が回復する。即ち、自由と一致が互いを斥け合わずむしろ支え合う、真の「愛の交わり」が体験される。
 さらに領聖は私たちに、この物質的世界に新しい光を投げかける。パンとぶどう酒がそのままに神の体と血であることは、人間の神への離反によって失われてしまった、物質的世界への神の祝福の回復である。
 これらの三つの回復が人間的努力の功績や報酬としてではなく、神の恵みとして与えられた。この福音を、私たちは領聖という「領ける」行為の中で、神学的思弁や、「信じ込み」や、聖書の使信への単なる承認としてではなく、人間存在全体をあげて関与する現実として「体験」する。

日常生活への派遣

 聖体礼儀の終結の部分で、司祭は会衆に向かい「平安にして出ずべし」と宣言する。これは、日常の煩いから奉神礼(典礼)の「美」に逃避してきた者たちがいわば精神安定剤的に陶酔する「宗教的平安・祭儀的神秘」への祝福ではない。逆に、逃避することなく日常生活の中に、この平安、即ち聖体礼儀が証しした神と人、人と人、人と世界の三つの回復(和解・平安)を携えて出てゆき、日常生活そのものをこの「平安」に満たされた神の国の新しさに変容せよという派遣の宣言である。聖体礼儀の中で喜びとともに確信された福音は、それぞれの日常生活の中で平安・和解・回復として具体化されてこそ、真に証しされる。
 すなわち、クリスチャンは「自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従う」(マルコ8:34)生活を通じて、聖体礼儀で体験した神との交わりを具体化する。あらゆる行為や思いが、神との交わりに向かうものか、そこから離れるものかという眺望のもとで、取捨され、生活の一切が神への献げものとなる。
 また、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」という戒命はさらに「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」(マタイ22:39)という戒命に具体化される。ハリストス・神の愛によって、できないことを要求し人に自己定罪を強いる律法が廃棄され、人は愛することのできる者へと回復された。この回復を聖体礼儀で体験した私たちは、それぞれの生活の場で実践される愛を通じて、その回復が現実であることを示す。ハリストスの救いは、互いの分かち合いや相互理解への苦い断念とともに「自己性」の中に断片化されてしまっていた「個人」の群れが、再び「私たち」へと集め直されたこととも言えよう。クリスチャンはこの救いを、「互いに愛し合う」(ヨハネ13:34)ことにより、愛の断念の中で呻吟する「この世」に告知する。
 また、互いの愛の内に、主の愛を聖体血=パンとぶどう酒として分かち合った私たちは、日々の食べ物を、生きる環境を、互いの身体を、この世界全体を神から贈られた神との交わりの媒体として捉え直さねばならない。人はこの世界を、自らを神とする自己完結的な生き方の「資源」として神から横領し続けてきた。自分の身体を自分の専有物と見なすことから、喫煙、薬物、暴飲暴食、ギャンブル、暴走、性の逸脱等による自己破壊が始まる。世界を人のための独占的な資源と見なすことから、環境破壊が始まる。まさにアダムが神に背いた結果「地はいばらとあざみを生じ」(創世記3:18)不毛となった。しかし今や人が神との交わりを回復することを通じて、「実に切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んで、…共にうめき産みの苦しみを続けて」(ロマ8:19)きた被造物全体が、その本来の光輝を回復する。パンとぶどう酒という「物」を神の体血として体験する私たちクリスチャンこそ、聖体礼儀でパンとぶどう酒へ示したのと同じ畏れと敬虔な関わり方を、人と物の関わりの中に再構築し、この回復を証しする。
 これら一切がクリスチャンのこの世でのリトゥルギア(仕事、務め、奉仕)である。このリトゥルギアは聖体礼儀(リトゥルギア)と不可分にして一体である。

リトゥルギアからリトゥルギアへ

 さて、しばしばローマ教会と正教会の違いの一つに「いつ聖変化がいつ起きるか」への理解があげられる。ローマ教会が「これ我が体…」という制定句が唱えられる時とするのに対し、正教会は制定句の後の(ローマ教会のミサにはない)「聖神降下の祈願」(エピクレシス)の時と主張していると受け取られることが多い。しかし、これは正確ではない。正教会の機密(秘跡)論は本来、機密を構成する諸要素の一部分だけを取り上げて機密全体の本質を規定したり、機密の有効性を論じたりはしない。「エピクレシス」の瞬間は確かに決定的な瞬間である。しかし、それはエピクレシスが祈願された瞬間に、今までただのパンとぶどう酒であったものが、ハリストスの体血に魔術的に変化するということではない。むしろエピクレシスの時に、聖変化が「成就」するのである。
 聖体礼儀は「父と子と聖神の国は崇め讃めらる」という司祭の高らかな宣言、それに対する会衆の同意から始まる。教会・聖体礼儀という「船」は、この世を離れて、「父と子と聖神の国」、「三位一体の神の国」へ向かって旅立つ。私たちとともに、献祭されたパンとぶどう酒もこの船に乗って、この世にありながらこの世を離れて神の国の次元に高められていく。この上昇の過程そのもの、聖体礼儀全体が聖変化の成就へ向けての過程として、理解されねばならない。
 しかし聖体礼儀を真に神の民の唯一の使命(リトゥルギア)として、また教会の世界への証しとして体験する者は、もう一歩踏み込んで言う。聖体礼儀最後の「平安にして出ずべし」によってこの世に派遣され、この世での働き(リトゥルギア)が再開される時から、実は既に次の聖体礼儀での聖変化は準備され始めるのだと。
 信徒はその生活全体を奉仕(リトゥルギア)として神に献げ、そのリトゥルギアは聖体礼儀に献げられるパンとぶどう酒に集約され、パンとぶどう酒はこの世のそれぞれの場から集められた信徒全体の祈りと一つになり、教会の献げものとして、神に受け入れられ、祝福され、神・ハリストスの体血として与え返される。与え返された信徒は再び、「平安にして…」とこの世に派遣され、その恵みを一層豊かにこの世でのリトゥルギアの中で育て、再び次の聖体礼儀に献げものとして携える…。聖体礼儀の行われる主日はまさに成就の日、第八日であり同時に開始の日、第一日である。回復された神との交わりとはこの全体であり、決して祭儀的神秘の中での特殊な「霊的体験」ではない。クリスチャンは聖体礼儀を日々生きる。

終わりに

 現代正教奉神礼神学の泰斗アレキサンドル・シュメーマン神父はこう言う。
 「自らを『聖神の宮』とするためには、ハリストスが昇っていった天に自らも昇ってゆかねばならず、また、この『昇天』こそがこの世への伝道と職務のまさに前提条件である。これは初代教会信徒にとって自明なことだった。その『天』で、彼らは、神の国の新しい生命の溢れに浸された。この『昇天の奉神礼』からこの世へ戻ってきた彼らの顔には、神の国の喜びと平安が輝き、彼らはその真の証人となった。彼らは何の『改革へのプログラム』も『理論』も携えて行かなかった。しかし、彼らが赴く所ではどこでも、神の国の種子は芽を出し、信仰の灯がともされ、生活は変容され、不可能が可能となった。『この光はどこから来るのですか。どこにこの力の源があるのですか』と尋ねられたなら、彼らは確信を持って答えたであろう…」。("For the Life of the World" SVS Press 1988 p.20)
 その答えが「聖体礼儀」であることは言うまでもない。そしてそれは、揺るぎなく、「今もいつも世々に」変わらない、正教会の答えである。 

正教会の祭服

  ミラリキヤの大主教奇蹟者ニコライ、肩に掛かっているのがオモフォル

その意味と機能 正教時報連載
コンスタンティン 桝田尚 神父
ステハリ(祭衣) ミトラ、カミラフカ、クロブーク、スクフィヤ
オラリ(大帯) フェロン(祭袍)
ポルーチ(套袖) マンティヤ(長袍)
エピタラヒレ(領帯) サッコス(聖衣)
ポヤス(腰帯) オモフォル(肩衣)
パーリッツァ(方佩)とナベトロニク(股衣) オルレツ(鷲氈)とジェーズル(権杖)


輔祭の祭服


司祭の祭服

主教の祭服

1、祭衣(ステハリ)

 至聖所で務めをなす神品と教衆(副輔祭、諦経者、堂役)は、聖務に参与する際には必ず定められた衣服を身につける。この衣服を祭服とよぶ。

 祭服は、本来人間には近づき得ない神の奥妙な働きに参与することができるよう、特別な恩寵が聖務者を被っていることを、眼に見える形に現したものである。祭服はたんなる装飾を目的に身にまとうのではなく、会衆に対しては、神・聖神(聖霊)の不可視な働きが実在することを知らしめるため、着る人にとっては、自分が奉事にたずさわるために特別な神恩と守護をいただいていることを、自覚させるためのものであるといえる。祭服のそれぞれの部分は、着る時に必ずその目的に見合った祈祷文がとなえられるが、その内容は、各々の部分にどのような形で恩寵が作用しているのかを、よく示している。

 祭衣(ステハリ)は祭服の中で最初に身につけるものであり、堂役から主教まで、至聖所に務める人なら誰でも例外なくこれを着用しなければならない。ステハリとは「列、線」を意味するギリシャ語の「スティフォス」が語源の名称で、ここから神の恩寵がまっすぐにその人に注いでいることを意味する。初代は純白もしくは銀系の着物が多く用いられ、聖務者の潔白をあらわしていた。しかし4世紀に正教がローマ帝国の国教となり、その後の年間奉事の充実化と拡大に伴い、各祭日・祭期の意味を表すのに適した色彩のものが使い分けられるようになる。今日一般的なものは.金系、白系、赤系、青系、黒系、緑系、紫系、などで、場合によっては橙系やベージュ系が使用されることもある。教会暦に従って、その時期に適切な色彩のものを着分けるようになっている。中でも大斎期に使用される黒系や、復活大祭期に用いられる赤系は日本でも定着しており、なじみの深いものとなっている。ステハリを身につけるには、着用に先立ってまず、主教、あるいは司祭から祝福を受け、高座に向って三度叩拝し、そのつど「神よ、我罪人を浄めて我を憐れみ給え」と黙誦する。ついで「我が霊は主の為に喜ばん。蓋彼は我を著するに、救いの衣をもってし、我を服するに楽しみの衣をもってせり。我に栄冠を戴かせしこと花婿の如く、我を美しく装いしこと花嫁の如し。」との祈祷を献じ、着る。

 これは、至聖所に務める者が自分自身で身を潔めるのはもちろんだが、神の恩寵によっても潔められて、はじめて聖務にのぞめることを意味している。ステハリは、これを着用する人が、神意を伝える神使の役目を担っていることを象るもので、無血の奉事によって人々に生命をもたらす神の意志に、神使のようにくもりのない心で自らも同意していることの表明である。その人の動作や祈りを通して、この世で神の光栄が遣わされるという、大いなる喜びと賜が与えられたことの具体化であるといえよう。

 なお、司祭と主教が身につけるステハリは薄目で、袖がひもで巻いて固定するようになっている。これは特に、祭袍下着(ポドリスニク)とも呼ばれている。

2・大帯(オラリ) 

 オラリは副輔祭以上の教役者が身につけるもので、日本語では「大帯」、「聖帯」と訳される。その名の通り、人の身長の二倍ほどもある長い帯である。
 ステハリは、アルタリに入るための神恩を受けていることの証であったが、オラリは祈りを通して神に働きかけるために使用されるものである。オラリの語源であるギリシャ語の“オラリオン”は、「祈る。口で唱える」を意味し、天上の宝座の周りで絶えず神への賛美を捧げている、神使セラフィムの翼を象ったものである(イサイヤ6:1-3)。このことから、これを着用する者が神の傍らで奉仕できる、高位の神使の如き立場にあることを表している。
 オラリは輔祭にとって、文字通りその聖職を表す翼であって、オラリなくして輔祭は聖務に携わることはできない。このことは副輔祭も同様だが、副輔祭のオラリは体にたすき形に巻きつけて使用される。これは、光栄の司祭長イイスス・ハリストスの両脇で翼をたたんで跪いている神使を象っており、このことから副輔祭は司祭長(主教品)のそばで勤めを果たす者となった。又、オラリはステハリを着ずして着用されることはない。このことは、輔祭と副輔祭は神恩の担い手ではなく、祝福を受けて始めてその責務を十全に全うすることができる立場にあることを示している。
 尚、主教と司祭が身につけるエピタラヒレもオラリの変形とされるが、さらに別の意味が加味される。

3、套袖(ポルーチ)

祭服は神の働きに参与する為に身にまとうものであり、装飾や演出といった世俗的理由に基づいて使用されるわけではない。現在の形も、神の光栄を顕すにふさわしいものを追い求めた試行錯誤の結果なのである。その下地には、使徒達が旧約律法から受け継いだヘブライの伝統が常にあった(出28章)。
 しかし一方で、聖務に粗相無くスムーズに行い、適材適所で着けはずしする便利さという、現実面に即した要素も考慮されてきた。祭服について述べる時、常に信仰上の意義、実際面、歴史的背景という三つの側面から考慮する必要があるのは、こうした理由による。
 套袖(ポルーチ)は、実務的には機密の執行に粗相のないよう、袖を固定するためにつけられるものであるが、機密執行にたずさわる者とそうでない者、つまり神品と教衆を聖別するものでもある。これをはめない副輔祭、堂役等は、宝座や聖器物に直接手を触れることはない。歴史的にはイイスス・ハリストスが受難にあった際、両手にはめられた手錠を象っている。万物を創造した神の手が罪人を縛る手錠に収まったという、計り難い謙遜を表しているのである。同様にこれを着ける者も、神の謙遜に倣って身勝手な動きをすべきではないとされる。手は、働きを表すからである。宝座に触れる事ができる者がその為の神恩を手に宿している事の有形化なのである。そのことは、套袖を実際に着用する時の祈祷文にもよく表れている。 

(右手)
主や、汝が右の手は力に依りて光栄を顕わせり、主や汝の右の手は仇を破り、汝が光栄の大いなるを以って敵を滅ぼせり。

(左手)
汝の手我を造り、我を設けり、我に悟らせ給へ、我汝の誡めを学ばん

ここで強調されているのは、神の救購と創造の御業である。救購と創造は、創世以来現在に至るまで一貫して示されてきた、聖三者の働きである。機密を通して、今もその御業が顕れている。機密とは、聖三者の御業が今も人々を救い、神の子へと再創造している証なのである。套袖は、救世主に倣う謙遜があって始めて機密執行に参与できる神恩が、その手に宿ることを表しているのである。神品の手に信者が接吻することは、その手を通して救購と創造の御業が現れていることへの敬意に他ならない。套袖は、それをはめる事によって、神品に対しては主に倣う謙遜、信者には聖務者に宿る神恩を明示しているのである。

4、領帯(エピタラヒレ)

神は崇め讃めらる、蓋彼はその恩寵をその司祭に流すこと、芳しき膏が首にありて、髯即ちアーロンの髯に流れ、其衣の裾に流るるが如し。
(エピタラヒレ領帯を着ける時の祈祷文)

 祭服は、どの部分であっても神恩を目に見える形に表したものである、という点で共通している。祭服の中で信仰上の意味と関連付けられないものはないが、身を守る、防寒、動きやすくするためなど、実際面や歴史的背景なども重要な要素である。しかし中には、ほぼ純粋に信仰的意味のみを表現したものもある。領帯や肩衣(オモフォル)はその代表である。
 領帯は機密執行者である主教と司祭が身につけるものである。9世紀頃までは、オラリを首に巻いて使用する形のものも存在した。そのためこの祭服はオラリの変形であり、輔祭の二倍の恩寵が司祭に降っていることを顕す、と説明される。しかし、この祭服にはもっと深い意味もある。
 まず第一に、領帯は肩ではなく首に前掛け状に装着される。これは領帯をつけるときに唱える祈祷文にあるように、豊かな神恩が流れている事を意味すると同時に、機密執行者が背負うくびきをあらわしている。オラリには、このくびきを意味する要素は希薄である。
 第二に、領帯はオラリと違ってほとんど動かしては使用されない。領帯に動きが伴うのは、罪の赦しや、神恩が降ることを明示する時のみである(痛悔や婚配機密の時など)。それを暗示するように、主教・司祭は祈祷中輔祭・副輔祭と違い、祝福を降す時以外あまり発声したり、動き回ったりしない。そのかわり、黙誦による祈りが多くなる。この黙誦は神と人の奥密な接点となる非常に重要なもので、祈祷中大切な箇所に差し掛かるほど多くなる。これは、特に聖体礼儀において言えることである。教会の生命の源は、機密執行者が人知れず交わす神との対話の結果、もたらされるのである。オラリは物理的な動き・発声に伴うものだが、領帯は目に見えない霊的な動きと祈りに伴うものであるといえよう。このように、領帯はそれを着ける者が、神と人の仲立ちにあることを明らかにするものなのである。機密執行こそ教会の生命の源泉である事を考えれば、領帯は全ての祭服の中で最も重要なものであるといえるであろう。主教・司祭とそれ以外の聖務者の違いとは、神恩を降す者と受ける者の違いであるといる。領帯は、機密執行者とそれ以外の人を聖別する、恵みと重荷を同時に表している。事実、司祭はこの領帯なくしてどんな聖務も行うことはないのである。

5・腰帯(ポヤス)

あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる。私にこたえよ。私が地の基をすえた時、どこにいたのか(イヨフ記38章3-4節)。

 この箇所は、旧約聖書の「イヨフ書」の中の一節である。多くの苦難の前に意気消沈していたイヨフに対し、神が語られた言葉である。神は死を願うイヨフに対し「帯を締め直し」、しっかり面と向かって問いに答えることを求める。もっとも大いなる方と直接向き直るに先立って、神自ら、帯を締めて勇ましくある事を命ずるのである。
 イスラエルに限らず、パレスティナでは重大な事(多くは宗教的行事)に携わる時、必ずといってよいほど腰帯を締める習慣があった。それは旧約律法の奉事規定にも明示され、厳格に守られた(出28:4、29:9)。このことは、イスラエルの伝統の上に花開いた、教会の奉神礼にも言えることである。腰帯は、そのままの形で残っている物としては、祭服の中で最も歴史の古いものの一つなのである。
 このように腰帯は、実務的には他の祭服を固定し、聖務の邪魔にならないようにする為の物だが、信仰的には自らの姿勢を正して神と向き合う決意の現れである。このことは、腰帯を装着する時の祈祷文にもよく表れている。

 神は崇め讃めらる、蓋し彼は力を持って我に束ね、我が為に正しき路を備う。我が足を鹿の如くにし、我を高き所に立たしむ。
(ポヤス腰帯を着ける時の祈祷文)

「正しき路を備える」とは、救世主が籍身する事で明らかにした神とひとつになる路に他ならない。この祈祷文は、ポヤスを着ける者が救世主と似る者となり、人々が正しい道を歩むための、水先案内人となるべき立場にあることを著している。聖務者がしっかりと神に向き合う姿を見る事で、参祷者もそれに倣う関係を意味している。「高き所に立たしむ」とは、司祭が信者の模範者として見られる存在である事を明示するものなのである。
 腰帯を身につけるのは、機密執行者である主教・司祭のみである。しかも、重要な祈祷に向けて完装する時のみ装着される。それは聖体礼儀(あるいはそれに付随する祈祷)の時に他ならない。聖体礼儀にこそ、機密執行者の本領が発揮されるからである。

6、方佩(パーリツァ)と股衣(ナベトレニク)

 祭服の中には、その前身が元々体を保護する、手を洗う、防寒目的と言った、実用性が動機となって身に着けられていたものがあった。始めそれらは単なる備品に過ぎなかったが、時代が経るにつれ、実用目的が薄れて神学的意味づけがなされ、聖別された祭服の一部として残るに至った。この背景には、どんなものでも神の光栄を顕すものに変容し得る、と言う聖使徒が救世主から直接受け継いだ教えがある。正教会で使用される祭服を特徴づける点のひとつとして、元々この世の物でありながら、神の光栄を顕す物に「変容させられた」結果である、と言う要素があげられる。たとえ合理的目的が失われても、歴史性と福音的意味を今日まで伝える物として残される。これは、奉神礼そのものについても言えることである。祭服を身にまとう事は、いわば教会の歴史そのものを背負う事の証と言える。今回紹介する方佩(パーリツァ)と股衣(ナベトレニク)も、そうした祭服のひとつである。

 方佩と股衣は、元々神品が祈祷中に手を拭く為に用いた布であった。特に主教品は聖体礼儀中に何度も手を洗うが、身につけた布で手を拭くという発想が生まれたのも、祈祷を粗相なく、速やかに行うためであろう。一説によれば、膝立ちの姿勢で祈る時、床にひく座布団の役を果たすものもあったらしい。後代になってこれに聖書的意味が加わり、ハリストスの裁判の時、ポンテイィ・ピラトが手を拭いた布を象る(マト27:24)、とか、聖体機密制定の時、晩餐前に主が弟子達の足を拭ったタオルを象るもの(イオ13:3-5)、などとされた。しかし、本当の意味で神学的意味づけがされていったのは、14世紀頃である。
 方佩と股衣が同じ前身であった事は、身に着ける時の祈祷文が共通である事からも理解できる。

剛き者や、爾の光栄と爾の美麗たる爾の剣を股に佩びよ。此の飾りにて、真実と温柔と義との為に急ぎて車に乗れよ。爾の右の手は、常に爾の奇妙なることを顕さん、今も何時も世々に、アミン。
(パーリツア方佩とナベトレニク股衣を着ける時の祈祷文)。

 「剛き者」とは、教会を悪から守る立場にある者―主教品―を指し、剣はその為の武器「聖神(聖霊)の剣」である。したがって、方佩は元々主教品の祭服の一部であり、主教品は完装の時必ずこれを身に着ける。しかし後代、功労に応じて司祭品にも与えられるようになった。功労の証と言う点では、股衣も同様である(現在、ギリシャ正教会は股衣を用いていない)。股衣は司祭に対し、方佩は長司祭に対し授与され、前者は左側に、後者は右側に腰を被う形で装着される。いずれもこの世の様々な誘惑や障害から、真実の信仰を守り抜いてきた勝利の印として与えられるものである。このように方佩と股衣は、司祭品にとっては必ずしも必要不可欠な物ではないが、徳の高さや、長年月教会に奉仕してきた尊敬と敬意を表すものとして、尊重されている。それは、機密執行者が教会の歴史を背負いつつ、「真実と温柔と義」を守る者である事の自覚と表明の具現化なのである。

7、王冠(ミトラ)、円帽子(カミラフカ)、修道帽(クロブーク)、球帽子(スクフィヤ)

 前回のナベトロニクとパーリツァの回でものべたが、司祭・輔祭はその功労に応じて特別の栄誉を主教品から与えられることがある。これは大別して、長司祭(長輔祭)・首司祭(首輔祭)といった無形の称号として与えられるものと、有形のものを通して与えられるものとがある。後者の場合、奉神礼の時に身に着ける特別な祭服と言う形で与えられる。今回説明する円帽子(カミラフカ)と王冠(ミトラ)もそのひとつである。
 カミラフカは、長輔祭・長司祭に与えられる円筒形の帽子である。祭服とは言っても、頭にかぶると言う点で他のものとは大きく異なっている。かぶる、という性質上よく目立つものだが、実はハリストスが言われた「大いなる者となりたいなら、まず人に仕えるものとなりなさい」という教えの現れであり、謙遜さを明示するものである。従って円帽子は神品だけでなく、修道請願をした者も普通に身に着けるものである。修道士がかぶる円帽子は妻帯神品のものと異なり、色が黒く、背面が薄い布で覆われている。これは特に修道帽(クロブーク)と呼ばれ、元々はイイスス・ハリストスが十字架刑のときにかぶせられた、茨の冠を象るものである。修道者はこれをかぶる事よって、全生涯を通じて主の受難を分かち合うのである。修道士がかぶるところから、主教品もこれを身につける。これが奉神礼において正装する時、王冠(ミトラ)と呼ばれるきらびやかな冠となる。ミトラは万有の王、イイスス・ハリストスの光栄をあらわしており、主が世をさばく王である事を表す。最も貧しい者となられた者が、最も高貴な方へ変容するのである。王冠も円帽子も、この世の貧しさを神の国において富める者へ変容させる、神の力をよく顕しているといえる。それは、謙遜さこそが救世主と光栄を分かち合うにふさわしい資格であり、この世で追うべきくびきの象りなのである。
 一方、奉神礼執行時以外に、神品や修道者が日常出歩く時にかぶるものもある。これは球帽子(スクフィヤ)と呼ばれ、なだらかな円錐形をしている。

8、祭袍(フェロン)

 祭服はどこに装着するものであっても、歴史的過程をさかのぼってゆけば、イイスス・ハリストスにたどりつく。祭服について述べる上で歴史的背景が非常に重要となるのも、それが啓示に属するものだからである。祭服も教会の聖伝を担うものである。今回紹介する祭袍(フェロン)もその例外ではない。
 フェロンは司祭品が一番外側に身につける、袖と縫い目のない外衣である。たいていの祭服の部分(パーツ)は、聖務者が奉神礼を粗相なくすみやかに行う為の工夫が凝らされている。ところが、フェロンは逆に身動きを抑制するかのように、司祭の上半身を包む形で装着される。それはこの祭服が、機密執行者がこの世で担う重荷を象っていることに関係している。
 フェロンの原型は、主イイススがポンティ・ピラトから有罪判決を受けた際に着せられた「鮮やかな色の上着」を象ったものであった。この上着を着せられたイイススは頬を打たれ「ユダヤ人の王慶べよ」と、嘲笑された(イオ19:1-3、マト27:28-30他)。旧約時代から、罪に支配されたこの世で義人といわれる人々が背負う苦難の重さは、聖書が示唆する大きなテーマであった。旧約聖書中の「イオフ記」はこれを中心的テーマとして扱ったものだが、旧約時代はこうした義人たちの苦難に対する明確な回答が出されるに至っていない。しかしこの義人達の苦難は、今や籍身した神自らがこの世で苦難を背負われた事実と、その結果もたらされた復活によって明確化されている。主とともに背負う苦難は、最早神の国で光栄が約束される前提なのである。この事は、フェロンが重荷の象りであるにもかかわらず、身に着ける時の祝文が歓喜の明示となっていることからもうかがい知れる:

主や、爾の司祭等は義を衣、爾の諸聖者は常に悦ばん、今も何時も世々に、アミン。(フェロン祭袍を着用する時の祝文)

 主が背負われた重荷=十字架をともに分かち合う事は、信仰者の誉れである。このようにフェロンは、機密執行者がこの世で義人・諸聖人、そして主イイススとともに十字架を分かち合っている事の現われなのである。
 尚、フェロンは元々司祭だけでなく主教品も身につける祭服であった。これが現在のサッコスの前身である。このことは、フェロンとサッコスを着用する時の祝文が共通であることからもうかがい知れる。サッコスは、現在の形になるまでの歴史的変遷過程が非常に複雑である。

9、長袍(マンティヤ)

 司祭品が聖体礼儀において身に着ける祭袍が、イイスス・ハリストスが受難の時に着せられた「鮮やかな上着」を原型としていることは、前号においてすでに述べた。この十字架の分かち合いを日常生活から求める修道者は、普段からこれを身に着ける。ただし修道士が日常身に着ける上着は、司祭品が奉神礼執行時に着用するものと異なり、黒色で体全体を蔽う長い上着となっている。これは通常長袍(マンティヤ)と呼ばれる。したがって、マンティヤもフェロンも元々同じ原型を持ち、しかも初代教会時代から用いられていたものであった。この事は、聖使徒の証言からもうかがい知れる。ティモフェイ後書4:13で使徒パウェルが述べている「外服(マントール)」とは、現代のフェロン、ないしはマンティヤの事をさしている。ハリストスの苦難をこの世の生活において分かち合うことは、時代がどんなに異なってもけして変わることがない事を知ることができる。
 修道士が身に着ける所から、当然主教品もこのマンティヤを着用する。ただし主教品が身につけるマンティヤには主教がはたすべき義務である「牧会者」「教導者」「奉神礼主管者」に対して、神の恩寵が降っている証である三本の線が入っている。さらに胸元には、旧約と新約を表す長方形の固い布が貼られている。マンティヤによって示されるイイススの受難・復活こそ旧約・新約両方の聖書が示唆する主題である事を表現している。主の十字架をともに分かち合っている証であるマンティヤにこれが貼られる事で、主教品が旧約と新約をともに司り、その真意を伝える責務を担っている事を示しているのである。
 尚、ロシヤ正教会では主教品が着用するマンティヤを管轄区の大きさによって主教・大主教=紫、府主教=水色、総主教=緑、と言う形で色分けしている。

10、聖衣(サッコス)

主や、爾の司祭等は義を衣、爾の諸聖者は常に悦ばん、今も何時も世々に、アミン。(サッコス<聖衣>を着用するときの祈祷文)

聖衣(サッコス)は、主教品が身につける、ステハリによく似た形をした丈の短い上着である。すそには聖使徒達の宣教の声を象る鈴がつけられ、主教品が聖使徒の継承者であることを表している。聖衣は、もともと司祭品の祭袍(フェロン)や長袍(マンティヤ)と同じ起源をもつものであった。したがって、その信仰的意義もほぼ同じものであると言える。事実、初期教会においては主教品も現在の聖衣ではなく、司祭品と同じ形態の祭袍を普通に身に着けていた。主教品であった聖人がイコンの中でフェロンを着て描かれるのもその為である。聖衣は始め、総主教のみが身に着けていたようである。初期の時代、主教品が着用するフェロンには十字架が一面に描かれ、司祭品のものとは区別されていた。これは「ポリスタブリオン」と呼ばれ、現在も修道院の中で見られる。主教候補の掌院(アルヒマンドリト)や、修道院長などの指導的立場にある修道士が身に着けるのである。現在の聖衣は、古代のビザンティン帝国の皇帝が着用していたものに形態が近く、それがいつから主教品の祭服となっていったかは定かではない。いずれにせよ聖体礼儀において、屈辱の証であった「鮮やかな着物」をかたどるマンティヤを身につけていた主教品が、王の着物であるサッコスに着替えるのは、とても印象的である。「権ある者を位より退け、卑しき者を挙げる」(ルカ2:52)神の力が、目に見える姿で顕されているかのようである。どんなに形が変遷してきらびやかになろうとも、サッコスは主教品の尊徳を表明するものである事に変わりはない。それは、主イイススの謙りとの一体化であることに他ならないのである。主教品の尊徳とは、自らの生涯をかけて神が背負った苦難を分かち合う事に裏付けされているのである。この尊徳の証である聖衣の上に、さらに主教品は神の牧群の徴である肩衣(オモフォル)を背負う事になる。

11、祭服十一、肩衣(オモフォル)

斯くの如く爾の光りは人々の前に照るべし、彼等が爾の善き行いを見て、天にいます我等の父を讃栄せん為なり、今もいつも世々に、アミン。 爾の光よろしく衆人の前に輝き、爾の善行を見て、爾が天にいます父に光栄を現さんが為なり、今も何時も世々に、アミン。
(肩衣【オモフォル】着用後、主教品の完装終了の後に唱えられる祝文)

教会の神品職(イエラルヒヤ)は、長い歴史の中で必然的に形成されていったものである。それが人工的・意図的なものではなかったことは、新約聖書を読めばすぐに分かる事である。とりわけ主教品の選立と生涯には、人の判断では計り知れない神の摂理が働いている事をしばしば感じさせる。主教品がまとう祭服は、そこに降り注ぐ神の照管を目に見える形で現しているのである。

肩衣(オモフォル)は、主教品のみが身に着ける、幅の広い、長い帯状の形態を持った祭服である。形態的にはオラリと大変よく似ているが、その信仰的意味は全く異なったものである。肩衣以外の主教品が直接身につける祭服は、同じく機密執行の恩寵を与えられた司祭品のものと重複するものが多い。多少形態が異なっても信仰的意義は共通である。だが、肩衣のみは主教品以外の聖務者が身に着ける事はけしてない。肩衣は主教品の職掌をもっとも顕著に現すものであり、他の祭服にはない多くの意味を含んでいる。事実、主教品はどの公祈祷においても肩衣なくしてたずさわることはない。特に聖体礼儀や神品機密等で主教品の権能が顕れる時、肩衣は顕著な形で用いられるようになる。

肩衣こそ、主教品が聖使徒の継承者であり教会を背負う立場にあることを目に見える形で表した祭服なのである。歴史的に見ても、肩衣は祭服の中で最も古いもののひとつといわれる。肩衣を身に着けた主教品は、羊飼いが羊を肩に背負った姿を現していると言われる。そのため、古い肩衣には羊毛を植え込んで織った物もあった。これは自らを「善き羊飼い」(イオ十:一-二十一)と喩えたイイスス・ハリストスの姿を象るものであり、主教品が神の牧群である教会を背負う者である事を意味する。牧者がいない羊の群れが散り散りになって失われてしまうように、主教品がいない教会もけして存在し得ないのである。聖体礼儀において、主教品は特に主イイスス・ハリストスを象る時にこの肩衣を身に着ける。

主教品が教会においてイイスス・ハリストスを現しているというのは、たんなる象り以上の意味を持っている。それは、主が信者のために神・父に祈りを献じたように(イオ17章)、主教品も自らの祈りと生涯を神に捧げる者である。聖像画の中には主教品と同じ祭服姿の救世主がしばしば描かれるが、これは神・父に対する従順さと言う点において、救世主と主教品がひとつである事を示しているからなのである。直、現在の肩衣には長い物と祈祷中の脱着に便利な短い物の二種類があるが、信仰的意義は全く同じである。前者は聖体礼儀の始まりの完装時に装着され、使徒経の読みの前にはずされる。信者の聖体礼儀において数度にわたって肩衣の脱着があるため、より実用的な短いものを用いるためである。

12、オルレツ(鷲氈)とヂェーヅル(権杖)

 主教品は公奉事において、その職掌を表す為にいくつかの備品を身につける。これ等の中には必ずしも祭服と呼べないものも多くあるが、いずれも主教品が持つ権能を、人々に向けて明示する働きがある。その代表的なものといえるのが、鷲氈と権杖である。鷲氈は、主教品が立つ時に足元にしく円形の絨毯である。表面には教会を中心とした街の上空に、鷲が翼を広げて飛んでいる図柄が織られている。聖書の中で鷲は、神の権能と救い神秘さの象徴としてしばしば登場する(出19:4、聖102:4等)。鋭い視力で万事を見通す視力は神の目を思わせるが、主教も自分が司牧する教区とそこにいる信者に対して、鷲のように隅々まで目を行き届かせ、神より依託された権能を行使する者である事を表しているのである。一方権杖は主教品の司牧権を表す杖である。元々は、羊飼いが羊を牧する為に使用していた杖が原型とされる。主教叙聖が終わった後、新しく主教となった者はすぐに主教の祭服を着せられるが、権杖だけはすぐには授与されない。叙聖式のあった聖体礼儀終了後、改めて主教職の重みを説かれた後、最後に手渡されるのである。この権杖を渡されて、初めて新主教は人々を祝福する事が許される。この事は、主教の祝福が信徒の司牧と深い関わりにある事を示している。主教が行使する権能とはただの権力ではなく、祝福の担い手として、司牧者としての慮りの中に明らかにされるものなのである。このように、鷲氈も権杖も祭服でこそないが、主教品が担う重責と権能をよく表す物として尊重されている。尚、ロシヤ正教会では防寒の為、権杖にスゥオックと呼ばれる覆いを用いる。権杖は主教候補の掌院(アルヒマンドリト)も手にするが、主教品のものとは形が若干異なっている。主教品の権杖には、頂上に全信徒の道標である主の十字架がつけられている。

聖体礼儀のお話

「聖体礼儀のお話」はアメリカ正教会が子供たちのために制作した聖体礼儀解説書であり、日本正教会東京大主教区が1976年に訳出して冊子化したものです。子供向けとはいえ、正教の奉神礼に始めて触れる人々、また幼いときから親しんできたものにとっても、聖体礼儀の本質を平易かつ本質的に伝えるものとして、大変有益なものです。



聖体礼儀のお話

教会に行きましょう
神の家、聖堂について
至聖所
奉献礼儀
神の国への旅行
信徒の祈り、連祷
幸せの歌ーアンティホン
第2アンティホン
幸福な生活の法規、真福九端
10 ハリストスの行進、小聖入
11 神の言を聞く、準備
12 福音書と使徒達の書物、使徒パウェルのこと
13 良き知らせ、福音
14 大聖入、信者の聖体礼儀
15 領聖準備、愛について
16 領聖準備、信仰の表明
17 親しみの捧げもの
18 ハリストスの贈物
19 神の母マリアと諸聖人の記憶
20 「天に在ます」のお祈り
21 神の贈物、領聖
22 平安と感謝、聖体礼儀の終わり
23 復習
24 小さなハリストスになりましょう