名古屋正教会

Nagoya Orthodox Church

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各地の会報から

日本各地の正教会の会報から、管轄司祭のおゆるしを得て

啓蒙記事、話題等を転載させていただきました。

信念・信心・信仰 足利ハリストス正教会 会報より
教会ってどういうところ 石巻ハリストス正教会 会報より
教会ってどういうところ続き 石巻ハリストス正教会 会報より
赦罪の晩課 ニコライ堂だより より
至聖三者修道院での研修 正教時報 より 
六千人の命のビザ ニコライ堂だより より

正教の霊的勧告集

 「教役者の座右の書」として知られる「神の役者」は、明治40年「正教新報」616号から632号にかけて松本駄谷によって翻訳連載されました。この書は一名「任意の殉教」とも呼ばれ正教会聖職者の心得とすべき金言を、福音書、使徒書、聖師父たちの書から集めたものです。その中には一人聖職者のみならず、すべてのクリスチャンが祈りとともに常に念頭におくべき勧めがたくさん含まれています。

 その滋味を噛みしめるためにも、ほぼ原訳通りに、少しづつ掲載していきたいと思います。


謙遜は凡(およそ)の徳行の基礎なり。
謙遜とは啻(ただ)に言行に於いてのみならず凡の動作及び口気に於いて謙遜なるを指す。
或る者に対して謙遜にして他の者に対して倨傲なるなかれ。
その友たると敵たると貴人たると賎人たるとを問わず
凡の人に対して謙遜なれ。
真の謙遜とは斯かる謙遜を指す。(金口イオアン)

愛のあるその所にのみ忍耐はあり…
愛を身に纏いたる人に在りて一つの難事なし、
愛は困難を知らず。(金口イオアン)

神(しん)の一なるとは内心の一致を指す…
ただ和平を守るに止まらず
汝らの間に神(しん)の一、心の結合、一つの神、一つの霊のあらん事を務めよ。
老若、貧富、男女の別なく
皆牧者の指導のもとに在りてはハリストスを中心として一とならん。
一なる神の神(しん)は汝ら衆人を包容す
故に、汝らは神の神(しん)を自己に保有するを務めよ。
汝らが和平の繋ぎと聖なる愛を保有すべきは
聖なる教会の体の一なる事がこれを要求す。
各人に霊の生命と活動を与ふる神(しん)の一なる事がこれを要求す。
凡その人が嗣ぐに招かれたる天の福楽が一なる事がこれを要求す。
贖罪主救主の一なる事がこれを要求す。
新生命に転生せしむる洗礼の一なる事がこれを要求す。
凡その人を一つの愛にて包容し一つの全能力を以て治め
一つの摂理を以て護り
在らざる所なく満たざる所なき神造主、摂理者、父の一体なることがこれを要求す。
                                       (主教フェオファン)

敬虔の認識は謙遜と温柔の認識なり。
謙遜はハリストスに則るもの、
傲慢、自尊、破廉恥は悪魔に則るものなり。
ハリストスに則れ、アンティハリストスに則るなかれ。
神に則れ、神の敵に則るなかれ。
慈愛者に則れ、残忍者に則るなかれ。
愛人者に則れ、疾人者に則るなかれ。
婚宴に入るものに則れ、暗所に立つ者に則るなかれ。
妄りに兄弟に命令するなかれ、
汝が他人の罪の軛(くびき)を己の頭に加えざらんがためなり。
                              (主教フェオファン)

聖使徒パウェルは汝らが啻(ただ)に救いの道を聞くのみならず
恐懼(おそれ)と戦慄(おののき)をもってその救いを成すを希望す。
蓋(けだし)、その救いのために恐懼せざる者にありて
一の尊貴なる及び偉大なる事を行うを得ざればなり。
単に恐懼をもってのみならず、恐懼の高度なる戦慄をもってその救いを成せ。
…パウェルはかかる恐懼を有したり、故に彼は言えり
「他人を教えて、自ら捨てらるる者とならんことを恐る(コリンフ前書9:27)」

如何にしてこの恐懼は生まるるか?
もし我等が、
神が何処にもあり、凡そのことを聞き、凡そのことを見、
啻(ただ)に言行のみならず心の底、霊魂の奥に起こりし一切を洞察すと
思念せんには
その時に於いてこの恐懼は生まるるを得。
                                  (金口イオアン)

我等はここ地上に安息を求めざらん
我等の居所のあるかしこに於いて光栄なる者とならんことを望まん。
                     (金口イオアン)
「我等の居所は天にあり(フィリップ3:20)


キリスト教の慈愛は
他人の悪行及び悪癖を寛過せざるとともに
深くその慈愛を人の心の奥に徹底せしめて何人をも排斥せず。
慈愛の模範は
子を慈育する母の行為、これなり。
…キリスト教の真正の精神の満てたる顔は
筆紙の形容し得ざる無量の慈愛に輝く。
この顔は甘き平和を宿し、衆人を慕わしむ。
…芳しき薔薇の香りは薔薇より発するが如く
慈愛はハリストス・イイススに在る精神及び生活から出ず。
                  (主教フェオファン)

汝らは地に属するものを求むべからず。
          (金口イオアン)

汝らは選を蒙りし者(選ばれた者)
汝らは聖なる者
汝らは愛せらるる者なり
かかる(このような)称号を思うときは
熱心の火の加わること幾ばくぞ。
汝らは選を蒙りし者と名付けらる、
世に人は多く
汝らのみに非ず
しかるに神は多くの人の内より汝らを選べり
神は汝らがその選びし者を辱めざるを期す
ゆえに汝らは聖なる者なり。(主教フェオファン)


父が子を慈しむが如く
汝ら互いに慈しまざるべからず。
         (金口イオアン)

慈心、仁心の者は己を忘る
而して(だから)、自然に謙遜なり。
         (主教フェオファン)

「温柔」
何の反対にも乱されざる又何人をも乱さざる多くの徳を包括する善行なり

「恒忍」
あらゆる不快、冤罪、攻撃、侮辱、迫害、駆逐を
不断不変に忍耐するをいう。 (主教フェオファン)

仁愛は謙遜を生む。蓋し仁愛の者は謙遜なり。
謙遜より温柔生まる。蓋し傲慢の者は怒りやすし。
温柔より恒忍生まる。蓋し恒忍は寛大なり。
            (福フェオフィラクト)

『汝らが凡そなす所のこと、
或いは言葉、或いは行い、
皆主イイスス・ハリストスの名によりてこれを為し、
彼によりて神父(かみちち)に感謝せよ』(コロサイ3:17)

皆主の名によって行うとは
彼に喜ばるるがために
一切を彼の光栄に向け…
一切を彼にささぐる祈祷にて囲み
祈祷をもって始め祈祷をもって終わり
業を始むるにあたりて祝福を求め
業を行う間にたすけを求め
業を終わるにあたりて感謝をささぐるを、いう。(主教フェオファン)

ハリストスの名の呼ばるるところに
何の醜悪なるもの不潔なるものの存するを見ず
食わんか飲まんか(霊務を)開始せんか
万事を神の名において
即ち神の助けを呼びて行え
まず神に祈りて業につけ、汝に悪結果なからん
万事を主の名によりて行え、汝に良き成績あらん
神の名をもって印せば一切の業は幸福の結果を来す。
(金口イオアン)

霊の目を閉じ罪の眠りにつくは
性(人間本性)のいたすところに非ずして自ら求むるなり
聖使徒は訓諭す
「けい醒(覚醒)謹慎せよ(テサロニケ前5:6)」と。
(金口イオアン)

神は滅ぼすが為に我等を召さず
救うが為に召せり 即ち
「我等の為にその子をたまえり」(イオアン3-16)
神はその子を賜うまでに我等の救いを望み
しかも単にその子を賜いしに非ずして
死において賜えり
人よ
その子さえも賜いて惜しまざる神に信頼して
失望するなかれ
現世の艱難を恐るるなかれ
汝を救い汝を地獄より奪うが為に独生の子を賜いし者は
如何ぞ汝の為に他の何物をも惜しまんや
…ゆえに
我等は彼を愛せん
然るに、我等を愛するその者を愛せざらんには
極めて無知なり。
(金口イオアン)

我等は如何にしてその身を神に献ぐるを得るか
眼は悪しきものを見ざれ(見るな)、これ献身なり
舌は恥ずべき事を言わざれ、これ献祭なり
手は不法のことを行なわざれ、これ燔祭なり
然れども、これのみにて足るに非ず
我等はすすんで善を行わざるべからず
即ち手は慈善を行い、口は敵を祝福し、
耳は神の言葉を聞くに敏からざるべからず
          (金口イオアン)

ハリスティアニンの智識に限界なし…
神(しん、霊)とは信者の潔き心に置かるる
聖神(聖霊)よりの知恵および黙示の恩賜を指す…
ハリスティアニンの本然の智識は今に至るまで一つの本源を有す
即ち、知恵の神(しん)これなり
(主教フェオファン)

神(しん、=霊)は一切を啓示し
神の秘密を説明す
神の秘密を知ることは
「神の深きをも察する」(コリンフ前2:10)
一つの神(しん)に属す
           (金口イオアン)

一切を、
即ち、大なることも小なることも主に求めよ
凡そのことに於いて主に仰ぎ
たとえ自ら労するも
彼の手から来るものとして一切を受けよ
            (主教フェオファン)

心の奥より祈れ
舌端をもって(口先だけで)祈祷を唱ふるなかれ
何事を祈るも
祈るの必要を深く心に認め
その求むる所を主より受くるを確信せよ
           (主教フェオファン)

使徒パウェルは祈祷において
ただ求むるのみならず
その受けたるところを感謝するを勧む
蓋、過去のことを感謝することを知らざる者は
如何ぞ将来のことを求むる知らん
斯(か)く凡そのことを感謝し
悲しきことのためにも感謝せよ
         (金口イオアン)

祈り、特に司祭職(主教、司祭)の祈りの大切さについて
金口イオアンは「司祭職について」の中で。

彼は全世界の番兵として立ち、
凡その人の作業(行っていること)を知り
生者を知るのみならず死者をも知る
世界は彼が配慮に託せられ
彼は慈父の配慮を持って世界を包容す
彼は戦争の息止(休戦や停戦)
擾乱の鎮定、天下の泰平
諸民の幸福、個人及び社会の病難の断絶を祈る…
彼はかかる祈祷のためにいかなる心情を有すべきか
言うまでもなく、
モイセイもしくはイリヤ以上の心情を有せざるべからず。
                 (金口イオアン)

悪魔は祈祷の功徳を知るゆえに
力を極めて
祈祷するものを誘惑せんとす。
      (金口イオアン)

ハリスティアニン(クリスチャン)の全生涯は
祈祷をもって一貫せざるべからず
祈祷の奥義は神を愛するに存す
新郎を愛する新婦は
その心に寸時も彼を忘れざるが如く
愛において神に結ばれたる人は
神とともに離れず
主につくものは主と一神(しん・霊)となるなり
(主教フェオファン)

「その求むる所を告げて」(フィリップ4:6)祈れ
即ち、その求むるところを有体(ありてい、ありのまま)に言え
敢えて、多言美語を要せず…
心に思うところを自己の言葉にて告白せよ
かかる告白は
神に対する汝の信仰を証明す
         (主教フェオファン)

祈祷、ことに常住不断の祈祷を
これを経験せざる者に語り教ふるは
生得(うまれつきの)の「こ者」(目の不自由な人)に太陽の光線を語り
蜜を食せざる者にその味を語ると一般(おなじ)なり、
表信者克肖なるメレティの言うが如く
「祈祷は教師を要せずただ勉強熱心(熱心に務める)を要す
而して、その教師は祈祷する者に祈祷を与える神なり」
                 (「神の役者」の著者)

己を祈祷に強いよ
しからば主は汝の熱心を見て
その求むるところの祈祷を汝に与えん
          (聖大マカリー)

汝は
食はんか飲まんか座せんか労せんか旅行せんか
(食べるときも、飲むときも…)
常に「主イイスス・ハリストス神の子や我罪人を憐れみ給え」と唱えよ
主イイスス・ハリストスの名は汝の心の奥に臨み
汝の心に悪をまく蛇を鎮め
汝の霊魂を救はん
汝の心は主を呑み、主は汝の心を呑み
二つのものが一つとならん為に
常に主イイススの名を呼べ
        (金口イオアン)

汝はイイススの名の記憶を
その呼吸の如くに行え
  (階梯者聖イオアン)

汝もしその思念の悪しきを恥じ魂の覚醒を願はば
主イイススに向かって祈祷をその呼吸の如く行なふべし
しからば数日ならずして
その希望の達せられたるを見ん
           (イエルサリムの聖イシヒイ)

汝はその心その舌にて
立つも歩むも座すも床に横たはるも
何事を行ふも常に
「主イイスス・ハリストス神の子や我罪人を憐れみたまへ」と
唱へよ
しからば、このことを経験せし者が知る如く
大いなる慰安と喜悦とを得ん
        (テサロニケの聖シメオン)

もし汝、修士、ことに神品の修士が
自己の本分を忘れて兄弟の欠点を詮索することを快とせば
汝は自己の心を忘れ
自己の精舎(修行のための家)を知らず
真理より逸して岐路に迷い道ならぬ道を歩む者なり
しからば、遂にいかなる終点に到達すべきか
           (シナイの克肖者ニール)

ただ口に祈祷を唱ふるのみにては完全には非ず
神は人の哀情を察す
ゆえに口の祈祷を心の祈祷に合わせざる修士は
(修道士だけではなく私たちもですよ)
修士に非ずして黒き灰燼なり
ハリストスを心に印せざる修士はイイススの祈祷を解せず
書籍は祈祷を教えず、ただ祈祷の途を示すのみ
              (サーロフの聖セラフィム)

目を高く神に注げ
爾(なんじ)と、地に属する者と
何の関係かある
世が造りしものを、望むなかれ
       (克肖者ニール)

爾の心に
不潔の情欲が燃ゆるも
肉欲が興奮するも
悪魔の誘惑が爾を攻めるとも
信と望と忍耐と覚醒と祈祷と讃美と読書(神の言葉と聖師父の書)
ことにイイスス・ハリストスの名の称名とをもって
これらに勝て (克肖者ニール)

主は浮きたる(うわついた)高き声に耳を傾けず、
モイセイの嘆息を容れし如く
言ふべからざる衷心の嘆息に耳を傾く
          (克肖者ニール)

兄弟よ、
嘆息、涙、及び堅き望みをもって
人を愛する我等の主イイスス・ハリストスの
見えざる足を抱くをつとめよ
         (克肖者ニール)

たえず神を心に記せ
しからば爾の心は天とならん
斎を武器となし、祈祷を城壁となし
涙を浴水となせ…
天に参ずる者として
聖堂に参ぜよ
聖堂にありて、地に属することを
何事も言うなかれ、思うなかれ。
        (克肖者ニール)

汝、もし手を労働に動かさば
舌は歌い、心は祈れ
神は我等が常に心に神を記するを要求す
          (克肖者ニール)

寸時も心に祈祷を絶つなかれ
起つも、座するも、歩むも、食するも、労するも
衆人雑踏の中に立つも
「主イイスス・ハリストス神の子や我罪人を憐れみ給え」との
簡単なる祈祷を心に絶つなかれ
信と愛とをもってするこの祈祷の熱心なる頻繁の黙誦は
汝の智の邪想を払い、汝の心の邪念を鎮む
  (若き日サロフのセラフィムに師事した老在俗司祭アウラミイ)

この不断の祈祷の尊き実を得んと欲せば
大いに力行(努力)するを要す
蓋し、天国は力行するものに与えられ力行するものこれを奪えばなり
されど力行するは汝自身にして
汝の他何人(なんびと)も汝のために力行するを得ず
   (若き日サロフのセラフィムに師事した老在俗司祭アウラミイ)

「主イイスス・ハリストス神の子や、我罪人を憐れみ給え」の祈祷は
汝が霊魂の呼吸であれ
しからば、イイススは汝の智と心より脱せざらん
イイススとともにせば一切は汝のために幸福と変じ
凶事も汝のために天のマンナとならん
  (長司祭アウラミイ)

世に、聖詠(詩編)のごとく神を讃美し霊益を与ふる書は他になし
我等は聖詠をもって天使とともに神を讃美し
悪鬼を駆り(かり、追い出すこと)
王侯及び全世界のために神に祈る…
聖詠は大海に似たり
海の水は汲めども尽きざるが如く
聖詠の霊益は尽きず
         (聖大ワシリイ)

神よ速やかに我を救へ、主よ速やかに我を助けたまへ
            (第69聖詠、70詩編)
この句は自己を無力のものとなし
神を唯一の救助者となすの承認
すなわち神はこの句をもって祈る者に助力を与え
そのものを凡その災害より救うとの信仰とのぞみを含蓄す
この句をもってたえず神を呼ぶ者は
神を眼前にみ、神を慈父の如くに感じ
その庇護のもとに立つ
            (克肖者イオアン・カシアン)

汝らは飲酒の悪癖が肉体を滅ぼすのみならず霊魂を滅ぼすを知れ
…飲酒の如く不和、仇怨、罵詈、汚念、放恣その他の悪因となるものはなし
ゆえに金口イオアンもその説教に言へり
「沈湎者(ちんめんしゃ;酒色におぼれる人)は
最も悪魔に喜ばれるものなりと。
            (ザドンスクの聖ティーホン)

一定の時においてのみ伝道するなかれ
平安の時、もしくは聖堂にあるときのみならず
危難に臨むも獄中につながるるも
縲紲(るいせつ、縛り縄)に在るも
死を宣告せらるるも、伝道せよ
およそ、便宜ある時、機会あるときは
伝道するに時を得たるなり
         (金口イオアン)

預言者及び使徒らによって我等に与えられたる聖書は神の真実の言葉なり
天の父はこの聖書をもって不当なる我等に談話す
故にハリスティアニンよ
福音書及び他の聖書を読む神の役者(教役者)の訓戒をきけ
またみずから聖書をひもときて
至上の神がその言葉をもって汝に語るところを読み、思念し、会得せよ
我等が神に祈祷するは神にむかって談話するものなり
我等が聖書を読むは
我等と談話し我等の願いに答ふる神の言葉を聞くものなり
                (ザドンスクの聖ティーホン)


我に従はんと欲する者は己を捨てその十字架を負いて我に従え
                  (マルコ8:34)
十字架とはあらゆる悲愁を甘受する決意を指す
神の道は日々の十字架なり
安逸の道を行きて天に達せし者なし
汝らは安逸の道の極まるところを知る


安逸の時に喜び、悲愁の時に顔をしかめるは汝のすべきことに非ず
天国の道は今も昔も十字架と死を以て通ぜらる
主は言う
現世において「その生命を得る者はこれを失い、
我がためにその命を失う者はこれを得ん」(マトフェイ10:39)
安逸の道を歩む者はその命を失い
十字架の道を歩む者はこれを得ん。
              (シリヤのイサアク)


我に従はんと欲する者は己を捨てその十字架を負いて我に従え
                  (マルコ8:34)
即ち、主はかく言う
我が門徒たらんと欲する者は我にしたがいておよその艱難を覚悟せよ
我は主、汝らは僕なり
故に、汝らはその主に従え
我は師、汝らは弟子なり
故に、汝らはその師に従え
我は天国への導き手、汝らは随行者なり
故に、汝らもし彼処に至らんと欲せば、その導き手に従え
           (ザドンスクの聖ティーホン)

己を捨てるとは何のことぞ
汝の邪念を切断し、汝の心の喜ぶところを行うなかれ
己に善きことを疎み、悪を愛さざれ
己を敵視し他人を敵視するなかれ
他人を怒らず己を怒れ
汝を迫害し汝を陵辱するときは悲しむなかれ
旧き人即ち霊魂を害するおよその邪念を切断せよ…
このことは難事なるか
然り、難事なり。されど必要なり。
     (ザドンスクの聖ティーホン)

十字架を背負いてとは何のことぞ
神の名のためにあらゆる艱難を甘受し死をも辞せざるを言う
たとえいかに苦痛なるも怨言せず
大胆にあらゆる苦難を忍ぶを言う
(ザドンスクの聖ティーホン)

ハリストスに従うとは何のことぞ
真実に痛悔し痛悔の実を結び
いかなる困難に遭遇するも
我等のために苦しみしハリストスを思いて
神の名のためにあらゆる辛酸をしのぶを言う
        (ザドンスクの聖ティーホン)

「およそ敬虔を以てハリストス・イイススにありて
生をわたらんと欲する者はみな窘逐せられん」(ティモフェイ後書3:12)

ハリストス・イイススにありて敬虔に生をわたらんとする者は
地上にその楽園を有せず天に楽園を有す
血は傷害窘逐の外何物をも彼らに与えず
何となれば、ハリストスに従う者の主眼とするところと
地のために生活し地上にその楽園を求める者の主眼とする所とは
全く相異ればなり
この二種の人は氷炭相容れず
地の人は天を求める者を窘逐す
しかもこれ神の僕のために幸福なり
神の仁愛はこれらの窘逐を彼らのために永遠の福楽に変ず
ゆえに彼らは確信と喜悦を以て神に光栄あれと呼ぶを得。
               (主教フェオファン)

敬虔に生をわたらんと望む者は窘逐(迫害)せられん
使徒は窘逐なる語に悲哀憂苦の意を表せり
善道を歩む者にありて悲哀憂苦は免れ難し
彼は狭き艱難の道をたどる
蓋し言えるあり
「世にありて汝ら艱難をうけん」(イオアン16:33)
「それ人の世にあるは戦闘にあるが如くならん」(イオフ7:1)
悪と闘う人にありて悲哀なきを得ず
故に聖なる教会に労役する神の役者は
もとより安楽を求むべからず
現在の時は
戦闘、憂苦、愁嘆の時なり
          (金口イオアン)

熱涙の祈祷は罪を清めるのみならず、
肉体の疾患及び病弱を癒し、人の全身を革新す
一言を以て言えば、人を再生せしむ。
ああ、祈祷の賜物はいかに尊とからずや
 (クロンシュタットの聖イオアン神父)

「汝、苦をしのぶこと、イイスス・ハリストスのよき軍士の如くせよ」
                   (ティモフェイ後2:3)
福音宣教の働きに任じ
この働きのために受ける艱難を
ハリストスのよき軍士として耐えよ
汝は誰に属する軍士か心に考え
勇敢に軍士たるの働きを尽くせ
        (フェオドリト)

聖福音書の戒めに従いて生活する者は
実に世に憎まれて在り
世は彼等を憎むも神は彼等を愛す
世は彼等を疎んずるも神は彼等を選ぶ
神に愛せらるると、世に愛せらるるといずれが優るか
全世界が我を憎まんと欲せばそのなすに任さん
ひとり神は我を愛しその慈愛において我を保護せん
主よ汝の慈愛は我に善し
「我にありては神に近づくは善し(聖詠72)
我はひとり爾(なんじ)及び爾の愛のほか
地にあり天にある何者をも欲せず
     (ザドンスクの聖ティーホン)

もし汝は狭く苦しき道を歩むをハリストスに約束せしならば
汝の腹をせめよ
腹を喜ばし、腹を膨張せしめて
汝はその約束を捨つ
沈倫に導く飽食の道は広くしてこれに入る者多し
されど
いのちに導く節制の門は狭くその道は細くして
これを得るもの少なし
             (階梯者イオアン)

狭き道に横たわるものは
十字架、苦難、忍耐、節制、献身、服従なり
広き道に横たわるものは
神の法の軽慢、放恣の生活、自愛、虚栄、讐敵、淫情、酒宴その他なり
                (ザドンスクの聖ティーホン)

ハリストスは狭き道を歩めり
彼の心服者は彼に随従し
愛と忍耐と温柔と謙遜を以て彼の足跡をたどる
広き道には闇の王が立つ
現世のために労する者は
この道を通りて闇の王に尾す
人よ、汝はいずれの道を好むか?
    (ザドンスクの聖ティーホン)

(神の役者よ)汝を窘逐(迫害)する者あるも
汝は窘逐(迫害)するなかれ
汝を陵辱する者あるも
汝は陵辱するなかれ
汝を讒詛する者あるも
汝は讒詛するなかれ
温柔なれ、しこうして悪に報いるに悪を以てするなかれ
(ザドンスクの聖ティーホン)

復活を讃美する

サンフランシスコの主教イオアン著

1953年に日本正教会宗務局が発行した小冊子「復活を讃美する」に
名古屋正教会信徒の協力で多少手を入れ読みやすくしたものです。
サンフランシスコの主教聖イオアン(1896-1966)は存命中から
その聖性が慕われ深く尊敬されていました。

この説教集は主日徹夜祷で読まれる主の復活にかかわる11の福音箇所を
イメージ豊かに力強く説き明かします。

毎月1話ずつアップしてゆきます。お楽しみに。

………………………………………………………………
主を讃美する 目次


疑惑  (第一福音)
不安  (第二福音)
向上  (第三福音)
真実  (第四福音)
機密  (第五福音)
喜び  (第六福音)
信仰  (第七福音)
主を見る(第八福音)
主は入る(第九福音)
従順  (第十福音)
愛   (第十一福音)





 早課の十一の福音は、一年を通じて、日曜日の前晩の徹夜梼の時に聞くことができます。これは復活に関する福音です。この福音は、生活を動かしてくれる心臓であり、人を生かしてくれる口の呼吸であり、信仰の基礎です。正教会は、この福音の言葉を十一の部分に分けました。
 復活の福音の深い意義は、尽きるところがありません。それぞれの理解力が足りないために、復活の香り高い海水を一滴ずつくみ取ることしかできないとしても、皆さんは神の愛を讃美し、神の謙遜に驚き、いっさいのために神を讃美せずにはいられないでしょう。

アトスの長老 パイシイの教え

こんにち、世界の正教徒の中で最も親しまれ愛されている霊的師父、アトスの長老パイシイ(1924-1994)のお話しを紹介します。翻訳は在ウクライナの日本人正教徒、オリガさんです。

第1話 霊的欠点からどう逃れるか
第2話 自己愛とは何か
第3話 霊的欠点とは何か
第4話 真の喜びはハリストスのいますところに
第5話 醒めた心で
第6話 ほんとうの斎とは
第7話 我が心はざわめき
第8話 かくも耳にやさしき、…ほめことば

東京の信徒がパイシオス長老の伝記を訳してくださいました。
「パイシオスの伝記」