名古屋正教会

Nagoya Orthodox Church

A- A A+

正教徒は聖書をどう読むべきか

主教 カリストス・ウェアー

 十八世紀ロシヤの聖人、ザドンスクのティーコンは、正教徒の聖書に接する態度について、次のように言いました。
 「皆さんは、この世の王である皇帝陛下から手紙をいただいたなら、喜んで読みませんでしょうか?もちろん大喜びで、押し頂き、たんねんに読むに違いありません。ところで、皆さんはもう既に、皇帝陛下どころではなく、天国の王様から手紙をいただいているのです。しかし、皆さんは、この値もつけられないほど貴重な宝物に見向きもしません」。
 彼は続けて次のように言います。
 「福音書を読む時、人はいつもハリストスから語りかけられています。同時に、人の側からは祈りの心をもって、ハリストスに話しかけているのです」。

 神から私たち一人一人に宛てられた名指しの手紙として、聖書を受け入れなければなりません。聖書を読むことは、神と私たちの直接の個人的な対話なのです。 聖ティーコンから二世紀後、正教会と聖公会の間でもたれた「一九七六年モスクワ会議」は、聖書に対する正しい態度について、同じ事を別の言い方で宣言しました。聖公会の代表も署名したこのモスクワ宣言は、正教会の聖書に対する見方を、驚くべき的確さで簡潔に表現しています。 
 「聖書には一貫した全体性がある。聖書各巻は神から霊感を受け人間が表現したものである。聖書は、創造・神言葉の藉身(受肉)・全救済史における神ご自身の啓示を、権威を以て証言している。そして、そのようなものとして、神の言葉は人間の言語で表現された。……我々は、教会を通じて、また教会の中で、聖書を受け取り、解釈しなければならない。我々の聖書への取り組み方は神への従順の姿勢の一つでなければならない」。

 聖ティーコンの言葉とこのモスクワ宣言は、正教会の聖書の読み方の四つの性格を明らかにしています。第一は聖書への従順さ、第二は教会的であること、即ち「教会の中で」読まれるべきこと、第三はハリストスを中心とすること、第四は自分自身に向けられたものとして、ということです。

従順さを以て聖書を読むということ

 まず第一に、従順な心で、聖書に耳を傾けなければなりません。聖ティーコンと「一九七六年モスクワ会議」は、共に聖書における神の霊感を強調しています。聖書は神からの手紙です。ハリストスご自身が語っています。聖書の各巻は神のご自身についての証言であり、神の言葉を人間の言語で表現しています。神の霊が吹き込まれているのです。私たちに神ご自身が語りかけているのですから、従順で受容的な傾聴の姿勢で聖書を受けとめなければならないのは当然の事です。聖神(せいしん、聖霊の日本正教会訳)を「待ち望み」つつ読むのです。

 しかし、聖書は神の霊を受けていると同時に、人間が表現したものです。聖書は、様々な時に、様々な人物によって記された多くの文書を集めたものです。聖書の各書には、それが記された時代のものの見方と執筆者固有の観点が反映しています。なぜなら、神は単独では何もなさらないからです。神の恵みは人間の自由と協力して働くものです。神は人間の個々の人格を無にするのではなく高められます。それは、神の霊感を受けての聖書各巻の成立に際しても同様です。語り手たちは、受動的に唯々「お告げ」を記録する「自動口述筆記機」ではありませんでした。語り手たちは、彼等それぞれの人間的資質によって各書の成立に寄与したのです。聖書には神の言葉としての面と共に、人間的な要素もあり、共に尊重されるべきなのです。

 たとえば、四福音書はそれぞれ独自にハリストスの福音と取り組んでいます。マトフェイ伝は、特にユダヤ人信徒のハリストス理解を代表し、「天国」という概念を強調しています。マルコ伝の、ハリストスの御業についての、生き生きとした、視覚的、具体的な描写は、他の福音書には決して見られないユニークなものです。ルカ伝は、ハリストスの愛の普遍性を表現し、主の憐みの心は、ユダヤ人にも異邦人にも等しく及び全ての人々を包み込んでいます。イオアン(ヨハネ)伝には、一層内面化され機密的なハリストスへの理解があり、神の光りと内在性が強調されています。私たちは、聖書のこの豊穣な多様性を充分に味わい探求しなければなりません。

この様に、聖書は、神の言葉を人間の言語で表現したものですので、率直で厳密な批判的研究の余地があります。聖書の人間的な側面の探求には、神から与えられた人間理性を充分に用いるべきなのです。正教会は聖書の各書の由来、年代、執筆者の問題への学問的な研究を決して否定いたしません。

 しかしながら、聖書の、この人間的要素と同様に、神の啓示としての要素を、私たちは常に念頭に置いておかなければなりません。聖書は単に個々の執筆者によって記された書物にとどまりません。私たちは、聖書に、叙述の技巧や感受性の違いによる豊かな多様性を持つ「人間の言葉」だけでなく、永遠の、造られざる、「神言葉」ご自身、即ち神の救いの「言葉」を聞くのです。私たちは、ただ好奇心の満足や知識を得るために、聖書を手にとるのではありません。私たち自身への自発的で切実な問い、「私はどうすれば救われるのだろうか?」に突き動かされて聖書を手にするのです。

人間の言語で表現された神の言葉として、聖書は必ず私たちの内に「驚異」の感覚を呼び起こすはずです。しかし残念なことに、何度も聖書を読んだり聞いたりするうちに、だんだん聖書に慣れ退屈に感じることがありがちです。そうならず、主が私たちの前に示されることを、新鮮な驚嘆の眼差しをもって見ることができるように、知覚の扉を清く保つ努力が求められるのです。

少し前に、私はある夢を見ました。今でも、その内容を手に取るように覚えています。夢の中で、私は、子供の頃三年間暮らした全寮制学校の寮にいました。私は、誰かに案内されて、最初はお馴染みの思い出深い部屋をいくつか通ってゆきました。しかし、その後、案内者は、子供の頃には全く知らなかった部屋を幾つか見せてくれました。それらは、広々した、美しい、光りに満ちた場所でした。最後に私たちは小さな礼拝堂に入りました。そこでは、薄暗がりの中で何本かの蝋燭が金色のモザイクをほのかに照らしておりました。
 私は案内者に「奇妙なことなんですが三年間もここに住んでいたのに、このような部屋の存在すら知りませんでした」と申しました。案内者は「そんなものですよ」と答えました。
 その時私は目覚め、夢であったことに気づきました。

 聖書に向かうときには、まさに私が夢の中で体験したような、畏れ、驚異、期待、驚きの感覚を持っていなければなりません。聖書には、私たちがまだ一度も入ったことのない部屋がたくさんあるのです。私たちはその深みと巨大さの果てにはまだ行き着いていません。この驚異の感覚は、聖書を読む時に求められる、従順の姿勢の本質的要素であります。

 従順は、驚異と共に「傾聴」を意味します。従順という言葉のもともとの意味はラテン語でもギリシャ語でもこの「きく」ということです。
 学生時代、私はよくラジオでお笑い番組を聞きました。その中で、次のようなコントがありました。電話が鳴りだします。登場人物は手を伸ばして受話器をとります。「もしもし、」「……」「もしもし、もしもし!」だんだんと彼の声は大きくなってゆきます。「どなたですか?聞こえないんですが。もしもし!いったい誰がしゃべっているんだ!」受話器の向こうから返事があります。「あんたがしゃべっているんだよ」。彼は、「ああ、そういえばどこかで聞いたことのある声だと思った」。そうつぶやいて受話器をおきます。

 これは、残念なことですが、私たちがしばしば陥ってしまう状態の戯画なのです。人は聞くことよりもしゃべることの方が得意なものです。自分のしゃべっている声は聞きますが、一時でもしゃべるのを止め、人の話を聞こうとはしません。聖書を読む時、最初に要求されること、それは、しゃべることを止めて聞くこと、従順に耳を傾けることです。

 正教会の伝統的な様式で造られた聖堂に入るとすぐに眼に飛び込んでくるのは、正面の高座(至聖所の最奥に主教が座る座が設けられている、そこを高座という)上方の神の母マリヤのイコンです。このイコンでは、マリヤは両手を天にさし上げています。この姿勢は聖書時代からの一般的な祈りのかたちで、今日でも受け継がれているものです。
 聖書を読むときにも、このマリヤの姿が象徴している、精神の見えざる両手を天にかかげた、完全な受容の姿勢が必要なのです。聖書を読むとき、私たちは、この上なく「聞く」人だったこのマリヤにならわなければなりません。「生神女福音」(受胎告知)の時、生神女は神の使いの言葉に従順に耳を傾け、「お言葉どうりこの身に成りますように」と答えました(ルカ一・三八)。彼女が心から神の言葉に耳を傾けなかったら、彼女は「神言葉」を産むことはなかったでしょう。
 羊飼いたちがやって来て、生まれたばかりのハリストスを拝した時の生神女について、次のように福音書は伝えています。「マリヤはこれらの事を、ことごとく心に留めて、思いめぐらしていた(ルカ二・一九)」。また、マリヤが神殿にイイススを見つけたときも、「母はこれらの事をみな心に留めていた」と記されています(ルカ二・五一)。
 聖書が記録している神の母の言葉のうちで最後のものは、やはり聞くことの必要性を強調するものです。すなわち、ガリレヤのカナの婚宴の時に生神女は僕たちに「この方があなたがたに言いつけることは、何でもしてください」と言いました。この言葉は私たち一人一人にも向けられているのです。

 この様に生神女マリヤはクリスチャンの生きたイコンとして、私たちにお手本を提供しているのです。私たちは神の言葉を聞くとき彼女に倣わなければなりません。「思いめぐらし」、「すべてのことを心に留め」、「主が命ずることはすべて行う」のです。神が語る時、私たちは従順に耳を傾けなければなりません。

教会を通じて聖書を理解すること

 第二は、モスクワ会議が宣言しているように「我々は、教会を通じて、また教会の中で、聖書を、受け取り解釈しなければならない」ということです。聖書への取り組みは「従順なもの」でなければならないと同時に「教会的なもの」でなければなりません。
 聖書が何であるかを私たちに教えるのは教会です。年代や執筆者についての学問的な裏付けにより、特定の文書が「聖書」として認められているのではありません。例をあげれば、たとえ、もし、第四福音書がハリストスの最愛の弟子イオアンによって書かれたものでないことが、学問的に証明されたとしても、私たち正教徒が第四福音書を聖書として受け入れることは何ら変わらないでしょう。何故でしょうか?誰が書いたにせよ(私自身はイオアンが書いたことを確信しています)、イオアン福音書は、教会によって、受け入れられているからです。

 聖書とは何であるかを教えてくれるのも、聖書をどの様に理解すべきかを教えてくれるのも、教会です。馬車の中で旧約聖書を読んでいたエチオピヤ人に近付いて、聖使徒フィリップは「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねました。エチオピヤ人は「だれかが、手びきしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えました(使徒行実八・三十~三一)。私たちは皆このエチオピヤ人の立場にいるのです。聖書の言葉は、いつも、必ずしもそれ自体で明確に意味を明らかにしているとは限りません。聖書を読むとき、神は私たちそれぞれの心に直接に語りかけます。聖書を読むということは、聖ティーコンが言っているように、私たち一人一人とハリストスとの直接の対話なのです。しかし、私たちは、同時に導きも必要としています。そして、その導き手は教会なのです。私たちは、聖神(聖霊)に助けられた私たち自身の理解力と、現代の聖書研究の成果を最大限に用いますが、つねに、私たちの私的な見解を、…それが、自分のものか学者のものかに関わらず…幾時代にもわたって伝えられてきた、教会の伝統に従わせなければなりません。

 正教会のこの問題についての見解は、ロシヤ教会の用いている、洗礼機密の啓蒙礼儀(洗礼に先立ち、志願者に最終的なカテキスム(啓蒙)を行う部分)での受洗者への問いに要約されています。即ち、「聖書は、聖師父(教父)たちによって受け継がれ、また、聖なる正教会、我等の母が持ち続け、今も保っている信仰に従い、受け入れ解釈するべきであることを、あなたは承認しますか?」と。

 私たちは、聖書を、私たち自身の独自の体験として読みますが、決して、孤立した個人として読むのではないのです。私たちは家族の一員として、正統なる公なる教会という家族の一員として、聖書を読みます。聖書を読む時私たちは「私」とは言いません、「私たち」と言います。「ハリストスの体」を構成する、世界中の、また過去の幾世代にも遡った、全てのメンバー(「肢体」)との、わかち合いの中で、私たちは聖書を読むのです。聖書に対する私たちの理解を試す決定的な基準は「教会の精神」です。聖書は教会の書なのです。

この「教会の精神」の探求を、私たちはどの様に始めれば良いのでしょうか。第一歩は、奉神礼(祈祷・礼拝)の中で聖書がどの様に用いられているかを調べてみることです。それぞれの祭日の奉神礼で読まれる聖書の箇所は、どのように選ばれているのだろうか…。第二には、教会の師父たちの著作の中に聖書がどう解釈されているかを尋ね求めるべきでしょう。
 私たち正教会の聖書の読み方は、この様に、奉神礼的かつ聖師父的なのです。しかし、これは、私たちが皆痛感していることなのですが、英語で手に入る正教会の聖書注解が非常に少なく(訳者注;現代日本文では皆無と言っていい。明治の先達の翻訳した難解な漢文脈の文語体のものなら、金口イオアン-ヨハネ・クリィソストモス-のものを始め幾つかあるが入手は至難)。また西欧の注解がこの奉神礼的かつ聖師父的な取り組みを採用していないことから、実行するのは容易ではありません。

奉神礼的に聖書を解釈するということがどういうことかを示す例として、三月二十五日(ユリウス歴に対応するグレゴリウス歴表示では今世紀は四月七日)の生神女福音祭の晩課で読まれる旧約聖書の箇所を見てみましょう。旧約の次の三つの箇所が読まれます。
 (一)創世記二十八・十~十七。イアコフの、天と地を結ぶはしごの夢。
 (二)エゼキエル書四十三・二七~四十四・四。「君」以外は誰も通ることが出来ないエルサレムの聖所の門についての預言者の見た幻。
 (三)箴言九・一~十一。「知恵は自分の家を建て」で始まる知恵についての幾つかの偉大な言葉の一つ。
 これらの箇所、並びに他の生神女の祭日に読まれる旧約の箇所は、すべて、童貞女から主が人としてお生まれになったこと(藉身)についての預言として理解されます。マリヤは、神が人としてお宿りになるための体をさし出し、この人間の世界に天からかけられたはしごの役割を果たしました。マリヤは童貞女のまま子供を産んだ唯一の「閉じられた門」です。「神の知恵たるハリストス」(コリンフ前書一・二四)が宿られた家をマリヤは提供しました(別の解釈では知恵は神の母自身をさすといわれます)。

 特定の祭日の祈祷のために、聖書のどの箇所が選ばれているのかを調べることによって、一度読んだだけでは決して明らかにならない聖書の解釈の様々な層を見い出すことができます。

 次に、復活祭の徹夜の祈りに先行する聖大土曜日の晩課からもう一つの例を見てみましょう。ここでは旧約聖書が十五箇所も読まれます。残念なことに多くの教会がこれらをほとんどを省略しているため、神の民は彼等に必要な聖書からの栄養に飢え渇いているという状況です。この十五箇所は「聖歴史」の全体像を示すとともに、ハリストスの復活の深い意義を強調しています。最初に、創世記の一・一~十三、創造の記事が読まれます。これは、同時に、ハリストスの復活が新しい創造であることを意味します。四番目にイオナ書の全体が読まれます。大魚の腹の中に三日間預言者イオナが留まることは、墓に納められて三日後にハリストスが復活することの予象(前表)です(マトフェイ十二・四十参照)。六番目は、イスラエル民族の紅海徒渉の物語です(出エジプト十三・二十~十五・十九)。ハリストスが死から生命へと過ぎ越した、新たなるパスハ(過ぎ越し)の予象となっています(コリンフ前書五・七、十・一~四参照)。最後の箇所は三人の聖なる少年がかまどの火の中に入れられる物語です(ダニエル書三章)。もう一つの、ハリストスの墓からの復活の「型」ないし予言です。

 この様に、教会の中で、教会と共に聖書を読むということは、大変重要なことです。旧約聖書を奉神礼的に読み、聖師父の助言を得ながら学ぶことによって、私たちは、ハリストスとその母の神秘を指し示す道しるべを見いだすことができるのです。教会の諸祭日とその聖書誦読箇所を示す教会の暦を活用して、新約の光りの中で旧約を、旧約の光りの中で新約を読むことを通じて、私たちは聖書の全体的統一を発見するのです。旧新約聖書の間の一致を見いだすには良い聖書コンコルダンスを使うのも一法です。これはどんな注解書よりも、はるかに多くのことを教えてくれる場合があります。

 私たちの教区の聖書勉強会では、諸祭日に聖書が読まれる場合、一人のメンバーがあらかじめその箇所を調べて来るようにし、皆で、なぜその箇所が選ばれたのか討論するというやり方をとり、うまくいっています。他のメンバーに、聖師父の著作を、特に、英訳のある聖金口イオアンの聖書講話を利用して調べて来るという宿題を課することもあります。ただ、その場合、忘れてはならないのは、あなたが何を探しているのかをはっきりと認識しておくことです。聖師父たちは私たちとは異なった時代に発言した人たちですから、私たちは想像力を用いて読まなければなりません。私たちは、十九世紀ロシヤの田舎の教会のある司祭のように、杓子定規に聖師父を受け入れてはなりません。彼は主教から「聖師父の言葉を君の説教に取り入れなさい」と言われました。そこで、次の大祭の聖体礼儀の説教に聖金口イオアンの説教を、文字どおり一句も違えず読むことにしました。当日、所狭しと聖堂に溢れた教区の信者たちは、堂内に響きわたる朗声で、司祭が次のように説教を始めたとき、全く当惑しぽかんと口を開けてしまいました。
 「これは一体どうしたことだ。余は何を見ているのであろうか。聖堂はからっぽではないか。ここには誰もいない。彼等は皆どこへいってしまったのだろう。彼等は皆戦車競走の競技場へ行ってしまったのだ」。(訳注・金口イオアンが活躍した4世紀のビザンティン時代でもローマ帝国市民にとって映画「ベンハー」で有名な戦車競争は最大の娯楽でした)

 ゲオルギー・フロロフスキー神父(古代の聖師父のみずみずしい福音的キリスト教精神を復興した20世紀正教の「新聖師父学的総合」の嚆矢)なは、正教は今日聖師父の精神を己のものとしなければならないと、いつも強調していました。しかし、それを得るためには聖師父たちの言葉として外に表れたものを突きぬけて、内に込められた意味の核心に達しなければならないのです。

ハリストス、聖書の中心

 第三の要素は、常にハリストスを中心に据え聖書を読むということです。
 「一九七六年モスクワ会議」は「聖書には一貫した全体性がある」と述べています。その一貫性の軸となり全体性の骨組みとなるのは、ハリストスという「お方」(ペルソナ)に他なりません。ハリストスは、聖書の最初の一行から最後の一行まで、全体を縫い合わせている糸のようなものです。旧約聖書の各ページに、どの様にハリストスが予象されているのかということについては既にお話しました。私の学生時代の歴史の先生がよく言っていたように、「それが全てを縛り合わせている」のです。「結合してゆくこと」、これが聖書を読むときの原則です。

 西欧での聖書の批判的研究の多くは、分析的方法を採用し、聖書の各書を幾つかの異なった資料に分解してしまいました。結び目はすべてときほぐされ、聖書は、むき出しの原初的な単位資料の寄せ集めへと、還元されてしまいました。これが無意味だとは言いません。しかし、私たちは聖書に、多様性と同時に統一を、散りばめられた個々の記事と同時にそれら全てを包括する目的を、認める必要があるのです。正教は一般的に、分析的方法より総合を指向し、聖書を、一切がハリストスをきずなとして統合された全体であると見なしています。

 私たちは常に旧約聖書と新約聖書の焦点が合わさる所を探し、イイスス・ハリストスにそれを見い出すのです。正教は、旧約聖書には一貫してハリストスの御業の「徴し」やシンボルといった、ハリストスの象(かたち)が見い出せる、という予象論的な解釈法を重要視してきました。この顕著な例は、サレムの王であり祭司であったメルヒセデクに見ることができます。彼はアブラハムにパンとぶどう酒を献じました(創世記十四・十八)。これは聖師父のみならず、新約聖書そのものの中でも、ハリストスの予象と見なされます(エウレイ書五・六、七・一)。もう一つの例は、既に見ましたが、古きパスハ(過ぎ越し)と新しきパスハ(イイススの復活)の予象関係です。紅海の徒渉によってイスラエルがエジプト王から解放されたことは、救主の死と復活によって私たちが罪から解放されたことを予象しています。このようにして、聖書全体を解釈してゆくわけです。例えば、なぜ大斎の後半でイオシフ(ヤコブの子ヨセフ)の人物像を中心として創世記が読まれるのでしょう?なぜ、受難週においてイオフ(ヨブ)記が採り上げられるのでしょう?それは、イオシフもイオフも、罪が無いのに受難し た人物であり、彼等は、今まさに教会がこの受難週の奉神礼で、その十字架上の無罪の受難を記憶しようとしているイイスス・ハリストスを予象する「かたち」であるからです。「それがすべてを縛り合わせている」のです。

 アレキサンドル・シュメーマン神父は「クリスチャンというのは、眼を注ぐ所には何処にでもハリストスを見い出し、そのハリストスのうちで喜びにひたることができる存在だ」と言っています。これはクリスチャンが聖書にふれる時に、とりわけぴったり当てはまる言葉ではないでしょうか。私たちは聖書のあらゆるページにハリストスを発見することができるのです。

自分のものとして聖書を読むこと

 古代東方教会で、修道についての著作を残した修道士聖マルクの言葉に次のようなものがあります。
 「その思いを謙虚に保ち、霊的な仕事に携わっている者は、聖書を読むにあたって、そこに書かれたすべての事を、他人事としてではなく、自分自身の事として受けとめる」。
 正教徒として、私たちは聖書のどこを開いても、自分自身の問題をそこに探さなければなりません。「これはどういう意味だろう?」ではなく、「これは自分にとって何を意味するのだろうか?」と問うべきなのです。聖書は救主と自分との直接的な対話です。ハリストスは私に語りかけ、私はそれに答えます。これが聖書を読むにあたっての第四の基準です。

 聖書のあらゆる箇所を、自分自身の物語として読み取っていきましょう。「アダム」とは一体誰の事でしょう?「アダム」という名は「人」「人間」を意味しています。従って、創世記のアダムの陥罪についての記述は、私自身についての物語でもあります。私がアダムなのです。神が「あなたはどこにいるのか?(創世記三・九)」と呼びかけられたのは、私に対してなのです。「神様はどこにおられるのだろう?」と私たちはしばしば問います。しかし、ほんとうの問いは、私たち一人一人の中にいるアダムに対して、神が問いかける「“あなた”はどこにいるのか?」という問いなのです。

 カインとアベルの物語では、神はカインに「弟アベルはどこにいますか?」と問います(創世記四・九)。これも私たち一人一人に向けられた問いなのです。カインとは一体誰でしょう?そう、私自身なのです。神は私たち一人一人の中にいるカインに問いかけます、「あなたの兄弟はどこにいますか?」と。神に至る道は他の人々への愛のうちに通じているのです。他には道はありません。兄弟の事は私とは関係無い、とすることにより、私は、私自身の内の「神の像」を「カインのしるし」(創世記四・十五)と取りかえ、神様から与えられた本来の人間性を否定してしまっているのです。

 聖書を読むにあたり、私たちは三つの段階を想定できるでしょう。第一は、天地創造からの世界の歴史、選ばれた神の民の歴史、パレスティナの地に藉身された神の歴史、ペンテコステ(聖神降臨)後の力強い教会の働きの歴史、即ち、聖なる歴史としての聖書です。私たちが聖書に見いだすキリスト教は思想でも哲学的な理論でもありません。それは歴史に根拠を置く信仰なのです。

 第二の段階は、個人史の集積としての聖書です。特定の時と場所で、神は歴史に介入され、神は個々の具体的な人物と対話を開始されます。神はそれぞれの人物を名指しされます。神から呼びかけられた一連の人々、即ち、アブラハム、モイセイとダヴィド、リベカとルフィ(ルツ)、イサイヤと預言者たち、そしてマリヤと使徒たちがいます。歴史において、神は常に具体的に働かれます。それは恥辱としてではなく祝福として人類に与えられました。神の愛は、無際限の大きさを持っているにもかかわらず、ある特定の地球の片隅に、ある特定の時に、ある特定の母親から、藉身されることを選ばれたのです。

 私たちは、このように、聖書に記録されたあらゆる神の働きの具体性を肝に銘じなければなりません。聖書を愛する人はその年代と地理の細部を愛すのです。正教は、まさに、ハリストスが生活し、教えられ、死なれ、そして復活された聖地に対して、大変深い思いを持っています。聖書をより深く理解するための素晴らしい方法は、エルサレムとガリレヤに巡礼をすることです。ハリストスが歩かれたところを歩いてご覧なさい。死海のほとりに降りて行き、岩に一人腰を下ろして、ハリストスが四十日の荒野での試みに会われたとき、どんな事を感じたのか、思いを馳せてご覧なさい。ハリストスがサマリヤの女と話をされた、その井戸から水を飲んでみましょう。夜、ゲッセマネの園へ行って、古代からそこにあると言われる、オリーブの木の下の闇の中に座って、谷を隔てた市域の明りを眺めてご覧なさい。充分に主の救いの御業の歴史的な背景を具体的に体験して、その体験を日々の聖書の味読に生かすのです。

そして、いよいよ第三の段階に入ります。その個々の具体的な聖書の歴史を追体験することにより、まさに私たち自身の事としてそれらを受け入れるのです。「その地で起きたこれらすべての出来事は、遠い昔の遥かな地での事ではないのだ。今、まさに私自身がハリストスと直接に出会っているのだ。私はこれらの物語の中の一部なのだ」と自分に言い聞かせましょう。

 例えば、「裏切り」は誰の個人史の中にもあるものです。私たちは他人を裏切ったことはないでしょうか?一度も裏切られたことはないでしょうか?その「裏切り」の思い出が私たちの心に傷を残してはいませんでしょうか?そのような反省の上に立って、聖使徒ペートルのハリストスへの裏切りと、ハリストスの復活の後にペートルが再び迎え入れらた記事を読むと、私たち自身をその記事の登場人物として体験することができるでしょう。ペートルとイイススの二人が裏切りの直後に何を経験したかを想像して、二人の気持ちを己のものとして、二人を自分自身に置き換えてみるのです。私はペートルです。この設定の中ではハリストスでもあり得るでしょう。両者の和解の過程を振り返ってみましょう。復活のハリストスは堕ちたペートルをいささかの感傷もまじえず、しかも大いなる愛を以て迎え入れようとします、ペートルの側は、勇気をふるってその迎え入れに応えようとします。そこで、私たちは自分自身に問いかけるのです。私は、自分を裏切った者に対してハリストスのように振舞えるだろうか?また逆に、裏切った私を赦し迎え入れようとする者の愛を素直に受け入れることができようか ?さらに自分自身を赦す事ができるだろうか?と。

 もう一つ例として、マクダラのマリヤをとりあげてみましょう。私は自分自身の姿を彼女の
中に見い出せるだろうか?彼女が雪花石膏の壷から高価な油を注ぎ出してハリストスの足に塗ったときに見せた、あの惜しみなさ、自然さ、愛すべき直情性を、少しでも自分のうちに持っているだろうか?「この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである(ルカ七・四七)」。逆に、私は善いことであれ悪いことであれ何に対しても、決して自分自身を投げ出そうとはせず、いつも臆病に身を引いているのではないだろうか?砂漠の師父たちは、「罪を犯さず自分は正しいと思いこんでいる者より、罪を犯したことを知りそれを悔い改めるなら、罪を犯した者の方がよい。」と教えています。
 このマグダラのマリヤが、ハリストスの遺体に油を塗ろうと、墓に向かって出て行った時の(イオアン二十・一)大胆さ、行動の一貫性と、主への忠誠心を、私は少しでも我がものとしているだろうか?復活された主が彼女を呼んだ時の様に、主が私を名指しで呼ぶ声に耳を傾けているだろうか?さらに、彼女のように素直に、全存在を完全に主に向けて、私は「ラボニ(先生)」と答えているだろうか?(イオアン二十・十六)

 この様に、従順に、教会のメンバーとして、あらゆる箇所にハリストスを見いだしつつ、一切を自分自身の事として聖書を読むことによって、聖書の多様性と深さを幾らかでも感得することができるようになるのです。もちろん、聖書の伝える真理への旅路において、私たちはほんの端緒についたに過ぎないことを忘れてはなりません。それは、果てしない大海原に、ちっぽけなボートで漕ぎ出そうとするのに似ています。
 「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光りです」。(百十八聖詠、百十九詩編、百五節)

名古屋ハリストス正教会司祭 ゲオルギイ 松島雄一 翻訳

「聖書のみ」その前提

本稿はClark Carlton "The Way ――What Every Protestant Should Know About the Orthodox Church"の第五章の翻訳である。著者は南部バプテスト派から正教会に転じ、ニューヨークのウラジミール神学院でJ.メイエンドルフに師事し、卒業後は本書「道、すべてのプロスタントが正教について知っておくべきこと」をはじめ、正教定理神学についてのすぐれた解説書を上梓している。



第五章 「聖書のみ」その前提

あなたの先祖が立てた古い地境を移してはならない。 箴言22:28

 「南部及び東南部バプティスト神学セミナリー」の摘要は、その冒頭で次のように断定する。
 「新旧約聖書は神の霊感によって与えられた、救いをもたらすあらゆる知識、信仰、服従についての唯一の充分で、確実な、そして権威ある規範である」。
 「聖書のみ」の教理がプロテスタント神学のまさに土台であると言明しても、そこにはいささかの誇張はない。宗教改革の霊的な子孫たちは誰であれ、――自らをプロテスタントと呼ぼうが呼ぶまいが、この原理によって形成された精神を表出している。「聖書のみ」は他のどんな教義にもまして、プロテスタンティズムが何たるかを明示している。それゆえに「聖書のみ」は教派を問わずすべてのプロテスタントと、伝統的な正統信仰を隔てている亀裂の中心に横たわっている。

「充分」とは言うが、どのように充分なのか

 しかしながら、ほとんどの宗教改革者たちの教義と同様、「聖書のみ」の概念は人それぞれにみな異なっている。すべてのプロテスタントに普遍的に受け入れられる「聖書のみ」についての理解の輪郭を述べることは不可能である。この概念は様々な色相を持って連なる一つの連続体(continuum)と考えるのが一番いい。一方の端にルターやカルヴァンらのような改革者たちがいる。彼らは救いの知識について充分な源泉として聖書をとらえる。反対の端にいるのは過激派で、聖書は教義についての充分な源泉であるだけではなく、礼拝と教会生活についての唯一の排他的な導き手であると主張する。

 前者の立場は、ジョン・マッカーサーのような現代の多くの改革派神学の信奉者たちに支持されている。彼はこう述べている。
 「『聖書のみ』という宗教改革の原理は、あらゆる精神的な事柄についての至高の権威として聖書は『充分』であることに関わる。『聖書のみ』が意味するのは、我々の救いと精神生活に必要な真理はすべて、明白なかたちにおいても含蓄においても聖書に存するということだ」*1。
 このように、この「聖書のみ」についての見解では、聖書には私たちが知りたい、あるいは知り得るすべてが含まれているわけではなく、ただ知っていなければならないことはすべてそこにある、ということである。この立場は、多かれ少なかれ「ウェストミンスター信仰告白」に表わされた立場を代表する。しかしこの立場には、駆け引きのための一定の余地が残されている。この信仰告白にはある重要な「にもかかわらず」が存在している。

 「それにもかかわらず、わたしたちは、み言葉の中に啓示されているような事柄の救拯的理解のためには、神のみたまの内的照明が必要であること、また神礼拝と教会統治に関しては、常に守られなければならないみ言葉の通則に従い、自然の光とキリスト教的分別とによって規制されなければならない、人間行動と社会に共通のいくつかの事情があること、を認める」*2

 A.A.ホッジはこの節を次のように説明している。
 「聖書は実践的な事柄の細部にまでは及ばないが、一般的な原理を提示する。その一般的原理は、聖霊の聖化する働きに導かれた、人間の自然に備わった判断力の行使、経験がもたらす光、変化する環境への適応を通じて、適用される」*3

 言い換えれば、聖書は「ハウツー書」ではないのである。
 しかしながら一方、近代のプロテスタントたちの中には聖書を、教義ばかりではなく礼拝と教会統治についての余すところなきガイドブックだと信じる人たちもいる。この見方の最も声高で一貫した主唱者はバートン・ストーン、アレクサンダー・キャンベル、そして十九世紀の復古運動である*4。キャンベルの父はこの運動のモットーとなる言葉を作り出した。「聖書が語るところを我々が語る。聖書が沈黙するところは我々も沈黙する」*5 。

 教会におけるあらゆるものは新約聖書の中で明確に語られていなければならない。だからキャンベル派の人たちは礼拝で楽器を用いることも聖歌隊が歌うことも拒否し、地方ごとの集会以上の教派的組織は持たなかった*6。

 「聖書のみ」についての二つの見解にはこのように違いがある。たしかに過激な改革者たちはしばしばルターとカルヴァンを一貫性がないといって告発する、しかし、一つの点はハッキリしている。どちらも伝統に拘束力のある権威を認めることに反対することだ。結局のところ、「聖書のみ」は聖書の肯定と言うより「伝統の拒否」なのであるしかし以下のページで述べてゆくように、伝統の拒絶は本質的に教会のいのちそのものの否定に他ならない。

新しい考え方

 十六世紀の宗教改革運動は、さまざまに言うことができるにせよ、つまるところその根は、キリスト教の黄金時代に立ち帰ろうという試みであった。その標語は「聖書のみ!」、聖書に――聖書のみに――帰ることで、キリスト教からあらゆる付着物をはぎ取り、初代教会の汚れなき本来の姿に帰そうとしたのだ。

 皮肉なことに、それによって初代教会の純粋性に立ち帰ろうとしたこの原則は、初代教会があずかり知らぬものであった。「聖書のみ」という考え方は、十六世紀の発明であった。初代教会のいかなる教父たちも公会議も、聖書が教会との関わりなしに、その内に、またそれ自体として、完全に充分な信仰の規則を持っていると主張したことなどなかった。「聖書のみ」という宗教改革の原則は、宗教改革それ自体の発明品であった。エベリングはこの原則の新しさを強調して言う。

「宗教改革者の神学は、全神学史における聖書のみにもとづく神学を大まじめに求めた最初の試みである。宗教改革への追随者のみが、『聖書神学』を形成することができた」*7 

これが意味するのは、ペンテコステの日から一五一七年一〇月三一日までのおよそ一四八八年間、プロテスタントたちが「真正な神学」と称揚するこの種の神学は、まったく存在しなかった、言い換えれば、宗教改革者たちが神学的に立ち帰ろうとした初代教会は、改革者たちのものとはまったく異なった神学を持っていたということだ*8。

 「聖書のみ」という教義は、まさにその時代の産物であった。当然のこととして、それはその時代に関係するいくつかの仮定に基づいている。「聖書のみ」の教義を支える、聖書的根拠を分析する前に、それが前提とするこれらの仮定を理解することは不可避である。

自己確証される正典(カノン)

 まず第一は、「聖書のみ」は確定的に線引きされ普遍的に承認された「聖書正典」の存在を前提としていることである。「聖書は教義についての唯一の充分な源泉である」と主張するということは、何が聖書を構成し何が聖書に属さないかを正確に知っていることを前提している*9。この前提は、新約聖書の正典が明確にされるまで数世紀かかったという事実を完全に無視している。しばしば「汚れなき」キリスト教の時代と見なされる最初の三世紀間、教会は唯一の明確にされた新約聖書の正典を持っていなかった。

 聖書のみ、すなわち確定された聖書正典のみ、という仮定から必然的に生じるのは、聖書は自らの正典性を自己確証しているという前提である。ローマカトリックの擁護者たちが、聖書の正典を明確に決めたのは教会であると指摘したときの、宗教改革者たちの答えは「教会の権威は正典を『確立』したのではなく、それらが正典であることを『証言』したのである」*10と答えた。この考え方はブルース・メツガーによって強く主張されている。

 最も基本的な意味で、特定の個人も諸会議も正典を創出しなかった。かわりに、彼らはこれらの文書の持つ「正典性を自己確証する性格」を感知し承認するに至ったのである。正典文書は自らを正典として教会に強く差し出したのだ。*11

 こう主張するメツガーの自信は、新約聖書の正典が確定されていった真に困難な過程、まさにメツガー自身がこの宣言に先立つページで紹介している過程と衝突してしまう*12。ロバートM.グラントはこのプロセスのとほうもない複雑さを認識している。

このように新約聖書は伝統の産物である。それはイイススの生涯、教え、死、そして復活の記録と、この多くの側面を持った出来事への最も初期の古典的な反応を集めている。キリスト者の共同体の中でさまざまな書物が生み出され、次第に「教会」を構成する個々の教会のほとんどが受け入れるに至った。*13  

 まず第一に、新約聖書の特定の文書が正典として認められる条件は、それらが教会の内で用いられていることである。

 いつから、特定のキリスト教文書が旧約聖書と同等の権威を有するものとして一般的に受け入れられるようになったのは不明である。おそらくは、福音書それぞれができあがるつど、それは承認され(たとえばイオアン21章24節では「かれの証しは真実であることを、わたしたちは知っている」とある)人々の前で読み上げられるために用いられた。最初は、その書ができあがった土地で、やがて他の諸教会へも筆写され、普及していっただろう。パウェルの手紙の集約は、パウェル自身が生きていた早い時期から始まっていたに違いない。パウェル自身が手紙で述べている内容から、二つの教会が彼の二つの手紙を、自然の成り行きとして筆写し、交換していたことがうかがえる(コロサイ4:16)。彼の他の手紙もまた写しが集められていったことは想像に難くない。使徒行伝は疑いなくルカの先行する文書「第三福音書」とともに普及し受け入れられていった。*14

 正典性の確定において、その文書が公的な場での朗読に用いられていたことが重視されたことに注意しよう。初代教会における聖書の正典としての機能は、奉神礼的(リタージカル)なものであったということである。聖書が読まれ説かれたのは、ユーカリスト(聖体礼儀)の集いの場であったということだ。「哲学者」聖ユスティヌスは二世紀中頃の日曜日の奉神礼の様子をこう伝えている。

太陽の日と呼ぶ曜日には、町ごと村ごとの住人すべてが一つ所に集い、使徒たちの回想録か預言者の書が時間のゆるす限り朗読されます。朗読者がそれを終えると、指導者が、これらの善き教えにならうべく警告と勧めの言葉を語るのです。(第一弁証論67)*15

 ユスティヌスは引き続き、どのようにパンとぶどう酒が持ち出され、ユーカリストが行われるかを描写している。今日私たちが新約聖書として知っている文書は、ここの地域教会で礼拝で用いるために集められたのである。個人的な聖書の学びのためではない*16。それゆえ、聖書が聖書として確認され解釈されたのは礼拝共同体としての教会の内にあってのことだった。

 しかしながらそれぞれの教会には、異なった文書が集められていた。これはユダヤから小アジア、ゴールにまで広がって存在した各共同体がまったく同じ文書を集め回覧することの困難性ばかりではなく、かなりの数の異なった文書が流布されていたことにもよる。
 多くの人々が、初代教会では新約聖書の27文書が流布していて、教会が完全な正典をひとそろい所有するためには、それら27の文書の写本を手に入れればよかったと、ナイーブにも思い込んでいる。事の実際は、最初の2世紀間、使徒的な権威を持つと主張された他の多数の文書が流布されていた。しばしば、これらの結果的には正典として見なされなかった文書がそれぞれの教会で正典として用いられていた。

 新約聖書の正典を定めようという機運の高まりは、ある範囲で、グノーシス主義のような異端者たちが、彼ら自身の考えで彼らの正典を定めようとしていたことによる。グノーシス主義者たち異端的グループは現在の新約聖書のかなりの部分、とりわけパウェルの文書を拒否した。一方で彼らは、彼ら自身が「使徒的」とみなした文書を流布させた。そのような文書の中でよく知られているのが「トマスによる福音書」である。

 異端者たちがいくつかの文書の権威を否定し、いかがわしい由来の他の文書を流布させたことが、教会をその文書が「聖書」であり、その文書がそうでないと見なされるかについて、結論を急がせたのである*17。しかしこの過程は決して迅速なものでも一通りのものでもなかった。二世紀と三世紀の三人の著者たち、リヨンの聖エイレナイオス、クリメント、アレクサンドリアのオリゲネスは明確に、四つの――ただ四つの――福音書、マトフェイ、マルコ、ルカ、イオアンの福音書があると述べている*18。そのような明白な宣言があってさえ、これらの他の「福音書」の影響は残った。グラントは、クリメント自身が「エウレイ人による福音書」をそれと特定することなく引用し続けていたことを指摘している*19。

 二世紀末の「ムラトリ正典表」は、今日の新約聖書のほとんどの文書を正典としているが、イアコフ書、エウレイ書、イオアン第三書、ペトル前書、ペトル後書は除外され、逆にイオアンの黙示録に加えて、ペトルの黙示録が正典とされている。

 長い間いくつかの文書は、その正典性を問題にされていった。エウレイ書は西方では四世紀末まで、黙示録は東方では、正典として広く受け入れられて後までも論争され続けた*20。

 今日の新約聖書正典に完全に一致する正典表は、アレクサンドリアの聖アタナシオス(367)の「復活祭(パスハ)書簡」に見いだされる*21。西方では、新約聖書正典は三九七年のカルタゴ公会議まで確定されなかった*22。
 旧約聖書の正典については、グラントがこう言っている。

 最も初期のクリスチャンたちにとって「聖書」といえば旧約聖書であった。そこから、彼ら自身の聖書の正典を作るためには、ユダヤ教の指導者たちがそれと認める旧約聖書の正典をまず受け取り、それに加えてキリスト教固有の文書を付け加えれば充分と考えたかもしれない。しかしながら、このプロセスは単純な者ではなかった。キリスト教徒ではないユダヤ人たちの間では、それらの文書は様々な違ったかたちで使用され西暦70年のエルサレム陥落のかなり後まで、きちんと制定された正典を確立しようという試みはなかったようだからである。*23

 事実、ユダヤ人たちが彼らの正典を明確化したのは、すでにキリスト教の時代に入ってかなりたったヤムニア会議以降のようである。*24

 しかしヤムニア会議以降でさえ、クリスチャンたちは七十人訳ギリシャ語旧約聖書にあはあるがユダヤ人たちが彼らが正典から排除した文書を用い続けた。どの文書が旧約聖書を構成するかに関してのクリスチャンたち共通の理解はなかったのだ。グラントによれば「この時期の旧約聖書正典は達成されたものと言うよりむしろ過程であった」*25。

 このように、キリスト教会の最初の三世紀間において、旧約・新約いずれにあっても一つの普遍的に受け入れられたカノンの存在を示すことはできない。それゆえに、もし聖書がほんとうに自己の正典性を確証するものであるなら、なぜ教会がその、宗教改革者たちの言う「自明な」正典に出会うまで、三百年もかかったのであろうか。さらにいえば、クリスチャンのかなり大きな部分を占めるプロテスタント諸教会が、ギリシャ語訳旧約聖書が神のインスピレーションを受けていないと結論づけるまで、十一世紀間もかかったのだろうか。*26 

聖書による聖書の解釈 

 「聖書のみ」の教義への第二の前提は、聖書自身が聖書を解釈するということだ。ルターはこう書いている。「不明確なテキストはまったくそのテキストがないのと同じくらい悪い」*27。言い換えれば、テキストの意味が不明確であるなら、霊感を受けたまったく充分なテキストを持っていても無駄であると言うことだ*28。

 聖書は、聖書自らが解釈するという考えは明らかに馬鹿げている。それは最も熱心な実証主義者たちを当惑させてしまうほどの、絶対的客観性を前提している。アインシュタインは観察者はどんな科学的観察においても、その観察結果の一部分であることを立証した。純粋な客観性というものはない。自然界の観察においてこれが真実だとするなら、ましてや聖書のテキストの解釈においてはどれほどいっそう真実であろうか。いろいろなテキストは、論理的に配列されてそこにあるのではない。しかしこれがまさに「聖書のみ」の教義が前提にしていることなのだ。すなわち、読む者にその意味を何の疑問の余地もなく承認を強いる多様な解釈がありないむき出しにされたテキスト。この主張が馬鹿げていることは、何千もの数のプロテスタントの教派が特定の章句に対してそれぞれに異なった解釈をしていることが明らかに証拠立てている。

 「聖書のみ」の教義が論理的には、テキスト自らが自らを解釈することを前提しているとしても、プロテスタントは実際には、テキストが自らその意味を解釈するとは信じていない。近所のキリスト教書店へ行って、売っている聖書注解書の数を数えてみなさい。聖書の諸書それぞれについて文字通り「何十」もの注解書がある。もし、聖書が聖書自身を解釈するなら、プロテスタントはなぜ、数千とは言わないまでも、数百の聖書解説書を書いてきたのだろうか。なぜ同じプロテスタントの伝統の中にある注解者たちが、互いに一致しない注解を書いているのだろう。*29

 ここでは、伝統という語が、非常に重要である。ルター派はルター、メランヒトン、アウグスブルグ信仰告白の伝統によって聖書を注解する。長老派はカルヴァン、ベザ、ノックス、ウェストミンスター信仰告白の伝統によって聖書を注解する。要するに、それぞれの聖書注解は何らかの伝統に基づいて書かれているということだ。問われるべき真の問題は、聖書が伝統を含んでいる(Scripture imply tradition)かどうかではなく、どの伝統が聖書を正しく解釈しているかである

 使徒行伝8章26節から39節に、聖ルカは聖使徒フィリップとエティオピアの宦官の出会いを伝えている。宦官は「受難の僕」についてのイサイヤの預言を読んでいた(52:13~53:12)。フィリップは読んでいることがわかるかと尋ねた。すると宦官は言った。「だれかが手引きしてくれなければ、どうしてわかりましょう」。フィリップは神に照らされるように祈りなさいとも、その章句が自ら解釈を教えてくれるだろうとも言わなかった。フィリップは「口を開き、この聖句から説き起こして、イイススのことを宣べ伝えた」。フィリップはエチオピアの宦官に、ハリストスの使徒として、聖書を説いたのである。もし宦官がクリスチャンではないラビに尋ねたら、まったく別の解釈を聞かされていたに違いない。

 「聖書のみ」を擁護する人たちはしばしば、古代教父たちも教義論争に当たって聖書を権威として、そこに主張の根拠を求めたではないかと、指摘する。しかし彼らが通常は口をつぐんで語らないのは異端者たちも同様に、聖書に自説の根拠を求めたということだ。その古典的な例が、その結論が至聖三者の教義を最終的に確立することになるアリウス論争であった。

 アリウスは4世紀初頭のアレクサンドリア教会の司祭であった。論争は、箴言8章22節以下に対するアリウスの解釈から始まった。ソロモンはそこで知恵について語っている。「主が昔、そのわざをなし始められるとき、そのわざの初めとして、わたしを造られた」*30。正教もアリウス陣営もいづれもが知恵をハリストスであると解釈している*31。問題は、この節が何を意味しているかである。
 アリウスの答えは、ロゴスは最も高く、高貴で、善なるものではあるが、あくまでも被造物であるというものだった。ハリストスは造られざる神の子であるという正統信仰を守ろうとした者たちは、このアリウスの解釈に対処になければならなかった。ヒラリーの聖ポワティエは、この節は「彼らが引き起こした嵐の中で最も強力な大波、逆巻く風によって襲いかかる激浪である」*32と言った。正教はこの節はハリストスの人間性に言及しているのであって、彼の神性に関するものではないと、反論した。

 ここには、聖書をの権威を承認し、問題の箇所については、そこがハリストスについてのべていることでは同意するが、その解釈では正反対の立場を取る二つのグループがある。両派ともに彼らの解釈は疑いなく「自明である」と見なしている。聖書を解釈する者はだれでも自分の解釈は「自明である」と、決め込んでいる。しかし、他の者にはそれは自明ではない。それゆえ、どのように彼らがそれぞれに自分の解釈が正しいと結論づけたかが問題となる。

 聖書解釈についてのプロテスタントの最も一般的な原則はの一つは、意味の明快な章句の光によって不明快な章句を解釈するというものだ。しかしながらジョン・ホワイトフォード神父が指摘するようにどの章句が明快で、その章句が不明快であるかは、必ずしも明確ではない*33。私たちはハリストスを神として描写しているように見える箇所の光で、ハリストスを被造物であると描写しているように見える箇所を解釈するのだろうか。ないしは、アリウス派の人たちがしそうな、その逆で。答えは、その問題に対して私たちが持っている前提が何であるかに完全に依存する*34。

 アリウス派の解釈は、ペリカンの描写によれば「神の算術的な唯一性」を曲げることへの熱狂的とも言える拒絶に基づいている*35。言い換えれば、アリウス派の立場は、神についての哲学的概念を前提している。そこでは「二つの神的ペルソナ」と「神が人となる」ことなど、考えられない。

 一方、正教の解釈は人類の救い主は神でなければならない、なぜなら神のみが人を救い得るからという前提に基づいている。アリウス派へ対抗する正教側の旗手であった聖アタナシオスは、神が人となったのは人が神のごとくなるためだと宣言した。言い換えれば、救いはたんなる罪の赦し以上のものである。救いの核心は死の克服と神と人との結合に存る。このように箴言8:22の正教の解釈は、ア・プリオリに神のみが死を滅ぼし、人類をご自身と一致させ得るという確信に基づく。

 決定的要因は究極においては教会がそこで祈る、祈りのあり方である。ユスト・ゴンザレスはこの問題を次のように巧みにまとめている。

 二つの陣営それぞれが、聖書からのお気に入りの立証本文に加え、敵対陣営の立場は成り立ち得ないことを示す、論理的理由を持っていた。かたやアリウス派は、アレクサンドルが提示しているのはキリスト教が一神教であることを否定することになると論じた。アレクサンドリアの主教(アレクサンドル)が正しければ、神性を有する二つのものがあり、したがって二つの神があることとなる、そんなことはあり得ないだろう、というわけだ。一方、アレクサンドルはこう反論した。アリウスの立場は「みことば」の神性を否定し、したがってイイススの神性も否定することとなる。そもそもの初めから、教会はイイスス・ハリストスを礼拝してきた。もしアリウスの提唱するところが正しいなら、そのような礼拝は廃止し、それは偶像崇拝に過ぎなかったと宣言する必要があるだろう。ハリストスへの礼拝を続けることも、やめることも、両方とも受け入れられない。したがってアリウスの間違いは立証された、ということである。*36

 二つの立証テキストは真正面から衝突し、この対立に何の解決をも、もたらすことはできなかった。最終的結論は、教会の生きた現実の中からもたらされた。

 正教はアリウス派の偽善を告発する機会を逃さなかった。彼らは、正教徒たちと同じように、至聖三者の形式の頌栄(ドクソロジー)と洗礼の定式文を使い続けていたからだ*37。もし、ハリストスが神ではないなら、アリウス派は被造物を礼拝していることとなる。ペリカンはこう述べている。

 問題は教会が釈義と啓蒙教育のための文書のなかで教えていることが、またユダヤ教徒や異教徒たちへの護教的著作と信条のなかで告白していることが、教会の祈りの中で信じられていることに、どのように関連づけられるべきかである。*38

 アリウスとその聖書解釈によって提起された問題は、西暦325年のニケア全地公会議で、ハリストスについての教義に「ホモ・ウシオス」という哲学用語を持ち込むことで解決された*39。「解決された」という語で、私は問題が概念上解決されたことを意味している。論争が最終的に終熄するまでには、その後数十年が必要だった。「ホモ・ウシオス」という語の使用それ自体が、論議を呼び起こしたからである*40。

 ペリカンによれば、ニケアに参集した主教たちは聖書の用語の内に厳密に留まりたかったが、まさにアリウス論争で聖書が持ち出されたことが、正しい聖書解釈を守るために非聖書的な用語を持ち込むことを余儀なくした。

 最初、公会議は聖書に用いられているまさにその通りの用語に固執したかった。たとえば子は「神から」。しかしコリント前書8:6とコリント後書5:17(-18)のような章句が、そこでの「万物は神から」を「(神の子も含め)すべては神によって創造された」と証明するために引用されたとき、公会議に参加した主教たちは「神から」という語をもっと厳密にする必要に迫られたのだ。彼らは特に二つの定式、「独り生まれた、すなわち父の本性から」と「ホモウシオス(同一本性)」の確定において行った。*41

 キリスト教史にはこのような例があふれている。ある異端的グループは、彼らなりに削除したり拡張したりした聖書の「正典」を主張するが、多くは、アリウス派やネストリウス派のように、「正典」とするのは正統派と同じである*42。これらの異端はそれぞれに、彼らの立場を支持する聖書の章句で完璧に鎧われている。もし、聖書がほんとうに自らを解釈するとするなら、延々と続いた(時には暴力的に)キリスト教最初の千年の論争は決して起きなかっただろう*43。

 これらの異端が打ち倒されたのは、正教が反対者たちよりより多くの根拠となる聖書箇所を組織できたからではなく、それら異端が、神がまさにその独り子の体である教会に与えたいのちを否定したからである。教会がアリウス主義を受け入れられなかったのは、教会は自身が礼拝しているお方を神として知っていたからに他ならない。教会がネストリウス主義を受け入れられなかったのは、ロゴスが「人」イイススを担い、この「人」が十字架上で死んだという考えは、教会の礼拝と神との交わりをウソにしてしまうからである*44。

 古代教会のあらゆる教義論争において、争点は生の聖書テキストに訴えることによってではなく、現実に生きられている教会生活に関連づけられた聖書解釈によって、決着がつけられた。問題は「聖書はなんと言っているか」ではない、また決してなかった。そうではなく「聖書は何を意味しているか」であった。

 この問題についての正教会の立場は明快である。使徒たちの伝統が権威ある解釈基盤であり、その上で聖書は正しく理解される。旧新約聖書は第一の、そして確かに規範的な、使徒的伝統の、文書化された要素である。しかしあの欠くことのできない解釈の文脈から取り出されてしまえば、聖書は古代に存在した多くの文書群に並ぶ一組の文書群にすぎない。それは、人の想像力がなし得る多くの異なった解釈へと開かれている。宗教改革は伝統を捨てたわけではない。聖使徒たちと古代教父の伝統を16世紀の唯名論者と人文主義者の伝統に取り代えただけである。*45 

「虎の巻(answer book)」としての聖書

 「聖書のみ」の教理を補強する第三の前提は、聖書の目的はクリスチャンにとって完全に充分な案内書たることだという考えである。あらゆることはその書物に書いてある通りになされなければならないという信仰は、件(くだん)のその書物は必要な指示をすべて含んでいることを仮定している。

 礼拝に関する事柄から始めよう。「五書」はイスラエル民族の礼拝のために詳細な指示を与えている。これらモイセイの書で、神はイスラエル民族に、どのように幕屋を造るか、聖なる器物をどのように飾るか、そして犠牲をどのように献げるかについて明示的に指示している。それゆえ「トーラ」(モイセイ五書)をイスラエル民族の「指示マニュアル」と呼んでも差し支えなかろう*46。
 きわめて明らかなことだが、新約聖書にはその点、いかなる形であれトーラーと類似するものは見あたらない。つまり、礼拝についての特別な指示はない。初期のクリスチャンたちが礼拝のためいつ集まったのかについてのヒントはある。すなわち「週の初めの日」(使徒20:7)とあるが、限定的な指示ではない*47。

 さらに、新約聖書はどのようにユーカリストが執行されるべきかについても詳細を示さない。我らの主は「わたしを記念するため、このように行いなさい」(ルカ22:19)と言ったが、福音記者も聖使徒パウェルもともにどのように、またどれほどの頻度でユーカリストが行われるべきかについてはいかなる指示も書き記していない。使徒行伝に初代クリスチャンたちは週の初めの日に「パンを裂く」ために集まったとあるが、福音主義者たちの大多数はこれを「命令」とは受け取っていない。大半が、彼らが「主の晩餐」とよぶものを、一月に一回以上は行わない。通常は年に四回だ。*48

 さらに聖書とパウェルによってコリンフ前書で与えられたユーカリストに関する指示(11章)は、コリンフ教会における「晩餐」の軽視を機に与えられたものであり、晩餐そのものをどのように行うべきかについての細かい指示ではない。使徒はたんに不適当に行われていたことを正したに過ぎない。

 聖使徒パウェルの書簡は、ほとんどの場合、特定の人々や教会に何らかの事情がある時に、必要に応じて書かれたものである。ユーカリストをはじめ他の問題についても包括的に述べられていないのは、そのように必要に応じて書かれた手紙なら当然のことである。しかしながら、それは、もし新約聖書の諸文書がクリスチャンの生活への包括的な導きの書であるとするなら、あり得ないことである。神はイスラエル民族に、社会生活と礼拝について詳細な指示を与えた。クリスチャンの教会にも同じことをなし得なかったのだろうか。もし、新約聖書がクリスチャンの「虎の巻」を意味するなら、なぜあんなに多くのことを「未回答」のままにしてあるのか。

 すでに注意しておいたが、すべてのプロテスタント教派が「聖書のみ」を同じように解釈しているのではない。改革派の伝統は聖書を包括的な「虎の巻」とは見なしていない。彼らは、クリスチャンの生活のあらゆる面で「主がどういったか」ということにそんなに関心を持たず、聖書全体の中で輪郭が浮かび上がってくる一般的原理に従って生活と礼拝を秩序づけようとする*49。ウエストミンスター信仰告白の聖書の充分さについての条項のかの有名な「それにもかかわらず」節は、特に「神の礼拝に関するある事情」に言及している*50。このように、クリスチャンの生活の幾つかの側面は、聖書から引きだされた一般的な原理に基づいて、判断を下されなければならないのだ。

 それが実際にどのように行われるのか、洗礼を材料に見てみよう。クェーカー教徒と救世軍以外のすべてのクリスチャンは洗礼を、ハリストスの次の命令の履行として行う。「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖神の名によって、彼らに洗礼を施しなさい」(マトフェイ28:19)。しかし神学的に、行うことは何事であれすべて聖書のみに基づくべしとするプロテスタント諸教派が、洗礼の本質に関して(それは再生か?)、誰が洗礼を受けることができるか(幼児も可か、それとも信仰を表明できる者だけか)、どのように洗礼は施されるべきか(浸礼か、灌水礼か、滴礼か)、そして定式文(至聖三者の名によるか、イイススの名のみによるか)で、一致していない。

 バプテスト派もキャンベル派もともに信徒の洗礼を行い、完全な浸礼を主張するが、キャンベル派は洗礼を人の再生と見なすが、バプテスト派ではたんなる象徴である。いっぽう改革派は幼児洗礼を行う。灌水礼か滴礼である。プロテスタントの大多数は「父と子と聖神」の名で洗礼を施すが、ごく少数のグループ、特にペンテコスト派にはイイススの名のみによって洗礼を施す者たちもいる*51。
 ここで、聖書と初代教会での洗礼の様式の問題を調べておくのもよいだろう。宗教改革者たちの「聖書のみ」へのとらえ方に固有の問題が、ここで明らかになるからだ。A.A.ホッジは、バプテストの浸礼による洗礼の執行に対し、改革派の滴礼を猛烈な勢いで弁護する。聖書は洗礼がどのように行われるべきかについて詳細な指示を与えていない。そこで彼は滴礼式への彼の弁護を聖書にある特定の原理からの演繹に基礎づける。

 バプテスト派のほんとうの立場は、…洗礼を授けよという命令は、水に沈めよという単純で唯一の命令である。それは信者がハリストスと共に死に、埋葬され、復活することの象徴である。他のクリスチャンたちが主張する洗礼についての真理は、洗礼は水で洗えという単純で唯一の命令である。それは聖神によってなされる浄めの象徴である。洗いの様式はそれとは無関係である*52。 
 ホッジもそのバプテスト派の反対者たちも洗礼に関して一つだけの聖書的イメージを取り上げ、それを絶対化し、洗礼の本質と様式を解釈する唯一の鍵としている。誰が正しいのだろうか。もっと大切な問いは、誰が、誰が正しいと決定し、その決定がどのようになされるのかということだ。

 初代教会の「ディダケー」*53として知られる文書は、初代教会がどのように洗礼を執行していたのかを理解するための重要な情報を提供してくれる。ディダケーは第一世紀ないし第二世紀のごく初期に書かれた。この文書が重要なのは、まさも新約聖書とはまったく異なる種類の文書だからである。つまり「指示書(マニユアル)」なのだ。ディダケーは「洗礼の神学」は伝えないが、初代教会で洗礼がどのように行われたのかについての正確な描写を与えてくれる。最初の六章は倫理的な啓蒙によってなる。受洗に備える人たちの教育に用いられた。残りの諸章は教会生活を取り扱う。洗礼について、ディダケーは特別の指示を与えている。

 洗礼については、次のように洗礼を授けなさい。上に述べたことをすべてあらかじめ述べた上で、流れる水によって、父と子と聖霊の名をもって洗礼を授けなさい。流れる水*54がない場合には、他の水で洗礼を授けなさい。冷たい水でできない場合には、温かいみずでなさい。どちらの水もない場合は、頭に水を三度、父と子と聖神の名によりて聖霊の名をもって注ぎなさい。洗礼の前には、授洗者、受洗者、また他に誰か可能な人たちがいるならば、(その人たちも共々)断食をなさい。受洗者には(洗礼に)先立つ一日か二日断食するように命じなさい。*55

 洗礼が浸水式でできない場合に限って、灌水式が採用されていることに注意して欲しい。滴礼式については何の言及もない。

 他の著者たちも正確に同じ描写を伝えている。彼らは洗礼は浸礼によることのみならず、洗いとしての洗礼のイメージと共に死と復活としての洗礼のイメージも共に取り上げている。テルトリアンは二世紀の終わりごろに、洗いとして洗礼を述べているが、三度の浸没も強調している*56。四世紀の中頃には、エルサレムの聖キリルが明確に三度の浸没をハリストスの三日間の埋葬に結びつけている*57。

 一四世紀のニコラス・カバシラスはこう言います。「誰だって三度の浸没と、自ら挙がることが救い主の三日間の死とその復活、すなわち神の救いの経綸の到達点を表していることを知っている」。その後には「このように洗礼の洗いは罪深い習慣と行いをきよめ、ハリストスのいのちを施す健康に与る者へと私たちを変える」*58。

 教会の伝統――ペンテコステの日から今日まで切れ目なく伝えられてきた教会のいのち――は、「洗礼を施せ」というハリストスの命令をどのように理解してきたかを示す。洗礼は、三度の浸没と至聖三者の名によって行われる再生のわざである。そしてハリストスと共にする埋葬と復活である(コロサイ2:12)と共に再生の洗いである(ティト3:5)。

 誰でも伝統を参照することなく容易に教義や実践を聖書が差し出す原理から引きだすことができるという考え方は、言ってみれば「白紙委任」に過ぎない。委任された者は、自分が望む「聖書的原理」を勝手に言挙げして、その欲する結論を自在に引きだすことができる。「滴礼による洗礼」、「イイススの名のみによる洗礼」*59、「経綸主義」、「ラプチャ」*60、そして「無原罪の懐胎」*61も、みな然りである。

思想としてのキリスト教

 ここまで検討してきた「聖書のみ」という教義を基礎づけている前提は、歴史の事実と認識論とは無関係である。しかし「聖書のみ」は事実上神学的な思想をも前提している。すなわち、それはまさにキリスト教そのものの本質についての前提をなしている。聖書はクリスチャンの信仰と実践に必要なあらゆるものを「含んでいる」と主張することは、聖書は必要なあらゆるものを「含み得る」ことを前提することにほかならない。言い換えれば、「聖書のみ」は、キリスト教は本質的に「思想」、もっと正確に言えば「イデオロギイ」であることを前提としていることになる。

 このように理解するならば、聖書は思想ないし教えを含んでいる、ホッジの言葉を用いれば完全な「教義の体系」である*62。このように、聖書は聖書そのものが解釈するのだから、だれでも聖書を取り上げて、クリスチャンであるために信じ実行することが必要なあらゆるものをそこから拾い集めることができる。キリスト教は、それゆえに、信じられるべきひと揃いの教義、従うべきひと揃いの規則となる。

 しかし正教にとって、キリスト教は本質的に生きられるべき「生活」であり、ひと揃いの教義や道徳的指針ではない。しかし、その生活はただの「生活」ではない。キリスト教は「ハリストスにあるいのち(生活)」である。これを倫理的な「キリストのまねび」であると理解されてはならない。そうではない、ハリストスの体、すなわち教会にあってのハリストスとの有機的な一致なのである。すでに何度も述べてきたことだが、聖書を理解するための解釈の鍵を与え、そして古代教会における大教義論争の決着をもたらしたものは、「教会のいのち」だった。引き続く諸章で、繰り返しこのテーマに立ち戻ることになるだろう。



*1"The Sufficiency of the Written Word" , in Don Kistler, Ed. "Sola Scriptura! The Orotestant Position on the Bible(Morgan, PA:Soli Deo Publication,1995), p.165
*2訳注 原注では、ここでA.A.Hodgeの"The Confession of Faith"の注解に訳出されているものを用いたとされているが、翻訳では日本基督改革派教会/信条翻訳委員会訳「ウエストミンスター信仰告白」(1964年 新教出版社)を用いた。
*3 A.A.Hodge 前掲書 p.39
*4ストーンは長老派の牧師であったが、1801年のCane Ridge Revivalの中で「目覚め」、長老教会を去った。マーティン・マーティはストーンを言い換えてこう書いている。「…この運動は人間的な意見のガラクタを一掃してくれる。ウェストミンスターも、長老教会の信条もコウモリやモグラにくれてやるんだ。そして新たなキリスト者たちを昔の元々の岩の上に立て直す」 Pilgrim in TheirOwn Land: 500 Years of Religion in America(New York:Penguin Books,1985) p.196
*5 Marty の引用 p.197
*6しかしキャンベル派の運動は一枚岩のものからはるかに遠いものなので、多くの教会がこれらの禁止を守っていない。
*7 "The Meaning of 'Biblical Theology '" Word and Faith(London:SCM,1963),p82
*8もちろん宗教改革者たちは、初代教会の教父たちの神学と調和していると主張した。現代の福音主義者たちも同じことを主張する。しかし、私の言いたいのは、教父たちの神学の方法は、改革者たちのものと異なっているばかりか、根本的にそれに対立するものであることだ。
*9ペリカンはハインリッヒ・ブリンガーの次の言葉を引用している。「(聖書の権威についての教義の)主題と位置は神の言葉を伝える聖なる書物を集め、明確に数え上げることを要求する」。ブリンガーのFive decades of Sermon(1552)The Christian Tradition: A History of the Development of Doctrine, Vol.4, Rrformation of Church and Dogma(1300-1700)(Chicago:University of Chicago Press,1985), p.210
*10Perikan, Reformation, p.340
*11Metzger, The New Testament:Its Bachground,Growth,and Content,2nd.Ed.(Nashville:Abington,1983),p.276
*12メツガーはまた正典化のプロセスの全貌を叙述した書物を書いている。The Canon of the Nrw Testament:Its origin,
Development,Significance(New York:Oxford University Press,1987)
*13 The Formation of the New Testament(New York:Harper&row.1965),p.8.
*14 Metzger,New Testament,p.274
*15訳注 教文館 柴田有 訳 キリスト教教父著作集第1巻
*16聖書の写本を作るために多額の費用がかかったことから、今日の私たちが行っているような個人でする聖書の学びは、不可能であった。それが可能になったのは印刷機の発明を待ってのことであった。
*17グノーシス主義者たち、とりわけマルキオンが「新約聖書正典」という概念を生んだと示唆されてきた。グラントは正当にもこの考えに異議申し立てをしている。しかし、グノーシス主義者たちの聖書の扱い方がつよく教会の正典化の過程に影響を与えたことは確かである。Grant,pp.121-130参照
*18三人の内ただエイレナイオスのみが教会によって聖人と認められていることは、特筆すべきことである。クリメントとオリゲネスの神学には重大な問題があり、オリゲネスに関しては実際に、第五回全地公会議で彼の神学のある側面が異端として断罪されている。それにもかかわらず、ふたりは、2世紀後半から3世紀にかけてのアレクサンドリアのキリスト教についての価値ある証人であり続けている。
*19Grant,p.112
*20エルサレムの聖キュリロスはその「洗礼志願者のための講話」(350年頃)のなかで、黙示録について疑問を表明している。神学者グレゴリイ(4世紀)は、彼の正典リストから黙示録を外している。正教会は黙示録を正典と見なしているが、教会の奉神礼の中で読まれることのない唯一の新約文書である。興味深いのは、奉神礼の多くの部分が黙示録に描写されている天上的礼拝のビジョンにならって形象化されていることだ。正教会の黙示録への解釈につては、大主教Averky Taushev,"Apocalypse:In the Teaching of Ancient Christianity(Platina,CA:St.Herman of Alaska Brotherhood,1995)
*21この時期、アレクサンドリア教会は復活祭の日付について計算について責任を負っていた。毎年、アレクサンドリアの大主教はその年の復活祭の日付について、諸教会に放置する書簡を回覧させていた。
*22じっさいには「確定」は少々言い過ぎである。メツガーが指摘するように、カルタゴ公会議以降も正典に関しては流動的な要素がある程度残っていた。Mtzger,Canon,p.239参照
*23 Grant,p.32
*24ユダヤ人たちが彼らの正典を最終的に決めたのがいつであったかについては議論がある。ヤムニア会議は便利な日付ではあるが、確かなことは言えない。
*25 Grant,p.51
*26すなわち、西暦90年頃のヤムニア会議で決められたヘブライ語正典には入っていない70人訳ギリシャ語聖書の文書は、しばしば偽典もしくは第二正典として言及された。
*27 Pelikan,Reformation p.181からの引用
*28ウェストミンスター信仰告白では「聖書の中にあるすべての事柄は、それ自体で一様に明白でもなく、またすべての人に一様に明らかでもない。しかし、救いのために信じ守る必要のある事柄は、聖書のどこかの箇所で非常に明らかに提出され、開陳されているので、学識ある者だけでなく、無学な者も、通常の手段を正当に用いるならば、それらについての充分な理解に達することができる。第1章7(日本基督改革派教会・信条翻訳委員会訳 新教出版社)
*29南部バプテスト教会の原理主義派が、バプテスト日曜学校審議会を牛耳ったときに最初にやったことは、新たな注解書シリーズを発刊することだった。彼らは、既存のBroadman Biblical Commentary はリベラルだと信じていた。実際にもともとのBroadman シリーズの幾つかの巻は、問題ありとして撤収され、置き換えられた。このように、創世記については少なくとも3っつの異なった南部バブテストの注解書がありえるのだ。もっとも一つは引っ込められてみることはできないが。現在流布しているNew American Commentary批判的な評価については、James W. WattsのInterpriting Inerrant Text:The Old Testament Volumes of the New American Commentary所載のPerspectives in Religiopus Studies,23:1(Spring,1996)、pp.75-86参照
*30欽定訳はThe Lord possessed me in the beginning of his way と訳す。その部分のヘブライ語を正確にどのように訳すのかについては議論がある。NIVは欽定訳と改訂標準訳の違いを、The Lord brought me forceによって調整した。しかしながら、アリウス論争はヘブライ原典ではなく70人訳の表現を巡って戦われた。70人訳では明確に、created(
造られた、である。
*31現代のプロテスタントはしばしば知恵とハリストスの同一視を否定する。聖使徒パウェルのハリストスは神の知恵であるという主張にもかかわらずだ(コリンフ前1:24)。聖書は自己解釈するといったって、この程度のことである。
*32「至聖三者について」12:1 Pelikan, The Christian Tradition:AHistory of the Development of Doctrine,Vol.1,The Emergence of the Catholic Tradition(100-600)(Chicago:University of Chicago Press,1971),p.193から引用
*33 Sola Scriptura: An Orthodox Analysis of the Cornerstone of Reformation Theology(Ben Lomond,CA:Conciliar Press,1996),pp.26ff
*34アリウスが箴言8:22を用いるのに対し、正教は詩編2:7「主はわたしにいわれた。『おまえはわたしの子だ。きょうわたしはおまえを生んだ』」で対抗した。
*35Pelikan,Emergence,p195
*36 The Story of Christianity,Vol.1,The Early Church to the Dawn of the Reformation(San Francisco:Harper &LRow,1984),p.161 ゴンザレスがアレクサンドルというのはアレクサンドリアの主教聖アレクサンドルである。325年の第1回ニケア公会議の時には、聖アタナシオスはアレクサンドリア教会の輔祭であった。
*37Pelikan,Emergence,pp.198-200.盲目者ディディモスの言葉に基づき、ペリカンは、アリウス派の一部は頌栄を次のように改訂したという。「光栄は、聖霊にあって、子を通して父に帰す」
*38Pelikan,Emergence,p.199
*39 ホモ・ウシオスは同一の本質ないし実体を意味する。ニケア公会はハリストスは神父と同一本質、ないし実体と主張する。
*40聖書に用いられていない語であることとともに、ホモ・ウシオスは以前はグノーシス主義と結びついていた。さらにその上、アリウスにはまったく同情的ではない多くの主教たちが、それにもかかわらずこの語の使用に反対した。それは、神の異なったペルソナの現実性を、この語が弱めてしまうことを恐れたからだ。彼らはサベリウス主義の異端を恐れた。この異端派は、神の三つのペルソナは単に唯一の神が異なった場面で演じる異なった役割に過ぎないと主張していた。ホモウシオスを理解するために受け入れられる神学的枠組みを作り出し、これらの用心深い主教たちが325年のニケア全地公会義で決議され、381年のコンスタンティノープル全地公会義で完成した信条を受け入れるまでには、4世紀後半のカッパドキアの三大師父たちの成し遂げた業績を待たねばならなかった。
*41Pelikan , Emergence,p.202
*425世紀のネストリオス論争はとりわけ教訓的だ。ネストリウスとアレクサンドリアの聖キリルの間に交わされた7通の手紙が残っている。そこで二人は聖書から同じ章句を引用し、かつそれをもって相手を論破しようとしている。同じテクストを前にしていながら、二人はまったく異なった見方でそのテクストを取り扱う。これらの手紙のオリジナルのギリシャ語と英語の見事な対照版は、Cyril of Alexandria:Select Letters, in the Oxford Early Christian Textseries(Oxford :Clarendon Press
*43「聖書自らが聖書を解釈する」ことへのプロテスタントの弁護論は、異端への対応の中で教会の神学が歴史的に発展してきたことに取り組もうとするや、ただちに矛盾のうちに崩壊する。たとえば、ホッジスはこう述べる。「プロテスタントは聖書に啓示された真理の多くはそれ自身の性質から、人間の理解を超えていること、そして多くの預言は歴史の展開によってその成就が説明されるまで意図的にあいまいなままにされている。しかしそれでもなお、次の点をプロテスタントは断言し、ローマカトリックは否定する。1)本質的な信仰箇条と実践の規則は聖書によって明瞭に教えることができる。2)クリスチャンは個人的にであれ、無学であれ、彼ら自身の力によって聖書を手堅く解釈することが許されている。一方で、歴史学的また批判的な知識の進歩とともに、また論争によって、共同体としての教会は聖書の厳密な解釈とそこに啓示された真理の全体系の把握に進歩していった」。このようにホッジスは、人間の救いにとって本質的なあらゆる教義が無学な者によってさえ明瞭に理解できることと、幾つかの解釈は歴史的過程の結果であることを、同時に主張する。それでは三位一体の教義はどうなるのか。もしそれが本質的な教義であるなら、無学な者は「通常の手段によって」は、それを明確に知ることができないのか。また、ホッジスが聖書が包含する「真理の全体系」に言及している。この真理の体系という考え方にはのちに、ふれることになる。
*44礼拝と論争の関係の研究については、ヘンリー・チャドウィック(Henry Chadwick)のEucharist and Christology in the Nestorian Controversy(Journal of Theological Studies),Ns2(1951)pp.125-142
*45ルターは唯名論の影響を強く受けた。彼が学んだエアフルトは唯名論哲学の中心地であった。またツイングリとカルヴァンは著名な人文学者であった。カルヴァンについてはWilliam BouwsmaのJohn Caivain:A Sixteenth-Century Portrait(New York:Oxford University Press,1988) p.13.
*46しかしここで注意しなければならないのは、たとえトーラーがイスラエル民族の礼拝についての詳細な指示を与えていても、すべてを尽くしているわけではないことだ。「聖書のみ」への反対者たちが好んで引用するのは申命記12:32である。「あなたがたはわたしが命じるこのすべてのことを守って行わなければならない。これに付け加えてはならない。また減らしてはならない」。しかしこの戒めはイスラエル民族がヘブライ原典の現在の正典を編成するために他の文書を付け加えることを阻止できなかった。
*47この限定的な指示の欠如が、セブンズデイ・アドヴェンティストたちの、クリスチャンはスボタの日、すなわち土曜日に礼拝すべきだという「聖書に基づいた」主張を正当化している。
*48南部バプティスト協議会のトラクトでは、「主の晩餐は繰り返し定期的に守られなければならない。意味を失ってしまわないように余り頻繁に行われてはならない一方、信者が忘れてはならないのであまりにもまれであってもならない」と断言する。Robert E. Naylor,"In Remembrance of Me"(Nashville:Broadman Press,1979) 福音主義者たちのこの一般的な基準は新約聖書のどこにも見あたらないことに、注意して欲しい。ウエストミンスター信仰告白にもホッジによるその注釈にも頻度については述べられていない。しかしとても興味あることだが、主の晩餐が世の終わりまで守られ続けなければならないことへの四重の証明の一部として、ホッジは「キリスト教会におけるその始まりから、あらゆる教会で行われてきた同一の普遍的な実践」をあげている。Hodge, 前掲書、p.355 これは伝統にもとづく論拠と言えないだろうか!
*49じっさいには、キャンベル派自身が、あらゆることを明瞭に聖書の中で「主がこういった」ことにもとづいて行うとすれば四苦八苦するであろう。たとえば、新約時代のクリスチャンたちはシナゴーグや個人の家で集会した。クリスチャンの集会のために建設された建物については、新約聖書は何も述べていない。長いすがきちんと並べられているその間に行儀よく座ってする礼拝などにも、何も言及はない。さらに新約聖書は、室内の洗礼プール(背後の壁に川を描いた壁画があったりなかったりだが)で人々に洗礼を施す正当な理由も、何も提供してくれない。
*50Hodge,p.37.参照、また p.272
*51フェミニスト神学の浸透、「差別語禁止」、そして多くのプロテスタントのグループでの流行にともない、いまや、「至聖三者の定式」の使用は聖書にある定式を用いることを意味しなくなっている。「In the name of Loving Parent,the Obedient Child, and Inspiring Emotion」は無数の可能な定式分の中の一つに過ぎない。それらは聖書からではなく、時代の風潮の中から引きだされたものだ。悲劇的なことに、これらの思想は徐々に、福音主義者たちの世界にも侵食してきている。
*52Hodge、p.340
*53「十二使徒の教訓」としても知られている。
*54字義通りには「生ける水」
*55幾つかの英訳が利用できる。(以下省略)
訳者注:和訳は荒井献「使徒教父文書」(講談社文芸文庫)から
*56テルトリアンはしばしば、幼児洗礼への反対者として「信者の洗礼」を唱えている。しかしながら、注意しなければならないのは、それが、洗礼はハリストスへ向かうという意識的な決断の外的なしるしであるという信仰からではなく、洗礼後の犯した罪に対して赦しは、特別な事情に限られているという彼の信念からだということだ。彼はまた未婚者には、結婚まで(ないしは童貞のまま生涯を送る決心ができるまで)受洗を待つように勧めている。それは自らの洗礼を汚さないためである。
*57Lectures on the Christian Sacraments,Ed.by F.L.Cross(Crestwood,NY:SVSPress,1986)p.p.59ff
*58The Life in Christ, Tr.by Carmino J. detanzaro(Crestwood,NY:SVSPress,1974),pp.75,78
*59ディダケーは実際に使われる洗礼の定式文についてもきわめて明快に指示を与えている。すでに述べたように、その定式文は至聖三者によるものだ。しかしもう一つの節では、ディダケーはこう言っている。「主の名をもって洗礼を授けられた人たち以外は、誰もあなたがたの聖餐から食べたり飲んだりしてはならない」(9章)。至聖三者の定式は礼拝の定式であり、「主の名によって」は説明の言葉である。4世紀の聖大ワシリイもまたこの問題を論じている。Orthodox Study Bible(Nashville:Thomas Nelson)の使徒行伝8:16の脚注は誤りである。「洗礼は時にはハリストスの名のみによて行われたが、至聖三者の名による洗礼が次第に標準的になっていった」(p.289)。至聖三者を否定した異端者たちの他に、イイススの名のみによって洗礼を授けていた者がいた証拠はまったく見あたらない。
*60経綸主義と「ラプチャー」はともに、主唱者たちは聖書的と言うが、19世紀の「発明」である。ユスト・ゴンザレスは皮肉っぽくこう言っている。「いっぽうで、次の点を銘記しておこう。原理主義は自らを伝統的な正統的キリスト教の間もリテを自負するいっぽうで、聖書の新しい解釈を生み出している。原理主義の聖書には間違いはないことの強調と聖書学者たちの結論の多くの拒否は。聖書の異なる文書からのテキストを同列に並べることを可能にし、そうすることによって神のわざ、過去、現在、未来を説明するたくさんの枠組みを発展させてきた。これらの枠組みの中で最も成功したのが「経綸主義」である。The Story of Christianity,vol.2,The Reformation to the Present Day(San Francisco:Harper &Row,1984)p.257
*61プロテスタントの論客は、ローマ・カトリックの「無原罪の懐胎」の教義を、「聖書のみ」に依拠せず伝統に依拠したときに何が起きるかの公的礼として持ち出す。しかしながらこの問題は実のところはこうなのだ。すなわち、「処女」マリアによるハリストスの懐胎でなく、義人アンナによる処女マリアの懐胎に言及するこの教義は、アウグスティヌス的原罪解釈からの完全に論理的な演繹なのである。もし原罪を生物学的な再生産によって受け継がれるアダムの違反に対する「罪責」と解釈するなら、肉においてハリストスを宿す準備として、彼女自身が派はアンナに宿ったときにこの汚れからきよめられなければならないというのは、完全に理に適っている。正教会はこの教義をあっさり否定するが、その理由は「聖なる伝統のなかにそんな考えはない」からである。この教義は原罪、元祖の罪への誤った理解から論理的に導き出されたものである。こうして、1854年教皇ピウス9世によるその宣言は伝統よりむしろ教義が聖書的な原理から合理的に導き出され得るとする思想に由来するのだ。
*62聖書は完全な教義の体系、そして個々人にとって、共同体にとって、教会にとって、必要な実践的規定となるすべての原理を教えてくれる。

「すべての者の救い」に望みをかけるべきか

――オリゲネス、ニッサの聖グレゴリオス、シリアの聖イサアクはどう考えたか

府主教 カリストス・ウェア

(翻訳 松島雄一)

  神は悪に報復するお方ではない。しかし、悪を正すお方である。 シリアの聖イサアク

「愛はそれに耐えられない」

 人が、さしあたって今知っている知識によっては、答えられない難問がいくつかあります。答えようがないにせよ、問いかけずにはいられない、そんな問いです。死後の世界に思いを馳せて、人は問います。「肉体を失って、魂はどのように存在できるのか」「死と復活の間の、肉体を離れた魂はどんな性質を持つのか」。「今のこの『からだ』と、来るべき時に義人たちが受ける『霊のからだ』(コリンフ前書15・44)は正確にはどんな関係にあるのか」。そして最後になりますが、決して最小とはいえない問いがあります。「すべての者の救いに望みをかけるべきか」。私がここで集中的に論じたいのは、この最後の問いです。答えられないにせよ、答えられるにせよ、これは、神のこの世に対する関係への理解全体に決定的な影響を持つ問いかけです。神の救いの歴史の最後の最後にはいっさいを包含する和解があるのでしょうか。創造されたものはみな最後には、至聖三者の相互内在性の内に、父と子と聖神の間を永遠に行き交う互いの愛の運動の内に、場所を得られるのでしょうか。

 罪は「逃れ得ぬもの」、しかし
 人はすべてやがてよし
 あらゆるもの、またすべてやがてよし(岩崎宗治訳)

 T.S.エリオットはその「四つの四重奏」の最後で、ノーリッチのジュリアンのこの自信に満ちた断言に賛意を表しました。しかしそう言い切る権利が人にはあるのでしょうか。
 問題をもう少し明確にするためにまず、二十世紀のロシア正教会の一人の修道士の言葉を、次に創世記冒頭の章を取り上げましょう。アトスのシルワン長老の弟子、ソフロニイ掌院が記録した一つの対話が、問題を混乱させている二律背反を要約しています。
 
 「シルワン長老はとりわけ、神から引き離された地獄で、苦しむ死者たちのために祈った。長老にとっては、「外の暗闇」で誰かが歯がみしているなどと考えるのは耐えがたいことだった。長老と一人の隠修士の会話を憶えている。この隠修士は「神はすべての無神論者たちを罰するでしょう。彼らは永遠の炎に焼かれるのです」と満足を隠すことなく言った。
 長老は明らかに当惑して「教えてください。パラダイスに行ったあなたが、そこで見下ろしてみると、誰かが地獄の炎で焼かれている、それを見て、幸せですか」と訊ねました。
 隠修士は答えました。「救いようがないでしょう。彼ら自身が過ちをおかしたからですよ」。
 シルワン長老は悲しげに言った。「愛は決してそれに耐えられません。すべてのもののために祈らなければなりません」。

 ここには最も基本的な問題が正確に提起されています。聖シルワンは神の憐れみに訴えます。「愛は決してそれに耐えられません」。隠修士は人間の責任を強調します。「彼ら自身が過ちを犯したからです」。ここで人は明らかに衝突する二つの原理に直面します。第一は「神は愛である」。第二は「人間は自由である」。

 この二つの原理にどのようにバランスを与えたらよいのでしょうか。第一は、「神は愛である」。そして神のこの愛は惜しみなく、汲み尽くし得ず、限りなく耐え忍び、ご自身の創造した理性的存在者を永遠に愛し続けずにはおられません。彼らの内の最後の者が、おそらく無数の時を経て、彼らの自由意志で進んでご自身に立ち帰る日まで、神は憐れみに満ちた眼差しで彼らを見守り続けるでしょう。しかし、それならば第二の原理「人間は自由である」はどうなってしまうでしょう。神の愛の勝利が必然的なら、「選択の自由」が存在する余地はどこにあるでしょうか。最後の土壇場ではもう選択肢がないなら、人はほんとうに自由であり得るのでしょうか。

 問題を少し言い換えてみましょう。聖書の第一ページに「神はその造ったものの全てを見た。見よ、それはまったく善く、美しかった」(創世記1・31 七十人訳ギリシャ語聖書)。すなわち創世の時にはすべては一致していました。被造物は全て創造者の善と真実と美を完全に分かち合っていました。それに対し、最後の時には一致ではなく分裂があると言うべきなのでしょうか。善と悪、天国と地獄、喜びと苦しみの対立が永遠に解決されることなく、存在し続けなければならないのでしょうか。もし、神は世界を完全な善として創造したことを認めた上で、神の創造した理性的存在者の相当な部分が、最後には神から永遠に引き離された容赦ない苦痛に身もだえしなければならないと主張するなら、これは、神はその創造のわざにおいて失敗し、悪の諸力には敗北したことになりはしないでしょうか。そんな結論に納得して、事足れりとしてよいのでしょうか。もしくは、この分裂の彼方に、一致が究極的に回復して「あらゆるもの、またすべてよし」となることを期待すべきなのでしょうか。

 C.S.ルイスはこの「すべての者の救済」の可能性を否定して、こう言います。「…ある者は救われないということになるのです。わたしはできるなら、このような考えをキリスト教から取り除きたいと思います。しかし、聖書は全面的にこの説を支持していますし、特に主イエスご自身のみ言葉がこれを裏書きしています。キリスト教はこれまで常にそう唱えてきましたし、理性もこれを裏書きしています」。ルイスは正しいのでしょうか。「すべての者の救済」論はそれほどまでに露骨に聖書、伝統、理性にそぐわないのでしょうか。

聖書の二本のより糸

 私たちは新約聖書の中に、地獄での終わりなき責め苦の可能性を明確に警告するテクストをたいした苦労なく探し出せます。イイスス自身の口から出た三つの例を取り上げてみましょう。
 マルコ伝九章四三節、四七~四八節。「もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、片手になって命に入る方がよい。…もし、あなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出しなさい。両眼がそろったままで地獄に投げ入れられるよりは、片目になって神の国に入る方がよい。地獄では、うじがつきず、火も消えることがない」(マトフェイ18・8-9、イザヤ66・24参照)。
 マトフェイ伝二五章四一節(羊と山羊の物語から)。「それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ』」。
 ルカ伝一六章二六節(地獄にいる金持ちへのアブラハムの言葉)「そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない」。

 暗喩や象徴を用いずに死後のことについて語るのは、不可能ではなくても、たいへん難しいことです。これらの三つの節が暗喩的な絵画的表現を用いているのは驚くにあたりません。ここでは「火」、「うじ」、「大きな淵」という語が用いられています。この暗喩はもちろん文字通りには受けとめられません。しかし、それらの語にはそれぞれに取り除けない含みがあります。「火」は「消えない」「永遠」のものと言われます。「うじ」は「つきず」、「淵」は渡ってゆけません。もし、「永遠に」がじっさいには「いつまでも」ということ以上の何も意味しないなら――すなわちこの今の「時」においていつまでもということであり、必ずしも「来たるべき世」まで続く必要がないなら――、またもし「淵」がたんに一時的に渡れないに過ぎないなら、新約聖書のこれらのテクストはなぜそれを明確に語っていないのでしょう。

 しかしそれでも、これらの、また他の「地獄の火」についてのテクストは、別のテクスト、むしろ「すべての者の救い」に指向されている、新約聖書ではあまり頻繁には現れない異なったテクストの光のもとで解釈されることが必要です。
 一方で罪の普遍性を、その一方で救いの普遍性を述べ、その平行関係を認めるパウェルの一連のテクストがあります。もっとも明白なのはコリンフ前書十五章二二節です。そこでパウェルは第一のアダムと第二のアダムの類比を試みています。「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、ハリストスにあってすべての人が生かされるのである」。確かに、「すべての」という語は、このテクストの前半、後半の両方で同じ意味で用いられています。ロマ書にも同様の箇所があります。「このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである」(5・18)。「すなわち神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順の中に閉じ込めたのである」(11・32)。パウェルがこれら三つのテクストによって言わんとしたのは、ハリストスはその死と復活によってすべての人にたんに救いの可能性を差し出したということであって、それ以上ではないと論じられるかも知れません。すべての人が救われるであろうとは言われますが、そして救われるにちがいないとは続かないのです。その救いは各人の自由な選択にかかっているからです。すなわち、救いはすべての人に差し出されていますが、必ずしもすべての人がその救いを受け取るとはいえません。しかし実際には、パウェルはたんなる可能性以上のものを暗示しています。彼は自信に満ちて期待します。彼は「すべての人が生かされるかも知れない」と述べているのではなく「すべての人が生かされのである」と述べているのです。このことは、ぎりぎりのところで私たちを「すべての者の救い」へと勇気づけます。C.S.ルイスが、一つの確定的事実として「ある者は救われない」と言い切るなら、パウェルの述べるところに矛盾してしまいます。

 コリンフ前書一五章二八節(オリゲネスが自説の根拠とする箇所でもある)に、同じ自信に溢れた期待をもっとはっきりと聞き取れます。パウェルは言います。ハリストスは支配を続け、やがて「神が万物を彼の足もとにしたがわせ、…万物が神に従うときには、御子自身もまた、万物を従わせたかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである」。「すべての者にあって、すべて(パンタ エン パシン」という句が示唆しているのが「究極的な分裂」ではなく「究極での和解」であることは明確です。

 「牧会書簡」にもアルミニストとジョン・ウェスレイに影響を与えたテクストがあります。「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」(ティモフェイ前2・4)。もちろん、この書簡の記者はすべての者の救いの確実性を述べたのではなくたんに、それが神の望むところであると言っているに過ぎないという反論も可能でしょう。しかし、神の意志は最後には満たされないと断定すべきでしょうか。すでに述べたように、すべての者の救いを、少なくとも「望む」ことに、私たちは励まされます。 

 このように、聖書的根拠を求めても一筋縄ではいきません。その複雑さを、まず認めなければなりません。聖書全体が同じ一方向を向いているとは言えないのです。聖書には二つの対照的な「より糸」があります。あるいくつかの章句は私たちの自由に呼びかけます。神は呼びかけますが強制しません。選択の自由があります。神の呼びかけにイエスと応じるべきか、ノーと拒むべきか、選択は自由です。未来のことは定かではありません。私は、私としてどちらの目的地に向かうのでしょう。婚宴には連なれないかもしれません。しかし、聖書には他の章句があって、それらは同じ強さで「神の主権」を主張します。神が最後には打ち負かされるなどということはあり得ません。「すべて、やがてよし」です。そして最後には神は「すべての者にあって、すべて」でしょう。
 一つは私たちひとり一人への「呼びかけ」、一つはゆるぎない「神の主権」、この二つが新約聖書の二つの主要な「より糸」です。どちらのより糸も軽視されてはなりません。

宇宙的医師としての神

 ここで目を聖書から教会の伝統の内に転じてみましょう。
 教会史の中で誰よりも「すべての者の救い」に結びつけられてきた著作家は、アレキサンドリアのオリゲネスです。何世紀もにわたって、たいへん褒めそやされもし、また反対にそれに負けず劣らず、罵倒もされてきた人物です。たとえば彼の同僚であった盲目者ディディモスは、彼を「使徒以来の最も重要な教師」と呼びます。レランの聖ヴィンセンティウスは「他の人たちと共に正しいより、オリゲネスと共に間違っている方を望む」と雄叫びを上げています。これと正反対の見方の衝撃的な、しかし典型的な表現がエジプトの地で共住修道の基礎を打ち立てた聖パコミウスの逸話に出てきます。ある日、パコミウスが彼を訪ねてきた修道士たちと話していると、ひどくいやな匂いがしてきました。なぜかわからず、しばらく当惑していましたが、突然その匂いの理由がわかりました。訪ねてきた修道士たちはオリゲネス主義者だったのです。「見よ。私は神の前にあなたたちに証しして言おう。オリゲネスを読み、そこに書いてあることを受け入れる者は地獄の淵に落ちるであろう。彼らが受けつぐのは、泣きと歯がみのある外の闇だ。持っているオリゲネスの書物をすべて川に投げ捨ててしまいなさい」。悲しいかな、余りにも多くの者がパコミウスの忠告を聞きいれ、彼の書を焚き払い、また破り捨てました。その結果、彼の著作は、主著のほんの一部がオリジナルのギリシャ語ではなくかろうじて翻訳で残っているだけです。これは特に「諸原理について」に当てはまります。この書はオリゲネスが最も系統的かつ詳細に終末についての彼の思想を述べたものです。この書に関しても、私たちはルフィヌスによる必ずしも正確とは言えないラテン語訳に頼らなければなりません。

 その名誉のためにも言っておきましょう。オリゲネスは彼の批判者たちの先鋒であるヒエロニムスとユスティニアヌスには必ずしもうかがえない謙遜さを備えていました。彼は神学上の深遠なテーマについての著作で繰り返し、神の神秘の前に敬虔な驚異の念で頭を垂れています。自分がすべてのことについて答えを持っているとは一瞬たりとも、想像すらしません。この謙遜さはとりわけ彼が終末と未来の希望について語るときに顕著に現れます。「これほど難解な事柄を理解するには…、確実な見解を提示すると言うよりは、論究し、探求するという形で、恐れの念を抱きつつ、注意深く述べるつもりである」。

 それでも、謙遜であろうがなかろうが、オリゲネスは西暦五五三年にユスティニアヌス帝が招集しコンスタンティノープルで開催された第五回全地公会議で異端宣告を受け破門されました。彼に向けられた「一五箇条の破門宣告文」の第一条は「根拠のない『霊魂の先在』と、これによって導かれる奇怪なる『万物復興』を主張する者は誰でも、呪われよ」と宣告しています。これは全く明白に述べられた決定的な断罪です。すべての事物とすべての者の最終的な復興(「アポカタスタシス」)への信仰――悪魔も含まれるすべての者の救済への信仰――は正教会にとって教理についての目に見える最高の権威である全地公会議によって異端として明白に、公式的に排斥されました。

 しかし、「一五箇条の破門宣告文」が第五回全地公会議で実際に公式的に承認されたかどうかには、少なからぬ疑いがあります。これらの箇条は主会議が招集される少し前、五五三年の早い時期に行われた小規模な会議ですでに承認されていた可能性があります。その場合、全地公会決定決定としての完全な権威に欠けることとなります。しかしたとえそうであっても、第五回全地公会議に集まった師父たちはこれらの一五箇条を知悉しており、これを無効にしたり修正したりする意図は持っていませんでした。しかし、それとは別に、第一宣告文の文言それ自体は慎重に吟味されるべきものです。そこでは万物復興についてのみ述べられているのではなく、オリゲネスの神学の二つの側面が結びつけられています。第一は彼の始原論、すなわち「霊魂の先在」と「世界創造に先立つ堕落」です。第二は彼の終末論、すなわち全被造物の救いと最終的和解です。オリゲネスの終末論は彼の始原論から導かれるものと見なされ、ひとまとめに拒絶されたのです。

 したがって「一五箇条の破門宣告文」の第一条でて、彼の始原論と終末論が一つの同じセンテンスの中で断罪されていることは、全く了解可能なことです。オリゲネスは、これらの二つの真理が一つの統合された真実を形成していると考えたからです。彼は次のように信じています。そもそもの始めには、物質的世界の創造に先立って、身体のない「精神」としての「ロギコイ」もしくは「ヌース」(理性的な知性)の領域がありました。本来このロギコイは創造者「ロゴス」との完全な一致のうちにあったのです。その後、「世界創造に先立つ堕落」が起きました。一つの例外(ハリストスの人間的魂となった)を除いて他のすべての「ロギコイ」が「ロゴス」から離れ去り、それぞれの逸脱の重さに応じて、天使や人間や悪霊たちになっていきます。彼らはそれぞれにその堕落の度合いに応じた身体を与えられました。天使たちの場合はきわめて軽く気体のような「身体」、悪霊たちには暗くおぞましい「身体」、人間にはそれらの中間の「身体」です。いっぽう終末には、オリゲネスによれば、この断片化の過程が逆転されます。天使であろうが、人間であろうが、悪魔であろうがすべてが同じように「ロゴス」との一致へと回復されます。全被造物の原初の調和が復興し、再び神は「すべての者にあって、すべて」(コリンフ前書15・28)となります。オリゲネスの見方は、このように循環論的なものです。終末には、すべてが始原の状態に戻ります。

 すでに指摘したように、「一五箇条の破門宣告文」の第一条はオリゲネスの「すべての者の和解(救済)」についての教えばかりではなく、彼の救済史全体への理解にも向けられています。すなわち「霊魂の先在」、「世界創造に先立つ堕落」、「最終的な万物復興」(アポカタスタシス)です。これらは切り離すことのできない一つの世界観と見なされました。しかし仮に、彼の終末論を始原論から切り離してみれば、また永遠のロギコイの領域に関する思弁のすべてを捨ててしまえば、さらに「霊魂の先在」などなく、ひとり一人の人間は、母親の胎内で胎児として孕まれる瞬間ないしはその直後に、魂と身体の統一体として存在しはじめるという標準的なキリスト教の見解に愚直に従えば、どうでしょう。その気になれば、「すべての者の救い」の教えを論理的に確実な主張ではなく(実は、オリゲネスはそんなことはしていません)、心からの願望、夢のような希望として肯定的にとらえることで、前向きに進めてゆくことができないでしょうか。そうすればオリゲネスの循環論を回避でき、反オリゲネス主義者たちの断罪を免れるでしょう。この可能性についてはニッサの聖グレゴリオスについて考察においてあらためて触れます。まずはオリゲネスが最終的な万物復興を主張した理由についてもう少し探ってゆきましょう。

 「すべての者の救い」への信仰は、神の愛の最終的な勝利を不可避なものと考えているので、人間の選択の自由に余地を残せなくなってしまうと、しばしば主張されます。オリゲネスはこの異議申し立てに一貫して敏感に反応しています。神の愛が最後にはすべてを凌駕することへの彼の希望がどれほどゆるぎないものであれ、彼は人間の自由意志のきわめて重大な意義を決して損なわないよう慎重に語りました。「神は愛である」ことを断言する一方で、彼は「人間は自由である」という相対する原理への視点を保ち続けます。かくして、すべてのもののハリストスへの、さらにハリストスの神への服従について(コリンフ前書15・28)語るとき、彼はこう述べます。「この服従は一定の方法と教育と期間を通じて達成される。つまり世全体が神に服従せられるのは、何らかの必然性によってでも、強制によってでもない」。オリゲネスはこのようにまったく明確です。強制も力も決してありません。もし神の愛が最後には勝利するというなら、それは理性的存在者の全てが最後には神の愛を自由にそして喜んで受け入れるということでしょう。オリゲネスの万物復興は、たんに抽象的なある論理体系から演繹されたものではありません。それは希望です。

 ここで、この世の終わりでの最終的和解に関する考察に関してばかりではなく、実際に生きているクリスチャンとしての経験の随所でしばしば感じられるある難しい問題が生じてきます。それは、神の恵み(恩寵)と人間の自由を対峙する二つの原理ととらえ、一方は他の一方を排除すると見なそうとする誘惑です。その結果しばしば、恵みの働きが強ければ強いほど、私たち人間の自由の働く余地は小さく制限されると考えられます。しかしこれは誤って立てられた二律背反ではないでしょうか。A・T・ロビンソンはこう言っています。

 「だれでもこういう瞬間を知っていると思う。愛の圧倒的な力が私たちを強いて、感謝に溢れた応答へと至らせた時だ。その時、私たちはこの奇妙な「強制」が自由を侵害し、人格を蹂躙したと感じるであろうか。人はこのような瞬間にこそ、これまでは未知であったあり方で「自分が自分である」ことを、また他者の愛が彼に強いた「決意」に深く関係する、いのちの溢れと統合を手に入れたと意識するのではないか。もっと言えば、自分に覆いかぶさった強制力がどんなに強くてもこれは真実だ。いやむしろ、こう言おう。その強制力が強ければ強いほど、それはより真実なものだ。ハリストスにおける神の愛の強制のもとで、自己実現の感覚はその頂点に達する。これについては幾世代にもわたる多くの人々が証ししている。ほかでもなくここで、奉仕は完全な自由となる」。

 これは、来るべき世における神の愛の勝利に最も当てはまります。勝利を獲得するのは、愛の慈憐の力です。そしてこの勝利は私たちの自由を支配するのではなく強めるのです。
 オリゲネスの慎重さは特に、悪魔とその手下の悪霊たちの救いに言及する際に明らかです。彼はそれが確実なことではなく可能性であることを非常に明白に語っています。「ヨハネによる福音書注解」では、彼は一つの問いかけを提起しているに過ぎません。「人々が悔い改めを受け入れ、不信仰から信仰へと変わるのであれば、同じようなことを霊たちについて言うのを、どうして躊躇するのでしょう」。「祈りについて」という論文では、神は来るべき時に悪魔に対してある計画を持っているが、今は、それがどのようなものであるのかはわからない、と言うにとどめています。「神は悪魔に対してしかるべくお取りはかられるでしょう。しかし、どのようにかは私は存じません」*20。「諸原理について」では問題は読者の判断に委ねられています。

 「悪魔の支配の下に行動し、その悪に従う階級の中でもある者は、自由意志を有しているものとして、来るべき世々でいつかある時、善へと改心することもありうるのだろうか、それとも持続し根づいてしまった悪は、習慣によって、彼らの本性のように固まってしまったのであろうか。この問題の解答は、読者の判断に任せる」。

 オリゲネスはここで二つの可能性を示唆しています。一方では、依然として悪霊たちは自由意志の力を保持し続けています。他方では、もう悔い改めが不可能となってしまう「帰らざる点」を彼らは超えてしまっています。しかし彼は判断を保留します。どちらの可能性も開かれたまま残ります。

 ここで興味深い疑問が生じます。かつて私は四時間のドライブを要する長旅の始めに、ギリシャ教会の大主教にその疑問を呈したことがあります。長旅の暇つぶしです。「もし悪魔が、…とても孤独で不幸せな奴にちがいありませんが、最後の最後には悔い改めて救われるのなら、僕たちは、奴のためになぜ祈らないのでしょう」。がっかりしたのは(その時、他の話題を何も思いつかなかったもので)、大主教はその問題をあっさり、かつキッパリと片付けてしまいました。「君は、自分のことを考えなさい」。大主教は正しかったのです。私たち人間に関する限り、悪魔は一貫して私たちの敵です。祈るにせよ、ほかの方法をとるにせよ、彼とのどんなやりとりも始めてはなりません。悪魔の救いは私たちには関係ありません。しかし悪魔は、ヨブ記の冒頭に読み取れるように、神とも独自の関係を持っています。サタンは神の御前で他の神の子たちの間に現れます(ヨブ記1・6~)。しかし、この関係がどんなものなのか私たちには正確には全くわかりません。その詮索は不毛です。それでもなお、悪魔のために祈ることは私たちのつとめではないにせよ、悪魔は神の憐れみの外に置かれていると決めてかかる権利は、私たちにはありません。私たちは知りません。ヴィトゲンシュタインの言葉を借りれば、「語り得ないことについては、沈黙を守らなければならない」のです。

 オリゲネスが「全ての者の救い」を主張する際の最も強力な論点は、罰についての分析です。これまで罰を正当化するために説かれてきた三つの論拠を取り上げ、それに対する彼の見解を要約してみましょう。

 第一が「応報論」です。それは、悪をなした者が彼が行った悪に見合う苦しみを受けるのは当然であると、主張します。そうして始めて正義への求めが満足されます。「目には目を、歯には歯を」(出エジプト21・24)というわけです。しかし「山上の垂訓」でハリストスはこの原則をはっきりと拒否しています(マトフェイ5・38)。もし私たち人間がハリストスを通じて、受けた悪に対する正当な報復を禁じられているなら、そう命じた神を復讐や報復をなさるお方であると見なすことは控えなければなりません。至聖三者が報復をするなどと断じるのは、冒涜的です。どんな場合でも、限りのある大きさの悪行に永遠の罰を科すことで報復するなどということは、正義にかなっていません。

 第二は「抑止論」、悪行の抑止のために罰は必要であるという議論です。地獄の燃えさかる火への恐怖だけが、人間に悪を行うことを制止させる、と主張されます。しかしそれなら、こう問われるかもしれません。効果的な抑止手段として、終わることのない永遠の罰が、なぜ必要なのでしょう。将来の悪人に脅威を与えるためには、非常に引き延ばされてはいても終わりのある、神からの苦しい断絶の期間が課せられることで十分ではないでしょうか。いずれにせよ、特に私たちの時代にあっては、地獄の火による脅しは抑止手段としてほとんど効果がないことは、遺憾ながら明白です。キリスト教の宣教が、もし人々に何か意味のある影響を及ぼそうとするなら、必要なのは否定的ではなく肯定的な戦略です。醜怪な脅しはやめて、むしろ人々の驚きの感覚、そして愛の能力を呼び覚ますことに努めましょう。

 残るのは、矯正力としての罰の理解です。オリゲネスはこれを罰に対する唯一道徳的に受け入れられる見方と見なします。罰がもし道徳的な価値を持つなら、それは単なる報復や抑止力ではなく、治療的なものでなければなりません。両親が子供に、また国家が犯罪者に罰を科すとき、その目的はつねに処罰する相手を癒す、またより良く変えることでなければなりません。オリゲネスによればまさにそれこそが神の科す罰の目的です。神はつねに私たちに対し「我々の医師なる神」としてお働きになります。医師は時としては患者に激しい苦痛を与える極端な処置をとらねばなりません(とりわけ麻酔術がなかった時代には)。傷を焼灼したり、手足を切断する場合もあるでしょう。しかし、これはいつも期待されている肯定的な目的のためになされることです。結果的に患者に治癒と健康の回復をもたらすためです。私たちの魂の医師である神も同じです。神はこの世においても、また死後においても私たちに苦難を与えることがあるでしょう。しかし、それは憐れみ深い慈愛、肯定的な目的から出るものです。私たちの罪を洗い、私たちを浄化し、癒すためです。オリゲネスの言葉によれば「神の復讐の怒りは魂の浄化に役立つ」のです。

 さて、この改善と治療のため――これだけが神の科す罰にふさわしい理解です――という罰への理解をとるなら、その罰は終わりのないものであってはなりません。もし罰の目的が癒しであるなら、癒しが成し遂げられれば、もはや罰を課し続ける必要はありません。しかしながら、もし罰が永遠に続くものであるなら、どんな風にそこに治療的、また教育的な目的を見いだすことができるでしょうか。永遠に続く地獄には逃げ場がなく、したがって癒しもありません。そんな地獄にあって罰を科すことは、無意味な不道徳です。それゆえ、この第三の罰の理解は地獄での永遠の責め苦という概念とは両立しません。むしろ、死後の「煉獄」に似た概念を考慮させます。しかしその場合、この「煉獄」は拷問室ではなく癒しの家として思い描かれなければなりません。病院であって、監獄ではありません。宇宙的医師としての神へのこの基本的な見方こそ、オリゲネスが最も説得的に語るところです。

断罪を免れた「全救済」論者

 すべての者の救済へのオリゲネスの渇望は、彼の同時代からすでに疑惑の目で見られていました。それでも彼の霊的な子孫たちにはこの普遍的な希望を保ち続けた人たちがいます。その特筆すべき二人の例が四世紀の末に現れます。ポントスのエヴァグリオスと、聖大バシリオスの弟、ニッサの聖グレゴリオスです。エヴァグリオスは「霊魂の先在」、「世界創造に先立つ堕落」、そして最終的な「万物復興」についてのオリゲネスの全思想をかたくなに支持したことにより、五五三年オリゲネスとともに断罪されます。一方、ニッサのグレゴリオスはオリゲネスの「霊魂の先在」と「世界創造に先立つ堕落」についての思弁を捨てたために、究極的な全救済への信仰を固く保持しましたが、五五三年にもその後の時代にも破門されることはありませんでした。これはその後の正教思想史に大変重要な意義を持つことです。ニッサのグレゴリオスはオリゲネス同様、ゆるぎない確信にあふれて全てが救われる希望を表現しました。彼の言葉は聖使徒パウェルの偉大な宣布「そして、神がすべての者にあって、すべてとなる」(コリンフ前15・28)を思い起こさせます。グレゴリオスは述べています。「これらの長く曲がりくねった道を経て、今は私たちの本性に混ざり合い、合わさっている邪悪さが最終的にそこから追い出された時、また今は悪の中に沈んでいるすべてのものがその最初の姿に回復されるとき、全被造物の内から声を合わせた感謝の歌がわき上がるであろう…。このすべてが神の藉身の神秘に含まれているのだ」。この最終的な回復には、グレゴリオスははっきりと述べていますが、悪魔も含まれます。

 この大胆な主張にもかかわらず、ニッサのグレゴリオスは決して異端者として断罪されず、反対に聖人として栄誉を受けました。どうしてそうなるのでしょう。おそらく、聖大バシレイオスの弟であることで、非難を免れたのでしょう。しかしこうも言えるでしょう。彼が師オリゲネスとは異なった扱いを受けたのは、たぶん師とともに悪に対する善の最終的な勝利への希望を持ち続ける一方で、霊魂の先在説を捨てたことによって、オリゲネス主義者の循環論を回避し得たからだ、と。いずれにせよ、グレゴリオスが異端宣告されなかった事実は実に意義深いことです。このことは、創造に先立つ堕落説を離れれば、厳密な正統教義の内側でさえ、慎重に言葉を選べば「全救済」への希望は受け入れられることを示唆しています。

 ニッサの聖グレゴリオスは私がオックスフォードで携わる教派を超えた研究のための学寮の守護聖人の一人です。個人的にも、そうであることを大変うれしく思っています。

愛のむち

 すべての者の救いに望みをかけた三番目の聖師父はニネヴェの聖イサアク*30です。彼は東方キリスト教世界全体で尊敬され、かつ愛され、「シリアのイサアク」と呼ばれてきました。彼が生きたのは第五回全地公会からおよそ三世代後であったにもかかわらず、彼は第五全地公会で発せられたオリゲネスへの破門から影響を受けていません。それは、ビザンティン帝国の領域をはるかに離れたメソポタミアに住む、「東方教会」のメンバーとして、コンスタンティノープルの皇帝に忠実である必要など何もなく、五五三年の公会も全地的とは認めていなかったからです。その決議文をまったく知らなかったかもしれません。

 特に衝撃的なのは地獄に対するイサアクの理解です。彼は新約聖書にある「火」「うじ」「外のやみ」「歯ぎしり」などのテキストは、文字通りの物理的な意味で理解されてはならないと主張しました。彼は「地獄」や「ゲエンナ」を知的な、また知性によってのみ理解可能なものとして語りました。地獄は「実体」ではなく「結果としての現象」であり、また一方で「外のやみ」は場所ではなく真の知識が、また神との交わりの喜びがない状態です。「そこには火よりも耐え難い悲嘆である心霊的な泣きと歯がみがある」とイサアクは言います。来るべき世における歯ぎしりは、肉体的なものでは決してなく、内的で霊的な苦悶を意味します。ここで、あるエピソードを思い出しました。地獄を論じるとき必ず歯ぎしりについて念入りに語りたがるある説教者のことを思い出しました。とうとう聴衆の一人で年配の婦人が我慢ならず立ち上がり、こう叫んで言いました。「でも私には歯がないのよ!」。説教者は厳粛に答えました。「その時にはまた歯がいただけるのです」。

 イサアクはもっと良い答えを用意しています。彼の見方によれば、地獄の責め苦の現実は、物質的な火にあぶられることでも、肉体的苦痛でもなく、彼ないし彼女が、自分が神の愛を拒絶して生きてきたことを悟ったときに、苦しまなければならない良心の激痛です。

「またこうも言える。地獄でむち打たれるということでさえ、実は愛の鞭による責め苦である。

愛から生じるむち打ち――すなわち愛に対して罪を犯してきたことに気付いた者の受けるむち打ちは――恐怖から生じる責め苦よりはるかに厳しく、つらいものである。
愛に対して罪を犯している結果として、心を食む苦しさはほかのどんな責め苦よりも鋭い。

罪人が神の愛から切り離されていると想像するのは間違いだ。…しかし、愛の力は二通りの仕方で働く。愛は罪を犯した人々を責め苦しめる。それはこの地上でも友人たちの間でよく起きることではないか。しかし一方、愛は、その義務をよく守った人々に喜びを与える。

地獄でも同じだ。愛から来る悔やみは容赦ない責め苦だ」。 

 もう四十年以上も前の学生時代、この一節に最初に出くわしたとき、私はひとりつぶやきました。「これは地獄について納得できるただ一つの見解だ」。聖イサアクは教えています。「神は愛であり、この神的な愛は変わることも尽きることもない」。神の愛はあらゆる所に行きわたり、あらゆるものを包み込んでいます。「わたしが黄泉に床を設けても、あなたはそこにおられます」(聖詠139/138・8)。地獄にいる人々でさえ神の愛から切り離されてはいません。しかし、愛は二通りの形で働くのです。それを受け入れる者には喜びとして、それを拒絶する者には責め苦として。ジョージ・マクドナルドによれば、「神の恐怖はその愛の一方の側面に過ぎない。外側が愛であれば、内側は恐怖である」。

 だから地獄にいる人々は聖人たちが終わりのない喜びと感じるものを、苦しい痛みと感じているのです。神が地獄にいる人々に責め苦を科しているのではありません。神の愛に応えることを意識的に拒絶している人々が自らに責め苦を科しているのです。ジョルジュ・ベルナノスが見抜いているように「地獄とは、もはや何も愛さないこと」です。ウラジミル・ロスキー*35は書いています。「神の愛はそれを自らのうちに獲得していないものにとって、容赦ない責め苦である」。そこから帰結するのは、地獄にいる者とは、自分自身を縛り付け、自分自身で檻に閉じこもってしまった者たちだということです。C.S.ルイスはついにこう結論づけます。

「結局は二種類の人間しかいないのだよ。神に向かって「御心をなさせたまえ」と祈る人々と、神からついに「おまえの思い通りにせよ」といいわたされる人々と。地獄にいるのは、みずから地獄を選んだ者たちだ。人がそのようにみずから選んだのでなければ、地獄などというものはあるはずもない。…地獄の扉は内側から締められている」。

 さて、もしこれがすべて真理であったら、――イサアクが言うように、もし地獄にいる人々が神の愛から切り離されていないなら、そしてルイスが断定するように、彼らは自分で自分を地獄に閉じこめているなら、彼らが救われる幾分かの望みはないのでしょうか。(じっさい、正教会は五旬祭主日晩課で彼らのために特別の祈りを祈っています。)。もし神の愛が、彼らの心の扉を絶え間なくたたき続けているなら、そしてもしその扉は内側から鍵がかけられているなら、ついには彼らが愛の招きに応じて扉を開ける時が、いつか来ないでしょうか。もし、彼らの苦難の理由が彼らが愛に対してどれほど重大な罪を犯してきたを認識しているからだとすれば、それはなお彼らの内に幾分かの善の火花、悔い改めと立ち直りの可能性があることを意味していないでしょうか。
 イサアクは、その通りであると明確に信じています。彼の説教集の第二部(これまで失われていたと思われていましたが、一九八三年にセバスティアン・ブロック博士によって発見されました)で、イサアクは歴史の終末に神がもたらす「素晴らしい結末」について語っています。

 「私の見解は次の通りである。地獄の責め苦という難しい問題の位置づけについて、神はある「素晴らしい結末」を顕そうとしている。それは創造者・神の栄光の面として、途方もない、口では言い表すことのできない慈憐によるものだ。そこから、神の愛と力と知恵の宝庫がいっそう明らかになるだろう。その繰り出され続ける善の波動の執拗な力も同様に。
 終わりのない苦しみに無慈悲に引き渡す、そんなことが憐れみに満ちた神が理性的存在者をお造りになった目的ではない」。

「素晴らしい結末」へのこれほどまでの自信に満ちた期待の表明には二つの主要な理由があります。
 第一は、イサアクはオリゲネスさえしのぐ熱さで神の復讐心や報復という考えをいかなる形であれ拒否していることです。そのような考えは冒涜であると彼はみなします。「その愛の泉、善が溢れる大海に復讐心などまったく見い出しようがない」。神が私たちを罰するとき、ないしはそのように見えるとき、この罰の目的は報復や復讐ではなく、私たちをより良いものにするため、また癒すため以外の何ものでもありません。

「神は愛によって懲らしめる、それは報復のためではない。断じて違う!
むしろすべてをご自身の像に形作るためである。愛の懲らしめの目的は矯正であり、復讐ではない」。  

 イサアクがこの第二部で強調しているように、「神は悪に報復するお方ではない。悪を正すお方である。…神の国とゲエンナはともに神の憐れみに属している」。ゲエンナは、「すべての人が救われて、真理を悟るにいたる」(ティモフェイ前2・4)神の基本計画の実現を助ける、浄化と純化の場以外の何ものでもありません。

 第二は、より基本的なこととしてイサアクが確信していることです。「愛は、大水をもってさえ消すことができない」(雅歌8・7)ということ。イサアクはタルソスのディオドーレを引用してこう述べています。「悪霊たちの途方もない邪悪さでさえ、神の善の大きさを凌ぎ得ない」。消すことのできない、際限のない神の愛は最後には悪に勝利するでしょう。「神にあってはただ一つの愛と憐れみがあり、それはすべての被造物に及んでゆく。不変の、時を超える、永遠の愛である。すべての理性的存在者の内のただ一つも、またそれに属するどんな一部分でさえも決して失われることはない」。ノーリッジのジュリアンとT.S.エリオットと共に、「人はすべてやがてよし。あらゆるもの、またすべてやがてよし」と恐れることなく言い切った者が、はるか遠いメソポタミアの地にいたのです。

愛と自由

 ここまでは、キリスト教東方の伝統の内に、「すべての者の救い」を大胆に望む者として、三人の力強い証人を取り上げてきました。西方からも他の証言者をあげることができるでしょう。とりわけ再洗礼派、モラビア派、至福千年信仰派です。しかし東方でも西方でも――とくにヒッポの聖アウグスティヌスの影響によって西方では――、「すべての者の救い」を望む声は、少数派に留まりました。ほとんどのクリスチャンは、ともかくも二十世紀に至るまで、人類の大部分は永遠の地獄に堕ちるであろうと考えてきました。「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」(マトフェイ22・14)からです。そのような想定(全救済)が正当化されることは夢のまた夢のようです。聖書と伝統を探ってきた今、その理由を考えてみましょう。これまで述べてきたことを集めなおして、「すべての者の救い」を支持する三つの論拠と、反対する四つの論拠を整理してみましょう。

「すべての者の救い」を支持する者たちの論拠

 神の愛の力。限りない憐れみのお方として、創造者・神はその憐れみと赦しをためらうことなく注ぎ、同時にどこまでも忍耐強くお待ちになります。神は何者に対しても強制しません。しかしそれぞれの者、すべての理性的存在者がご自身の愛に進んで応えるまでお待ちになるでしょう。神の愛はこの宇宙に存在する闇と悪のあらゆる力を凌駕し、最後には勝利します。「愛はいつまでも絶えることがありません」(コリンフ前13・8)。愛は決して尽きず、愛には終わりがありません。この無敵の神の愛はすべての者が救われる希望への最も力強い論拠です。

 地獄の本質。これは基本的に、第一の論拠の言い換えです。シリアの聖イサアクについて述べた際に指摘したように、地獄は決して神による「人類の拒絶」ではなく、人類による「神の拒絶」です。それは神が私たちに科す罰ではなく、私たちが私たち自身を罰している精神の状態です。地獄にいる者は神に扉を閉ざされ閉じこめられているのではありません。神は彼らに愛を差し出し続けています。それでも彼らはその愛に対して心を頑なに閉ざすのです。それは、地獄にいる者はみな依然として神の愛の内にあるということです。したがって彼らがいつの日か心をこの全能の憐れみに開く可能性が残っているのです。そしてその時、彼らは神が自分たちを愛し続けていたことを知ります。「わたしたちは不真実(不忠実)であっても、彼は常に真実(忠実)である。彼は自分を偽ることができないのである」(ティモフェイ後書2・13)。神の本性は愛です。神は「ご自身がそうであるもの」であることを、おやめになれません。

 悪の非現実性。これは、まだ議論してこなかった論拠です。神はモイセイに燃える柴の中から「わたしは、ある者」と言います(70人訳「出エジプト記」3・14)。すなわち「わたしは存在する者」です。神は存在であり現実です。そしてあらゆる存在の唯一の源泉です。一方、悪は厳密に言えば非存在であり非現実です。悪と罪は実体的な存在を持ちません。なぜならそれらは神が存在を与えた「もの」ではないからです。それらは善の歪曲であり寄生物です。名詞ではなく形容詞です。これはノーリッジのジュリアンにはっきりと示されました。彼女はその「十三番目の啓示」で述べています。「私は罪を見なかった。なぜなら私は、罪は実体のようなものを持たず、存在しているものと何も分かち合わず、それが引き起こす苦痛によってのみ知られ得るだけだということを信じているから」。

 存在は善です。神からの贈り物だから。存在するものはみな、まさに存在しているという事実によって、存在の唯一の源泉である神とのあるつながりを保っているからです。そこで、こう言えるのです。存在するものは完全にかつ徹底的に邪悪ではあり得ません。何ものかを完全な悪と断じることは意味のないこと、その言葉自体が矛盾です。もしそういうものがあるとしたら、それはまったく非現実的で、実際には存在しないからです。悪魔でさえ、それが存在しているものである限り、なお神とのつながりを持ち続けています。そこで、存在があるところでは、たとえ悪魔にとってさえ希望があります。。

 この第三番目の根拠から導かれ得る結論は「すべての者の救い」ではなく、「条件付きの不死」です。終末では、神は実際に「すべての者にとってすべて」となりますが、それはすべての理性的被造物が救われるからではなく、ある点で、徹底的に邪悪な者たちが、存在することをたんにやめるからです。存在の唯一の源泉である神から切り離されて、彼らは非存在に滑り落ちてゆきます。すなわち時の終わりには永遠の命への復活はあるでしょうが、永遠の死への復活はありません。ないしは、むしろ最終的な続くことのない「死へ向けての復活」があるでしょう。なぜなら「死へ向けての復活」は必然的に消滅を伴っているからです。

 この「条件的不死性」の概念については、それを支持するには多くのことを語らなければなりません。それは、すべての者の救済と終わることのない地獄の間でどちらかを選択しなければならない困難を回避する魅力的な方法です。しかし、四世紀のアフリカの著作家、シッカのアルノビウスによって支持されましたが、それ以前の伝統においてはほかにはほとんど支持者がいません。「条件的不死性」論の立場への反論は共通して、存在という神の贈り物は不動であり変化はあり得ないという点です。神は決して撤退しないということは、たいへん重要なことです。「神の賜物と召しとは、変えられることはない」(ロマ書11・29)のです。自由意志を授けられたそれぞれの理性的存在者の内には、かけがえのない唯一の何ものかがあります。神は同じことを二度は繰り返しません。この唯一のものが宇宙から永遠に消えてしまってよいでしょうか。

「すべての者の救い」に反対する者たちの論拠 

 自由意志論による反対。人は自由であり神に背く自由も持っています。神の賜物は不変です。神は私たちから自発的な選択の能力を決して取り上げません。したがって神に対して永遠に「否」と言い続けることも自由です。そのような終わりなき神へ拒絶がまさに地獄の本質です。自由意志が存在するのなら、永久に続く受難の場である地獄の可能性もまた存在します。その意志に逆らって無理やり人を天国に入れることは誰にもできません。ロシア人の神学者、パウェル・エフドキモフが言うように、神は全能ですが、ただひとつ、ご自身を強いて愛させることは別です。なぜなら愛は自由であり、選択の自由のないところには愛はないからです。この、神の愛の力への訴えは「すべての者の救い」を支持する最も有力な論拠であるいっぽう、反対陣営にとっても最も有力な論拠です。注目すべきは、この論争のどちらの側も、方法は違っても、神は愛であるという事実に主要な論拠を求めていることです。

 引き返せない点。すぐに反論されると思いますが、自由意志からのこの議論は、多くを結論づけすぎてはいないでしょうか。もし神が私たちから選択の自由を決して取り上げないなら、そしてもし地獄にある者たちが自由意志を保ち続けるなら、悔い改めは彼らにとってなおも可能な選択肢の一つであり続けないでしょうか。これに対し、反対論者たちが口をそろえて言うのは、「引き返せない点」があるということです。そこを超えたらもう悔い改めは不可能となる点です。神はこの呪われた者たちから彼らの自由を剥奪はしませんが、彼らの自由意志の誤った行使はついに彼らが態度を変えることができないほど深く彼らの存在に根を下ろしてしまいました。かくして彼らはその神の拒絶に永遠に固定化されてしまったというのです。神は依然として彼らを愛し続けます。しかし彼らはその愛に応答できない状態に自らを引き渡してしまいました。

 ここに天国の聖人たちと地獄の呪われた者たちとの間にある平行関係を見ることができます。天の聖人たちは彼らの自由を失ってはいません。しかし彼らはもはや神に背き罪にすべり落ちてゆくことはできません。彼らは依然として選択の自由を保持していますが、彼らのその自由な選択はすべて善の選択なのです。同様に、地獄にある呪われた者たちも依然として選択の自由を保っています。彼らは今なお「人格」だからです。しかし、彼らの選択はすべて悪の選択です。彼らが神の領域に昇っていくことはもはや不可能です。悪魔は自由を持っています。しかしそれは悔い改めへの自由ではありません。このように、最後の審判のあとには「天国と地獄との離婚」(C.S.ルイス)があるでしょう。天国と地獄の間の裂け目は永遠に超えられないものとなります。

 正義に訴える論拠。「それは神の正義に反している!」、そうよく主張されます。「悪い奴らが正しい者と同じ報いにあずかるなんて」というわけです。もし悪をなした者が償いを求められなかったら、宇宙の調和が崩れてしまうというのです。これまで上げた二つの論拠に比べて、この論拠ははなはだ弱いものと思います。シリアのイサアクが当然にも主張しているように、私たち人間の応報的な「正義」の概念は神には全く適用できません。(ぶどう園の労働者のたとえ[マトフェイ20・1-16]をみれば明かです)。神は「復讐の神」ではなく「愛による赦しの神」です。その正義はその愛に他なりません。神が罰するなら、その目的は返報ではなく癒しです。

 道徳的また牧会的な論拠。最後に、「すべての者の救い」に反対する立場からの議論にしばしば現れる論拠は、それはキリスト教の使信からその切迫感を引きはがし、新約聖書全体に響き渡っている強い警告の調子を過小評価しているということです。ハリストスはその伝道を、「この日に…」(ルカ4・21)、という言葉で開始し、パウェルは「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である」(コリンフ後6・2)と告げました。「この日」「今」こそが、…私たちがそこに向かい合い決断しなければならない時、せとぎわの危機の時、私たちのひとり一人の永遠の未来が決する選択が迫られている時です。もし、いっぽうで死後においても限りなく態度決定の機会が与えられ続けてゆくなら、またこの世での生活がいかなるものであったとしても最後には同じ所にたどり着くなら、キリスト教の宣教のどこに、ひとり一人への選択の促しが、また「今ここで」の回心と悔い改めへの求めがあり得るでしょう。神の勝利がもし必然的なもので、私たちの選択には究極的には意味がないなら、この世での道徳的な決断は取るに足らない無意味なものになりはしないでしょうか。

 オリゲネスはこの困難な問題に気付いていました。「万物復興」の教理は秘せられているべきだと、彼は助言しています。もしおおっぴらに語られてしまえば、未成熟な信者たちを霊的怠慢と無関心に導いてしまうからです*40。だからこそ、十九世紀の敬虔主義の神学者クリスチャン・ゴッドリーブ・バースはこう発言したのです。「誰であれすべての者の救いを信じない者は雄牛である。しかし誰であれそれを教える者はロバである」。いっぽうシリアの聖イサアクはこの問題をまた違った方法で取り扱いました。彼はこう指摘します。「いま、ここで」神の愛に応えるのと、数え切れない時を経た後にそうするのとでは、はかりがたい違いがある、地獄の責め苦はいつか終わるとしても、それは真に恐ろしいものであることに変わりはないと。「たとえこのように地獄が限られたものであっても、それでもなおそこにいることは重大なことである、誰がそこに耐え得ようか」。

 すべての者の救いを支持する最も有力な論拠が「神の愛」であり、反対の立場を支持する最も有力な論拠が「人間の自由」であれば、私たちは出発点で直面した二律背反に引き戻されてしまいます。どうすれば「神は愛である」ことと「人間は自由である」ことに調和をもたらせるでしょう。当分の間は、同時に二つの原理を両方ともしっかり保持してゆくほかありません。そして、その二つの原理が究極的にどう調和しているのかは、今現在の人間の理解力を超えた神秘であることを認めなければなりません。キリスト教とユダヤ教の和解について聖使徒パウェルが言ったことは、全被造物の最終的和解にも当てはめることができます。「ああ深いかな、神の知恵と知識の富とは。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい」(ロマ書11・33)。

 オックスフォード駅でロンドン行きの列車を待つ間、私は時々プラットフォームの北の端まで歩いてゆきます。行き止まりには次のような注意書きが掲げられています。「乗客のこれより先への立ち入りを禁ず。罰金五十ポンド」。未来の希望についての議論でも、同じ注意書きが必要です。「神学者のこれより先の立ち入りを禁ず」。罰金をどうするかは読者におまかせしましょう。疑いなく、オリゲネスのしくじりは多くを語ろうとしすぎたことです。その過失を、私は罵るよりむしろ感嘆します。しかし、何であれしくじりはしくじりです。
 人間の自由への信仰が意味するのは、「すべては救われるにちがいない」と断定的に決めつける権利をだれも持たないということです。しかし、神の愛への信仰は、すべての者の救いに望みをかけることへと人々を促します。

 どなたかいませんか。
 月明かりに照らされた扉をたたいて、旅人は訊ねる。

 地獄は自由意志が存在する限り可能性として存在します。それでも、言い尽くしがたい神の愛の力を信頼して、あえて希望を――それは希望以外の何ものでもありません――表明します。それは最後には、ウォルター・デ・ラ・マールの旅人が見つけたのと同じように、そこには誰もいないという希望です。
 さて、そろそろこのあたりでアトスのシルワンの言葉を最後に、口を閉じましょう。
 
「愛はそれに耐えられない。…すべてのために祈らねばならない」。

※オリゲネスの引用は小高毅訳によりました(訳者)

ホミャーコフと正教会の教会論

Joost van Rossum 著 訳 ゲオルギイ松島雄一

St.Vladimir's Theological Quarterly Vol.35より

    「罪に落ちるとき人は独りであるが、誰も独りでは救われない」。
  (「教会は一つ」第9章)  

 アレクセイ・ステパノヴィッチ・ホミャーコフ(1804-1860)は正教神学の転換期を画した幾人かの神学者や思想家たちの一人である。彼らの出現は、ゲオルギイ・フロロフスキー神父が西方の影響による正教思想の「偽型化」と特徴づけた*1一時代が終焉しつつあることを告げた。この小論では彼の教会論を詳細に分析してゆきたい。

 ホミャーコフは神学の「職業的」専門家ではなかった。彼は司祭でも神学校の教授でもなかった。軍務を退いてからの後半生、彼はその大半を領地経営に費やした。しかし彼はほとんどあらゆる分野において優れた才能を発揮した。熟練した技術者であり、そのうえ哲学、文献学、文学、そして神学上の多くの著作を出版した。ただ彼はその哲学的、神学的な思想を体系的に展開することは決してなかった。さらに言えば、彼は著作家というよりむしろすぐれた語り手であり、知識人たちの集まりの中で展開されたおびただしい討論において自(おの)ずから中心的存在を担うことになった。だから正教神学に今日に至るまで影響を与え続けてきた彼のいくつかの最も重要な神学的著作は、実際には様々な機会に書かれた小冊子であった。それらはフランス語で書かれ外国で出版された*2。反動的皇帝ニコライ一世(1825-1855)の検閲体制は、このスラブ主義者たちの指導者が神学的、哲学的思想を自由に表現することを抑圧した。新しくそして自発的な運動と思想はすべからく怪しむべきものだった。ホミャーコフは彼の最初の神学的評論「教会は一つ」をギリシャ語に翻訳して出版できないか検討したことさえある。なんと、新たに発見された著者不明の聖師父文書として! それが警告文を前書きとしてロシア語で最初に出版されたのは一八六四年、彼の死後のことである*3。

 正教の教会論の再評価を引き出したホミャーコフ自身は、アカデミックな神学からはほど遠かった。これは意味深い。教会は彼にとって学問的分析の対象である以上に「体験」であった。そのような教会とその本性についての見方は公式的な神学アカデミズムの中からは決して生まれ得ないものであった。当時のアカデミズムは教会の聖師父たちや奉神礼の伝統より、ラテン的なスコラ主義とドイツのプロテスタント的神学の影響のもとにあったからである。
 ホミャーコフの教会についての思索は論争的な文脈の中で展開した。彼の教会論は彼が一つの統一体と見なした西方神学への痛烈な攻撃である。彼は、「宗教改革は『ローマ主義』の継続と展開に過ぎない」と述べる。宗教改革も「ローマ主義」も共に「合理主義の産物」である*4。この西方キリスト教への辛辣な批判は、ホミャーコフの文化的な背景から説明できる。スラブ主義は西方文化、特にその合理主義に対して批判的であった*5。しかし彼がこの小論の中でほんとうに示したかったのは、むしろ自身の教会論が「論争」や「護教」を超えていることだった。彼の西方キリスト教への批判的な見方は、彼にとっては教会の本質ないし本性とは何かを表現するためのものである。
 ホミャーコフの教会論の二つの主要なテーマは「一致」と「自由」である。仮にこの二つの概念が、彼が言うように真に教会の本質に属するなら、この二つは決して矛盾しないことを示さねばならない。もし古代からの信仰告白文が告げるように、教会が唯一のハリストスの神秘的な体として「一つ」ならば、その体の肢体(メンバー)としての個々人の霊的な自由はどうなるのか。自分が望むことを信じ行動できないなら彼はほんとうに自由といえるのだろうか。ホミャーコフはこれらの問題に対する答えを西方教会への論難を通じて提示した。彼は教会の一致は教会に押しつけられるものではないことを強調する。「強制された従順は死を意味する」*6。それはまさに「ローマ主義」の中に見いだされるものである。それゆえローマ教会の一致は自由にとって有害な「外的な」一致に過ぎない。宗教改革(プロテスタンティズム)はまさにその対極にある。個々のクリスチャンには自由の余地が残されるが、この自由は一致に対して有害な自由である。それゆえプロテスタントの自由はたんに「外的な」自由に過ぎない。「自由を排除してしまう外的な一致は、結果的に真の一致ではない、これが『ローマ主義』である。一致をもたらさない外的な自由は、結果的に真の自由ではない、これが宗教改革である」*7。

 ホミャーコフはこの二律背反(ジレンマ)をどう切り抜けるのだろうか。いやむしろ、次のように問いかけるべきだろう。教会の本質ないし本性とは、もしそれがローマ主義ともプロテスタント主義とも違うなら、何なのかと。ホミャーコフは教会の一致をたんなる数の上での「一つ」であること、すなわち「特定の個々人の数的総計」*8とは考えなかった。「教会は一つ」の冒頭は次のよう語り出される。「教会の一致は神の一致から必然的に生まれる。教会は切り離された個々人の数の上での集合ではなく、理性的な被造物それぞれが自らすすんで恵みのもとに服するとき、そこに活きづく神の恩寵による一致である」*9。教会の一致は神の愛の賜物を土台とする「内的な」あるいは「有機的な」一致以外のものではあり得ない」。「教会は自らを有機的な一致と見なし、その生きた原理は、神が与えてくれる相互の愛の恵みである」*10。この一致は、目に見えないが真実で絶対的であり*11。この「有機的原理」の上に成り立つ教会の一致は外側から押しつけられるものではなく、自由を侵害することはあり得ない。「教会の一致は常に自由なものである」(ホミャーコフはここで、「ローマ主義」がこうむった変化を論じている)。「その内的な同意による調和の内に実現する自由」*12である。

 それゆえに教会に「上から」臨む外的な真理の規範は「聖書」、「教皇」、もしくは「会議」を問わず存在し得ない。ローマ主義とプロテスタンティズムはともに、教会が信ずべきものとして、そのような外的な規範を承認している。両者が本質的に異ならない理由である。ホミャーコフはローマ・カトリックに対して、教皇の権威は外側から教会に押しつけられたもので、それは教会の一人ひとりの肢体(メンバー)を「臣民」に変えてしまうと言う。「教会の普遍的な不謬性に取って代わった教皇の権威は完全に『外的な』権威である。そこではクリスチャンはもはや教会の肢体の一つではなく、臣民の一人に過ぎない」*13。そしてプロテスタンティズムに対しては、聖書は教会に属するものであり、教会の内で書かれたと言う。「聖なる書物は教会全体によって編まれてきた。教会は聖なる伝統(聖伝)の内にこれらの聖典を生きたものとする。いやむしろこう言うべきだろう。同一の聖神の二つの顕現は実際には一つのものであり、聖書は書かれた聖伝であり、聖伝は生きた聖書である、と」*14。
 聖書を理解するためには、教会のいのち(life 生活)の内に生きなければならない。聖書は教会から切り離されてしまえば、もはや死んだ文字に過ぎない。「教会のいのちが聖書に対してどんな関係にあるのかを理解するためには、人は教会の内なるいのちを理解しなければならない。ドイツのプロテスタンティズムがしてしまったように、クリスチャン各個人を断片化し、クリスチャンたちを一つの生きた『個体』へと互いに結びつけてきた絆を切り離してしまうなら、それはとりもなおさずクリスチャンたちを聖書に結びつけていた絆を切断してしまうことになる。『一つの書物』であった聖書がバラバラの死んだ文字に化す。その時、聖書は徹底的に人々の外側に立つ。証しする者のいない歴史、教理、ことば…が残るだけだ」*15。このように真の教会では、自由と一致は互いに排斥しあうものではない。教会では「内的な、そして真実の一致は自由が宣言されることによって産み出される」*16。それは「合理主義的な学問や、気ままな因習ではなく、相互の愛と祈りという精神的な法を土台とする一致であり、その一致の内にあっては、機密執行のために聖職位が階層的に秩序化されてはいても、誰も隷属させられず、むしろすべての者が差別なく共同の仕事への参与と協力を呼びかけられる。その一致は端的に言えば、人間的な制度ではなく神の恵みによる一致である。それが教会の一致なのだ」*17。
 教会のこの内的な一致は不可視のものである。客観的で目に見えるかたちで感知できるものとはならない。まさにそれがホミャーコフが「見える教会」と「見えない教会」を対置させることを拒否する理由である。「地上でその使命を果たすとき、教会は可視であると共に不可視である」*18。もう一人のロシアの宗教哲学者ベルジャエフは真の教会を客観化しようとするあらゆる試みは挫折すると言う。これら二人の思想家は、真の教会には体験の神秘的な一致があり、それはいかなる教理化や「制度化」にも先行していることを強調する。もちろん誰でも自らをその一致から引き離すこと、すなわち教会から自らを排除し、自らを「自己破門」するのは可能だ。ホミャーコフはそれが痛悔機密の真の意味であると言う。人は特定の「外的な権威」によって断罪されるのではなく、事実上は自らを断罪する。この機密は「ラテン」によって「誤って理解」された。ラテン教会はそれを聖職位の固有の特権であると見なすようになった。いっぽうでプロテスタントは地上のあるいは歴史的に現存してきたこの機密を完全に無視し、廃棄してしまった。教会は罪を犯した者を破門し「断罪」するのではなく、むしろ自ら自由な意志でその一致から離れた人々から手を引くのである*19。
 たぶん人はいぶかるに違いない。ホミャーコフにとって、個人は教会ではどんな位置を占めているのだろうか。キリスト教の神学者たちの信仰と教えはいつも変わらずに同じものだったと言い切れるのか。教会の聖師父たち互いの間にはいかなる違いもないのか。ホミャーコフは歴史的な感覚を充分に持っていたので七回の全地公会議を経て定式化された教会の公式教理の背後には、何世紀にも及ぶうんざりするような議論と葛藤があったことを承知している。しかし彼によれば、キリスト教の教理はたんなる理屈っぽい議論と政治的な葛藤の最終的な産物ではない。教会はそのそもそもの初めから、全地公会議で定められた教理的言明が意味するものを知っていた。教会はいかなる時にも真理を所有している。その「かしら」が真理であるハリストスご自身だから。この真理の表現ないし定式化のための語句だけが、教会の個々のメンバーの知的な、また信仰的な受容能力と、問題の処理に用い得る知的手段に従い、時代と共に変化する。それゆえに教理の歴史は、教会が最初からすでに知っていた真理が世代を継いで順次に発見されてきた歴史と見なされねばならない*20。

 教会の個々のメンバーは誰も完全には真理を所有してはいない。この点についてホミャーコフはニッサの聖グレゴリイとアウグスティンに言及する。二人とも、その教説のあるものが「完全に正統的」とは言えないのだが、彼ら自身は「異端者」とは断じられてこなかった。二人とも、彼らの神学は完全ではないにもかかわらず、教会をより強固なものにするのに貢献した。「教会に燃えている恵みの炎が、彼らが献げた業績を清め、役に立つ材料だけが教会という大建築を築き上げるために用いられてきた」*21。このように教会の信仰を個人的に体験し表現する自由は侵害されることはない。「神性の完全さをそのからだに宿す受肉した真理」であるハリストス以外の誰も、真理を完全には所有できない。それが個々の神学者はそれぞれに教会の裁定を受けねばならない理由である。しかしその裁定は自由を奪い、奴隷的な屈服を強いるものではない。愛による「謙虚な自由」の結果として受け入れられるのである。その「謙虚な自由」こそが真のクリスチャンの固有の性格と言える。教会が特定の人物を「異端者」と宣言するのは(彼らはすでに自らを事実上教会から切り離してしまっている)、彼らにこの性格が欠けている場合に限られる。プライドと道徳的な弱さによって「反抗」へと自らを駆り立てる、人間という存在は本性的に「プロテスタント」であり、人間は教会において愛と聖神の賜物による有機的な一致の一部分となって初めて真に「カトリック」な者となる*22。教会の外では「確信」、すなわち個人的な意見としての「信仰」があるだけである。教会に結ばれることでこれは真の信仰となる。「その歪んだ意志の悪によって盲目にされた無思慮と、限りある知性は神を見ることもしないし、しようとしてもできない。その『信仰』が神と無縁であるのは、ちょうど悪とその奴隷たちが、神と無縁なのと同じである。そのような『確信』はたんなる理論的な意見に過ぎず、ときに『信仰』を詐称するにしても、まことの信仰に導かれるものではない。『確信』は聖性によって信仰へと変えられる。それは『生命を賜う聖神』の恩寵を通じて、神ご自身との内的なつながりを『確信』に与える」*23。教会の外では、個々の「神学的意見(テオログメノン)」 は不完全なものであり続ける。教会の内においてのみ、それは完全なものとなる。「クリスチャンがそれぞれ独自の見解の内に持つ部分的な洞察は、すべての者の有機的な意見の中でのみその完全さを見いだす」*24。学者であれ、主教であれ、それぞれの神学者は教会の裁定を受けなければならない。この裁定は論理的な推論にではなく教会の内的意識にもとづく。「各人の知性の自由は服従的なものではなく、その働きは教会による見直しを受ける」。教会は「決定者」である。その決定は論理的な議論ではなく神から来る内的意識の結果である。ところが「歴史は、無学な民衆と学者たち、群れの導き手と魂の羊飼いが共にこの内的意識を否定してきたことを示している」*25。
 教会の構成員たちがこの内的意識あるいは直観を次第に失ってゆくことはあり得るのだ。たとえばアリウス論争の渦中で正教にとどまったクリスチャンはきわめてわずかであった*26。しかし教会のいのちの中からそれらが完全に消え去ることはあり得ない。教会から真理が全く失われてしまうことはあり得ないし、その一致が失われることもあり得ないからだ。異端者たちでさえこの「天与の一致」*27を破れない。ただ、教会の個々のメンバーが自らを教会から切り離す(「自己破門」)のは自由ではある。教会の一致は教会の内にある「合意」ないし「直観」にもとづくものであって、何らかの「外的」な規準によるのではない。それゆえに、キリスト教教義の真理についての「判定規準」という概念は教会には無縁である。「全地公会」が「全地公会」として教会から承認されたのは、後になってからにすぎない。皇帝たち、総主教たち、教皇たちが承認した「全地公会」の決定が、後になって最終的に「異端的」とされた例はいくつかある*28。だからこそ、ホミャーコフは西方教会の「会議主義」の見方に組みしない。それによれば、会議は教会の信仰の表れというより、むしろ教会の「上に」ある権威となってしまうからだ。

 ホミャーコフは教会の本質の特徴的な表現として自由を強調するが、それは教会の位階的な構造の過小評価ではない。彼は、時に教会の位階構造に批判的だったとされるが、決して教会の聖職の意義を見落としてはいない*29。しかし如何なるものであれ「聖職者主義」と彼が無縁であったことは明らかである。聖職者主義は彼の見解ではローマ教会、プロテスタントを問わず西方教会に固有の現象である。後者もまた前者と同様に、教会を「教導教会」と「聴従教会」に事実上分けてしまっている。教導教会である聖職者たちに学者たちが取って代わっているに過ぎない*30。ホミャーコフは真の教会には「教導教会」はあり得ないと力説する。教会を構成するそれぞれのメンバーは、それぞれの仕方で他のメンバーたちに教え(殉教者たちは真理のために死ぬことで)、またクリスチャン同胞たちから学ぶ。ホミャーコフはアリュートの使徒・聖インノケンティ・ベニアミノフの言葉を引用する。「主教は彼の率いる群れの教師であり、かつ弟子である」*31。教会では教育の手段は言葉だけではなく、生活そのものでもある。「教えることは、言葉という手段だけではなく生活そのものを通じてなされる。筋道の立った説得以外のいかなる教育も認めないことは、まさに合理主義の産物である。そしてその合理主義はプロテスタントよりさらに顕著に教皇主義に表れている」*32。
 その一方でホミャーコフは、教会の信仰を宣言し説明するのは主教の仕事であると言う。「教会の信仰を宣言する権利は間違いなく主教にある」*33。しかし決して間違うことのない主教は存在し得ない。それゆえに教義的な問題についての最終判断は一つの全体としての教会が行う。「主教たちが同意し合えない時は、最後の手段として教会全体が最終的に判断する。たとえ仮定のこととしても、主教たちが全員一致で間違うことがあり得るとは考えられない」*34。
 ホミャーコフには、聖職位階のない教会は想像することすらできない。「主教職を廃止することは不可能である。それが教会の正しさを一人の個人に結びつけて十全に表現するからである」*35。主教職の働きを通じて、教会はハリストスと使徒たちに結合されている。それゆえ、特定の主教たちが「教会の信仰と伝統に忠実な僕」であるかどうかを判断する権利は教会に留保されてはいても、主教たちには教義と教会規律に関して決定を下す特権が与えられている*36。究極的に教会が全体として、その伝統の守り手なのである。もちろん主教職についてのそのような理解は、「使徒的継承」で受け渡され続けるものは「按手によって特定の人から特定の人へと伝えられる力」であるというような魔術的な理解とは無縁である。

ソボルノスチ

 ホミャーコフの教会論は、すでに彼の時代から正教神学者たちのお気に入りの言葉となっていた「ソボルノスチ」に要約できる。しかしホミャーコフ自身は「ソボルノスチ」という名詞を、彼の影響によって正教神学にやがて受容されることになる重要な意味合いでは用いてはいなかった。彼の死の年(1860)に出版された最後の神学的エッセイで初めて形容詞「ソボールニイ」の意味について論じているにすぎない*37。このスラブ語の用語の起源は「集まり(ソビラト)」である。ホミャーコフは、この語が教会に適用される場合は場所的にではなく霊的に理解されねばならないと言う。教会は霊的に一体である人々の集まりであり、必ずしも特定の場所に結びついているものではない。この「集まり」では、各人は大衆の内に吸収されず、人格的自由は損なわれずに保たれ続ける。スラブ語の信経でのソボルニイ(「一つの聖なる公なる(ソボルニイ)使徒の教会」)には、「画一性(ユニフォーミティ)」の対極にあるものとしての「一致(ユニティ)」の意味合いが含まれている。「多数性における一致」が最もふさわしい言い換えである*38。そう理解すると、形容詞「ソボルニイ」はこれまで述べてきた教会の「内的な」あるいは「有機的な」一致の表現に最も適切な語であろう。この一致は、目に見える外的な形を持たない不可視なものである。ギリシャ語の「katholikos」(kataとholosの複合語)もまた同じ意味を持つと、ホミャーコフは言う。ギリシャ語とスラブ語のこの二つの用語は、たんに教会の地理的な意味での普遍性(ホミャーコフもそのような意味は否定しないが)だけを指すのではない*39。それゆえに教会についてのホミャーコフの教えの要約と見なし得るのだ。「Kataはしばしば『~による』を意味する(kata Loukan, kata Joannen)。『カトリックな』教会とは『すべての者による』ないしは『すべての者の一致による』教会、自由な自発的な一致による教会、完全な一致である。もはやそこには国籍はない、ギリシャ人も蛮人もない、身分の違いはない、主人も奴隷もない。それは旧約が預言し新約において実現した『教会』である。手短に言えば、聖使徒パウェルによって定義された教会である」*40。

ホミャーコフの遺産

 ホミャーコフは正教会を真の教会と考え、「教会」は「正教会」に他ならないとしたが、彼が当時のロシア正教会に無批判であったわけではない。じっさい、教会の内的で有機的かつ不可視の一致、そしてそのメンバーの自由を強調した彼が、どうであれ教会の外的な目に見える制度を称賛することは、まったくあり得ないだろう。彼はロシア教会では、自由の原理が必ずしも常に現実化されてきたわけではなかったことを認めている*41。しかし彼はまた、彼の神学的著作が取り扱うのは、教会の本質また教会の本来のあり方であって、歴史の中で非本質的な要因で変形してしまった「教会の現実の姿」ではないことを強調する。彼のねらいは、ローマ・カトリック(およびその論理的帰結である宗教改革による諸教派)が教会の本質と本性を変えてしまったことにある。「ローマ主義は…、教会の本性についての教えに対する第一の異端であり続けている」*42。
 ホミャーコフが批判するのは、西方キリスト教のまさに本質と本性であり、その一部にしかすぎないいくつかの慣習と制度ではない。彼は、聖職者主義は西方キリスト教にとって不可避なものであると主張する。聖職者主義は必然的に教会についてのある特定の概念に伴うものであるからだ。正教においても同じ現象に出会うことはある。しかしそれは正教の世界では「特定の個人のたまたまの過ちであって、教会の過ちではない」*43。教会史家ゼルノフによれば、ホミャーコフはロシア教会とその指導者、そしてそのメンバーたちの過ちと欠点を手加減することなく批判しているが、それは彼自身が教会生活に深く根を下ろしていたからである*44。母親のおかげで、彼は幼少の時から正教会の信仰生活の諸習慣に忠実であった。それは、彼が海外で生活している時でも大斎(四旬節)の断食規定を厳格に守ったことにも表れている。ロシア語のツェルコフニィ(「教会の」)はまさに教会に対するホミャーコフの態度を形容するのにぴったりである。それは同時代のロシアの「インテリゲンツィア」のサークルのなかでは異例のことである。実に、彼の教会論の第一の源泉は彼自身の教会体験であった*45。

 ホミャーコフにとって正教会はキリスト教の伝統のたんなる一支派ではなく、「教会」そのものである。しかし彼は他のキリスト教教派を「教会」と「真理」に無縁のものとして断じ去るべきとは考えなかった。地上の教会と人類の間には「神秘的なつながり」が存在している。「地上の教会と他の人類を結合している『神秘的なつながり』は我々には未だ啓示されていない。だから、厳しい断罪を彼らに課す権利もなく、それを望むこともあってはならない。それは神の善に矛盾することだ。反対に、聖使徒パウェルの『ローマ人への手紙』、また百夫長の回心の物語に見られる神聖神(せいしん)の言葉は、その教えの錯誤がいかなるものであれ、すべての『クリスチャン』の兄弟のために、喜ばしき期待を寄せることを許している」*46。逆説的に聞こえるかもしれないが、しばしばホミャーコフは正教会史での、正教会以外の教派との対話の先駆けと見なされている*47。まさに彼はエキュメニカルな対話に求められる最も基本的な問題を提起したのである。それは教会の本質とは何かという問いである。
 ホミャーコフのこの問題に対するスコラ主義とは無縁の取り組みは、正教の神学的伝統に西方神学による「偽型化」を被った何世紀かに代わる新時代の到来を告げるものであった。彼の同時代人の中には、彼を「モダニスト」と見なす者も*48、また一方で彼を「教会の教師」と崇めそやす者たちもいた。その後の正教神学者たちへの彼の影響は、否定できない。ニコラス・ベルジャエフは、その宗教哲学を「自由」というテーマを巡って展開したが、ホミャーコフに多くを負うことを認め、彼にその研究論文を献呈している*49。ベルジャエフの最も重要な宗教的著作、「自由と聖神」の中で、彼は教会についてホミャーコフを彷彿とさせる筆致で述べている。

「教会を定義することは可能だろうか。教会の外側からは、教会についての完全な洞察と理解は不可能である。教会についての理性によって完全に把握可能な理論的定義は不可能である。まず教会の内に生きなければならない。教会は体験によってのみ把握され得る。教会は我々に強要される外的な現実ではない。教会の外見は教会の最も深い本質を表してはいない。…教会が社会であるのは、その外面的な形によってではなく、内的な意味においてである。その本質的な体験は『ソボルノスチ』である。そしてソボルノスチは教会の存在論的なしるしである…」*50。

 しかしながら、ベルジャエフの教会論は教会の奉神礼的、機密的な側面への関心をあまり示していない。そのことは彼自身がその精神の道程を語った自伝の中で告白している*51。反対にホミャーコフの宗教体験は教会の奉神礼的生活に深く根ざしている。ホミャーコフの影響は、直接的であれ間接的であれ、ニコラス・アファナシェフ(1893-1966)、アレクサンドル・シュメーマン(1921-1983)、現代ギリシャの神学者府主教イオアネス・ジジゥラスのような神学者にいっそう顕著である。アファナシェフの教会論は教会の完全さと一致の目に見える宣言としてユーカリスト(聖体礼儀)に焦点を当てる(「聖体礼儀的教会論」)。「聖体礼儀に人々が集まる時、そこに教会がある。なぜならそこにハリストスがおられるから。教会は聖体礼儀の集まり無くしては存在し得ない。そして聖体礼儀の集まりが教会の完全さと一致を宣言する」*52。同様にホミャーコフは聖体礼儀をたんなる「七つの機密の一つ」と見なさない。彼は「教会の霊的な一致は(聖体礼儀の中に)地上においてその天上的な栄冠を見いだすのである」*53と述べている。ホミャーコフのように、アファナシェフは教会についてのいかなる法律的概念にも聖職者主義にも反対する。教会においては「権威」と「力」は法律的原則によって基礎付け得ない(パリの聖セルギイ神学院で「聖規則」を教授していたアファナシェフ自身がこう言う)、そうではなく愛のみが教会の基盤である。なぜなら愛は教会の本質を形づくっているからである*54。これらのアファナシェフの威厳に満ちた研究論文を読み進むなら、ホミャーコフの著作の次のような部分を思い起こさずにはおられないだろう。

 「神もハリストスも教会も、外側にある権威的な何ものかではない。それらは真理である。それらはクリスチャンの生活であり、その内的ないのちである…。人は教会に自分とは無関係な何ものをも見いださない。教会で人は自分自身を再発見し、もはや霊的な孤独の弱さのうちにではなく、その兄弟姉妹と救い主との霊的な親しい結合と、…イイスス・ハリストスにあっての互いの愛の力の内に生き始める。この愛は神聖神(せいしん)だから」*55。

 アファナシェフの教え子であり弟子であるアレクサンドル・シュメーマンの著作は、ホミャーコフの直観の展開と見なすことができる。彼のあらゆる著作は教会についての法律的、合理主義的概念を脱却している。彼は正教の教会論に対して特に、教会の終末論的側面を強調することで貢献した。シュメーマンが教会を地上における「神の国」の顕現(エピファニイ)として語っていない著作や、エッセイは皆無と言ってよい*56。
 イオアネス・ジジゥラスの研究の中にも、すでに述べた神学者たちと同じ見方と体験を見いだせる。彼にとっても教会の一致は「外的な重層的構造」*57ではなく、聖体礼儀におけるハリストスの臨在がもたらす。しかしながら、彼はアファナシェフの教会論を、もしそれが「個別教会の普遍的教会に対する優越」を語っているのなら、それはある種の「会衆主義」として批判されるべきとする*58。個別教会の優越性といったものは存在しない。個別教会と普遍的教会の「同時性」が存在するのである*59。アファナシェフはホミャーコフの著作に聖師父時代以後の正教神学における教会の本質への最初の力強い表現を見いだしたが、ジジゥラスはこのアファナシェフの洞察を訂正と言うより、むしろさらに展開したと言うべきであろう。
 正教会の教会論におけるホミャーコフの遺産はルーマニアの神学者ドミトリ・スタニロアエの著作にも見いだせる。

 「神聖神(せいしん)はそれ自体が、一致における多様性、教会的な多様性の原理、すなわち交わりにおける一致の原理である。聖神は、個々のメンバーが抑圧されるのではなく、かわりに生き生きと活動的なものであり続け、実際にそのいのちと成長のまさに条件をそこに見いだす有機体の全体を創出し、支える」*60。

 このようにホミャーコフ、――その教会についての著作はたんなる論争的パンフレットを超えており、その教会論が提示する眺望は今日まで正教神学者たちを鼓吹し続けてきた――を「教会博士」、教会の伝統の真正なる証人と呼ぶことは、けっして誇張ではない。


原注

*1 Ways of Russian Theology, Belmont, MA:Nordland,1979,p.85
*2 これらは L'Eglise latine et le protestantisme au point de vue de l'Eglise d'Orient, Lausanne et Vevey,1872(1969再版)に集められている。これらの著作のロシア語訳は A.S.Khomiakov,Polnoe sobranie sochinenii,vol.Ⅱ、Plague、1867所載
*3 Polnoe sobranieⅡ, pp.3-22
*4 L'Eglise,pp.59,64 p.41には「プロテスタンティズムはローマ主義の合法的な子供」とある。またp.180には「西方の離教の二つの部分はプロテスタンティズムの二つの形態」とある。
*5 スラブ主義が単純に反西方的な運動であったと断じ得ないことに注意しておくことは大切である。スラブ主義そのものには何らかの形でドイツ哲学思想の影響がある。たとえばホミャコフには「シェリング主義者」とはよべないもののシェリングへの傾倒が見られる。
*6 L'Eglise、p.228
*7 L'Eglise、p.287
*8 L'Eglise、p.118
*9 Polnoe sobranieⅡ、p.3
*10 L'Eglise、p.118
*11 The Church is One:Polnoe sobraine Ⅱ、p.3
*12 L'Eglise、p.64
*13 L'Eglise、pp.37f.
*14 L'Eglise、p45 ホミャーコフは近代聖書学の最初期に生きた。彼によれば、聖書の学問的、批判的研究は聖書のテキストの正典性を危険にさらすものではない。テキストの正典性はその「真正性」によるのではなく、教会がそれを受容していることによるからだ。肝要なのは福音書がイオアンやマトフェイに書かれたことではなく、教会によって書かれたことである。
*15 L'Eglise、pp.169f.
*16 L'Eglise、p301.
*17 同上
*18 L'Eglise、p.273 Cf.p.275 「目に見えない教会を想定すること以上に馬鹿げたことはない、それは何世紀ものうちに失われた」
*19 L'Eglise、pp.271-274
*20 L'Eglise、pp.289ff
*21 L'Eglise、p.297
*22 L'Eglise、pp.299f.,cf.p.242
*23 L'Eglise、p.241
*24 L'Eglise、p.228
*25 L'Eglise、p.300 .Cf.p.290 「信徒の知的自由はいかなる外的な権威にも従属しない」
*26 L'Eglise、pp.248f
*27 L'Eglise、p.32 したがって初代教会を「まだ分裂していない教会」あるいは「分裂のない教会」と言うのは(時として正教神学者さえそう言ってしまうが)不正確である。教会は一貫して分裂していない、ないしは分裂し得ない。
*28 ホミャーコフは特に教皇リベリウスに言及している。彼は358年のシルミウムでの公会で、相似本質論の考え方を承認している。L'Eglise、pp.61f,,282.参照。J.メイエンドルフの「全地公会議とは何か」Living Tradition、Crestwood、1978.pp.45-62も参照せよ。

*29 ロシアの神学者たちの側からのホミャーコフへの批判に関しては、Berbhard Plank, Katholizitat und Sobornost,Wurzburg,1960,pp.100-126
*30 L'Eglise、p43
*31 L'Eglise、p.49.Cf.p.54 「教会は、それ自体の全体性として以外のいかなる「教導教会」を承認しない」
*32 L'Eglise、p.50
*33 L'Eglise、p.283n
*34 同上
*35 L'Eglise、p.150
*36 L'Eglise、p.151
*37 L'Eglise、pp.391-400 Cf.Nichokas V.Piasanovsky, "A.S.Khomiakof's Religious Thought,"St Vladimir's Theological Quarterly 23 (1979) 87-100 (p.92,n.15
*38 L'Eglise、p.398 「ソボールは集まりを意味する。しかしそれは必ずしもある特別な場所にある集まりではない。それは実質的には公式的な再結集なしに存在する。多数性における一致である。
*39 Cf.L'Eglise、p.59 「普遍性と教会の成聖の教え」、コミャーコフは信経の翻訳者たちは、もしカトリコスという語が普遍的という意味しか持たなかったなら、別の訳語、すなわちvsemirnyi またはvselenskyを選んだであろう」L'Eglise、p.397
*40 L'Eglise、p.398
*41 L'Eglise、p.251n. 「ロシア教会で教会の自由がいくつかの面で明らかに害されたようなことは決してないなどと、言うつもりはない」
*42 L'Eglise、p.217
*43 Birkbeck,op.cit.,p.127 (letter to palmer)
*44 「彼は教会を離れることはなかった。教会は彼にとって真実のそしてただ一つのホームであった」Nicokas Xernov, Three Russian Prophets:Khomiakov,Dostevsky,Soloviev,London,1944,p.51.
*45 他の源泉は常に親しんだ聖師父文書、同時代の哲学的神学的文書特にヨハン・アダム・メーラーのDie Einheit der Kircheであった。
*46 L'Eglise、p.267
*47 Zernov,op.cit.,p.68 「最も峻厳に西方キリスト教を攻撃した人物が、同時に西方諸教会に真正なる関心を寄せ、教会分裂という罪の深刻さを知った最初の東方神学者であったと言うことは、もっとも重大な逆説であった。コミャーコフの息子のドミトリイは父親の神学的著作を「まったく平和的」と呼んでいる。なぜなら「教会一致のための最善の準備は彼らの深いところに問いかけ、互いの誤解を解くことだから」。
*48 彼の弟子であり友人であるユーリー・サマリンはコミャーコフの神学的著作Polnoe sobranieⅡの前書きでそう述べている。
*49 モスクワ,1912(ロシア語)
*50 独語訳から
*51 「私の宗教生活において最初は、機密的奉神礼的なものは重要なものではなかった」 Essai d'autobiographie spirituelle Pris,1958,p.215
*52 Nichokas Afanassieff, L'Eglise du Saint-Esprit, Paris:Cerf,1975,p.196
*53 L'Eglise、p.272
*54 L'Eglise du saint-Esprit,p.369.Cf.ibid 「愛である教会では、愛以外の力は存在しない」。
*55 L'Eglise、pp.40,116f
*56 コミャーコフの直接的影響は特にシュメーマン神父のFroodom in the Church、Church,World,Mission,Crestwood,1979 pp.179-191に顕著に表れている。
*57 Being As Communion,Crestwood,1985,p.157
*58 同上p.133
*59 同上
*60 Theology and Church,Crestwood,1980,pp.70f

イイススの祈りの実践

カリストス主教

講演 第5回 後

「イイススの祈り」の実践方法についてお話しします。一般的には二つの方法があります。自由に行う方法と体系的に行う方法です。

自由な方法は、毎日の仕事をしながら、あるいは無駄に過ごしそうな空き時間に何度でも唱える方法です。朝起きたら十字を描いてイイススの祈りを唱え、新しい一日を主イイススの手に委ねます。うつらうつらしながら何度でも唱えます。服を着ながら、部屋を掃除しながら、顔を洗いながら、歩きながら、いつでも唱えます。私は運転しませんのでオックスフォードではよくバスを利用します。オックスフォードのバスは私にたくさん祈りの機会を与えてくれます。バスが遅れてきても、「なんでバスが来ないんだ!」と癇癪を起こさないで、祈りの機会にします。こういうときは、すぐにできるシンプルな短い祈りが必要です。イイススの祈りや、ほかの短い祈りが適しています。あなたがバスでなく車利用者なら、渋滞は祈りのチャンスです。

イイススの祈りは会議のときも有効です。カウンセリングのときも役に立ちます。誰かと話をしていて、糸口が見つからないことがあります。そういうとき「一緒に祈りましょう」というと、相手を当惑させてしまうかもしれませんし、ふさわしくないこともあるでしょう。だから私は心の中で祈ります。不思議なことに、一回か二回イイススの祈りを唱えると、会話が変化するのです。

とても緊張したとき、心配でたまらないときに唱えるのもいいことです。痛いときにも唱えましょう。眠れないときには羊の数を数えないで、イイススの祈りを唱えましょう。自由方式の目的は、一日中私たちのすべての行動にハリストスを連れてくることにあります。「俗」を「聖」にするのです。アレクサンドル・シュメーマン神父によれば、「キリスト教徒とは、いつでも、どこでも、すべてのことにハリストスを見て喜ぶ者である」と言いました。イイススの祈りは、すべてにハリストスを見ることを助けてくれます。アグラファ(初代教会のクリスチャンによって書かれたもので、ハリストスのことばとされるが福音書には入れられなかったもの)のなかに好きなことばがあります。「石を持ち上げれば私に出会う、薪を割ると私はそこにいる。」すべての場所にイイススを見ます。すべての瞬間、すべての仕事にイイススを見るためには、短い、すぐに可能な祈りが必要です。イイススの祈りによって、仕事の時間と祈りの時間を合体させます。仕事の時間を祈りの時間にします。

隠修者聖フェオファン(テオファン)は「手は働き、気持ちと心は神とともにある」と言いました。とはいっても使徒イアコフの警告にも耳を貸さねばなりません。「そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない(ヤコブ1:8)。」内的に分裂した二心になってはなりません。二つのことを同時にしようとしてはいけません。とても集中しなければならないときに、唱え続けようしてはなりません。私は会議の時はずーっとイイススの祈りを唱えていますが、今は皆さんにお話ししているので唱えません。二つのことが本当に一つになってできる人もいるかもしれませんが、私たちには無理です。「二兎を負うもの一兎を得ず」です。たとえば、心臓外科医は手術の前にイイススの祈りを唱えますが、手術中はちょっとした油断も取り返しがつかないことになりますから、手の動きに集中しなければなりません。イイススの祈りがあなたの中の深いレベルで確立しているのなら別ですが、そうでない限り、集中が要求されるときには控えましょう。
 
もう一つの用法、体系的に行う方法についてお話しします。こちらは朝夕の決まった祈りの時間の一部として行います。外的にも静かな環境を整え、しっかり心を集中して行います。アトスの聖シルワンは部屋でイイススの祈りを唱えるときには、まず時計をはずし、グルグル巻きにして押し入れの中にしまい込んで、チクタクいう音で邪魔されないようにしました。それから修道帽を目と耳がかくれるまで引っ張って、イイススの祈りを唱え始めたそうです。祈りの時間に体系的に行う場合は、普通はひとりで、部屋の扉を閉めきって唱えます。授洗イオアン修道院のようにグループで一緒に唱えるところもありますが、例外的です。普通はひとりで唱えます。

イイススの祈りは、歌うように唱えるのではなく、普通に言います。唇を動かしてはっきり発音する必要はありません。音にすることもありません。内に向かってことばをはっきり発するように教えられます。ことばが自分の中ではっきり形をつくるように言います。始めたばかりの段階で、ことばのない心の祈りに達したように思うのは危険です。それはとても稀な賜もので、何ヶ月も何年も努力した末に得られるものです。簡単に得られるなどと思い上がってはなりません。

誰でもあてはまるアドバイスとしては、自分の中で実際に行われている祈りの繰り返しに集中することです。ことばを繰り返さなくてもいいとき、祈りの中で憩えるときがあるかもしれませんが、だいたい短時間です。すぐに崩れるのを感じるので、祈りの復唱に戻ります。

一般的にはイイススの祈りは座って唱えます。アトスの修道院では、25センチぐらいの低いスツールに腰掛けてしゃがんだ姿勢で行います。私は、背もたれのある椅子に腰掛けてするようにアドバイスしています。もちろん、足を組んだりしないでください。不快に感じない姿勢がいいと思います。普通は目を閉じて唱えます。「座って、目を閉じて、同じ祈りを何度も唱えたら、そのうちに眠ってしまうことはないですか。」と聞かれるかもしれません。眠くなったら立ち上がって、イイススの祈りを唱えるたびに十字を描いて伏拝しましょう。30回も伏拝すれば眠気はなくなりますから、また腰掛けて始めます。初心者にはあまり長く唱えないように勧めます。10分か15分で十分でしょう。しばらくして、あなたの心が動かされたら、あるいはあなたの霊的な指導者が祝福してくれたら、長くしてもいいでしょう。でも、最初からやりすぎないようにしてください。
さて、イイススの祈りは決まった祈りの時間に行う体系的な方法でなく、毎日の中途半端な時間に自由に行うだけでも十分です。イイススの祈りに過大な期待をしてはいけません。イイススの祈りだけが唯一正教会のスピリチュアリティではありません。フィロカリアを見ても、「イイススの祈り」はフィロカリアを貫く大切な糸ですが、たとえば第1巻ではイイススの祈りについてはあまり触れられていません。多くのテーマの中の一つです。唯一の方法ではなりません。義務でもありません。「一番いい」祈りの方法とも言わないでください。「私にはとても役に立ちました。ほかの多くの人にも役に立ちました。だからあなたのお役にもたつかもしれません」と言うべきです。

イイススの祈りの用い方も、様々です。ある人々は、時に応じて自由に用います。別の人は祈りの中心ではないけれども定期的に用います。また、別の人は心に導かれて、また霊的指導者に導かれてイイススの祈りを生活の中心と心、個人的な祈りの中心におきます。色々なケースが考えられます。

さて、祈りの時間の一部としてイイススの祈りを行う場合、目的は「沈黙」を得ることにあります。最初に申しあげましたが、イイススの祈りは内的な沈黙「ヘシキア」、創造的な沈黙を得る一つの方法です。祈りの中で神に耳を傾けることを習得します。カーライルのお母さんの問い「どうやって?」への一つの答えです。ここにパラドックスがあります。イイススの祈りは「ことば」による祈りですが、「沈黙」の祈りでもあります。なぜなら、ことば数は少なくシンプルで、規則正しく繰り返されます。祈りはことばを通して沈黙へと私たちを導きます。ことばにある隠れた沈黙を見つけることを可能にします。沈黙とことばは互いに排除しあうものではありません。イイススの祈りにおいて、私たちは話していますが、聴いています。体系的にイイススの祈りを用いる方法は、神を待つ祈り、神を見つめ、聴く祈りです。

さて、私は子供のころ祈りについてのとてもよい説教を聞きました。「昔々、一日中教会にいるおじいさんがいました。友達が、『いったい一日中教会で何をしているんだい』とたずねると、おじいさんは『祈っているのさ』と答えました。友達は『たくさん神さまに願い事があるんだねえ』と言うと、『何もないよ』と答えます。友達は『では、いったい何をしているんだね』とあきれました。おじいさんは『座って、神さまを見つめているのさ。そうすると神さまは座って私を見ている』と答えました。」私は7才か8才でしたが、祈りの定義をうまく教えてもらったと思います。イイススの祈りを唱える場合にも同じです。私はただ座って神を見ています。神は私を見ています

これからイイススの祈りについて難しい面についてお話します。聖なる名前を唱える実践についてです。ポントスのエヴァグリオスが「祈りについての153章」で要約しています。フィロカリアの第1巻にある有名なことばです。「祈りとは思いをあふれ出させることです(71節)」。慮りを退けることです。内的な祈りについて述べています。

東方正教会でも時には用いられますが、特に西のキリスト教で行われる祈りに推論的観想discursive meditationという祈りがあります。福音書のできごとを一つ選んで、イマジネーションを働かせて、そのできごとを可能な限り生き生きと思い描き、その霊的な意味について思いを巡らせ、自分自身をあてはめ、現実的解決に達します。想像力を用いる推論的観想は、イグナティウス・ロヨラ、サルヴェのフランソワ、ルグオレのアルフォンスなど16-7世紀のカトリックの著述家が推薦しています。イイススの祈りとは随分違います。推論的観想が間違っていると言っているのではありませんよ。この方法も人を助けます。

イイススの祈りは、この観想と随分異なります。イイススの祈りでは、福音書の特定のできごとを考えません。イイススの言ったことばのどれかを特に取り上げません。神学的な真理について推論したり考えたりしません。「絵」を思い描きません。イイススの祈りで教えられているのは「完全な臨在の祈り」です。イイススの生涯の特定のできごとを考えるのではなく、救世主イイススの完全な臨在だけを思います。ですから、何らかのイメージがわき上がってきたら、「あふれ出してしまいなさい」と言います。あなた自身を、単純な臨在の感覚に集中させなさい。心がさまよい始めたら、中心に帰りなさい。別のことを考え始めたら、イイススへの呼びかけに戻ります。あなたの心をそうっと、しかしきっぱりと中心に戻します。イメージや考え、思いがわき起こってきたら、力づくで押し出すのではなく、あふれ出してしまいなさい。

陥落の結果、私たちは分裂してしまいました。自分自身を完璧にひとつの役目、ひとつの思いに集中することが難しくなってしまいました。完全に集中してひとつのことをするのは困難です。祈りの時も容易ではありません。これがイイススの祈りの目的です。分裂し散り散りになった状態から、単純さ、全体性へと自分を戻すことにあります。

フィロカリアの第1巻にある修道士マルコは「思考する頭脳は何もせずにいられない」と言いました。私たちの心は、あちらからこちらへと絶えず動き回ります。祈りの時、最初に直面するのは、このバラバラな思いです。聖フェオファンは「夏の夕暮れのハエのようだ」と言いました。祈り始めると、次から次へと色々な思いがやってきます。では、動きをやめない心に対してどうすればいいでしょう。心の中のテレビのスイッチをパチンと消すことはできません。「考えるな」というのは「息をするな」というようなものです。では、この動き回る心を、特別な仕事、シンプルで、一体化する仕事に集中します。聖なる名を常に唱えるのです。イイススの祈りを途切れずに唱え続けることは、私たちの心を、複雑さから単純さへ、分裂から集中へ、断片から統合へ向かうように助けてくれます。注意散漫から完全に免れることはできませんが、少しずつそこから離れていくことはできます。

大通りに面した部屋で友達と話しているとします。あなたは外の自動車の騒音がうるさいと感じています。しかし会話が面白くなってくると、外の音は気にならなくなってしまいます。話に集中するからです。外の騒音は相変わらずなのですが、そこに注目しなくなります。外の音は閉め出してしまったのです。意識からあふれ出してしまいました。同じことが神の憐れみと助けによってできます。イイススの祈りを中心におけば、気の散ることは相変わらずですが、騒音を心の中に入れません。

「すべてのイメージと思いを退けなさい」とアドバイスをされて悩んでいると聞くことがあります。考えまいとすればするほど、様々な考えがわき上がってきます。思いを取り除こうとするのは逆効果です。私は「否定的でなく、肯定的な作戦をたてましょう」とお答えします。取り除こうとするのでなく、達成したいものに集中するようにします。散漫な思いを押しやろうとするのではなく、主イイススに思いを集中しましょう。「考えまい」としないことです。主イイススが近くにいることを考えます。イイススは私の前にいる、私の中にいます。愛をもって、イイススが近くにいることを思いましょう。否定的でなく肯定的に。取り除こうとしないで、表の騒音と同じように、背後に追いやってしまいます。祈りの時、注意を救世主に向け、彼の愛を感じ、救いの恵みを感じましょう。

さて、イイススの祈りは人間性のどのレベルに訴えかけるのでしょうか。ギリシア語でファンタジアとよぶ想像力ではありません。推理的観想のように、思いやイメージを創らないからです。理論的な脳でもありません。イイススの祈りを唱えても、神学的な新しい発見や論争は何も出てきません。感情のレベルでしょうか。イイススの祈りは感じる祈りです。私たちは愛をもって救世主の名を唱えますが、そこには感情的興奮はありません。イイススの祈りを唱えるとき、内に向かって叫んだりしません。力を入れたり、はがいじめにしたりしません。自分の心と手を開いて、主の恵みを受け取ります。力ずくで握りしめるものではありません。そんなふうにしたら、祈りはさまよいだしてしまいます。イイススの祈りには深い愛がありますが、激情はありません。内に向かって叫ぶのではなく、やさしい流れのようにそっと流れていきます。英語でははっきりしませんが、ギリシア語やスラブ語では、祈りにリズムと音楽があります。またイイススの祈りは私たちの意志にも直接に働きかけません。問題を解決しません。思いを脇にやることはできても、問題を考えることをやめることはできません。イイススの祈りを唱えたあと、問題点がはっきりしてくることはあります。考えても問題は解決しないというのはよくあることです。しかしイイススの祈りはイグナティウス・ロヨラの観想の形のように直接意志に働きかけません。

さて、想像力や理論的な脳や意志のレベルに働かないとしたら、どのレベルで働くのでしょう。心のレベルで働くと思います。この連続講演の最初にお話しした心の深い部分に働きかけます。理性の脳よりもずっと深いところ、感情を越えたもっと深いところ、ギリシアの聖師父たちがヌースと呼んだところです。英語ではヌースをズバリ訳せることばがありません。Mindと訳されることもありますが、mindは心の働き全般を指すので漠然としています。フィロカリアでは知性と訳しました。しかしヌースは理論的な脳を意味しません。ヌースは理論的な脳を越えた、スピリチュアルなヴィジョンを指します。直感的です。仮定を立てて結論を導く三段論法の世界ではありません。イイススの祈りはしばしばヌースの祈りと呼ばれます。深い自己と霊的な理解が含まれます。この心の深いレベル、ヌースでは、私たちの頭脳による理解や直接の感覚を越えたことが起こります。イイススの祈りを唱えても、何も起こらないと感じます。特に美しさも感じないし啓発的なものもありません。来週の説教で使えそうな新しいアイディアも浮かびません。時間を浪費しているだけでしょうか。何日間、何週間とイイススの祈りを唱えていると、少しずつ、心の深み、ヌースが鍛えられ、教化され、照らされるのです。

最後に、イイススの祈りを唱えるときの外面的な助けについてお話ししましょう。まず、常に言われることですが、霊的な案内人を見つけることです。霊的な父、あるいは母、経験のある人、個人的な指導を与えてくれる人です。ケルトのキリスト教でアンチャラと呼ばれる「たましいの友」です。高い山に登るときには案内人がいるでしょう。イイススの祈りも同じです。道をよく知っている同行者です。しかし、そういう人が見つからないときは、謙遜にシンプルにイイススの祈りを唱えることができます。聖神の助けを祈り、イイススの祈りについての本を読みます。二つ目の助けになるのは、祈るためのヒモ、ギリシア語でコンボスキニオン、ロシア語でチョトキというひもです。毛糸やひもで編んだ結び目がついています。結び目はふつう100個です。皮やビーズのこともありますが、音をたてないようにひもでつくるのが一般的です。チョトキは修道院の伝統です。修道士になると、革のベルトと、イイススの祈りを唱えるためのチョトキが与えられます。一般の人が用いても全然かまいません。チョトキは祈りの数を数えるためのものではありません。回数は問題ではありませんから。霊父が何回唱えるようにと言うことがあるかもしれませんが、数そのものは目的ではありません。シリアの聖イサアクは「私は里程標を数えたいのでなく、婚宴の部屋に入りたいのだ」と言いました。チョトキを用いるのは、数を数えるためでなく、規則的にリズミカルに繰り返すのを助けるためです。祈りの時、手を使って何かをすることで、より集中でき、中断しなくなります。

三つ目の外面的な手助けは、祈りのリズムと呼吸を合わせることです。全体としては、霊的な指導者なしにこのテクニックを用いることはお勧めしません。しかし、一番シンプルなテクニック、前半で息を吸い、後半で息を吐くことならできるでしょう。「主イイススハリストス神の子よ」で息を吸い、「我罪人を憐れみ給へ」で息を吐きます。これ以上複雑な方法はエキスパートの指導者のもとで個人的な霊的指導を受けながら行ってください。イイススの祈りを呼吸に合わせるのは、体を祈りにとりこむ目的があります。祈りを私の呼吸と同じように、規則的で自然で、本能的な要素にするためです。私が「祈る」のではなく、私が祈りになるのです。もはや私ではなく、私の内にあるハリストスです。これがイイススの祈りの目的です。私の祈りはイイススの祈りと一体になります。

「どのくらいのスピードで祈ればいいですか?」ご自分のリズムを見つけてください。一般的に言って、急いではいけません。ギリシアの教会ではかなり速く唱えますが、私はロシアのようにもう少しゆっくり唱える方が好きです。一回祈るたびに小さなポーズ(休止)を入れます。あまり長くないポーズです。イイススの祈りと呼吸が結び合わされると、呼吸は通常よりもゆっくりになります。ある人は一分間に3回唱えます。100回唱えるのに30分です。初歩では10分で終わってしまいます。自分のリズムを見つけましょう。

こう聞く人がいます。「扉を閉めて、目を閉じて、『主憐れめよ』を繰り返すイイススの祈りは自己中心的で世界を否定していませんか。」答えの代わりに二つのことばを引用します。一つはサーロフの聖セラフィムで、「もし私が内なる平安を得れば、まわりにいる千人が救いを見いだす」と言いました。もう一つはダグ・ハマーショルドからです。国連事務総長をつとめた人です。「沈黙を通して理解し、沈黙から行動し、沈黙において克服する」と言いました。イイススの祈りの目的は、内なる平安を得る助けです。それによって、他の人のための人間となるのです。神の助けで小さな内なる平安を得ることで、毎日5分か10分扉を閉めて祈ることで、一日の、他のすべての時間を人のために提供することができます。自分を開くことができるのです。愛することができるのです。ハリストスのように。

イイススの祈りは人を自己中心的にするのではなく、自分を提供することができるようにします。ハマーショルドは沈黙から行動すると言いましたが、私が沈黙から話し、沈黙から行動すれば、私が他の人にかけることばが沈黙から出たことばになれば、それは火のことばとなり、癒し、変容することばになるでしょう。