名古屋正教会

Nagoya Orthodox Church

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「六千人の命のビザ」

――正教徒・杉原千畝氏を讃える

 コンスタンチン永井博 (東京復活大聖堂教会信徒)

 リトアニア共和国の古都カウナスに、今も残る第二次世界大戦当時の旧日本領事館が、杉原記念碑と名称を変えて手厚く保存されている。館内には地元大学の協力で「日本文化研究センター」が開設され、日本とリトアニアを結ぶ文化交流の太いパイプとして重要な役割を果している。その原点が当時の日本領事館々長杉原千畝領事代理なのである。
 私は二〇〇二年九月下旬、ウクライナ・キエフを経てリトアニアに入国し、黄金の紅葉に輝く古都カウナスの郊外、瀟洒な住宅街に往時のまま保存されているこの記念館を訪ねた。ここでは当時の写真を中心としたビデオ解説があり、今や世界的に有名となつた杉原千畝氏のユダヤ難民救出に関する英断について、詳しく知らされたのである。
 ところでその英断に至る過程での計り知れない苦悩、それを乗り越えた杉原(以下敬称を略す)の人間愛・自己犠牲にとめどもなく涙が溢れて仕方がなかつた。特に「難民を見捨てる訳にはいかない。でなければ神に背くことになる」という言葉に心打たれ、杉原の神は如何なる神なのか、終始頭から離れなかった。
 以下かいつまんで、事の顛末を記す。

日本政府はビザ発給を認めず

 一九四〇年七月十八日早朝、この日本領事館に、ナチスの迫害に追われポーランドから逃れて来たユダヤ難民が大挙して押しかけて来た。
 当時、一九三三年に始まったヒトラーによる「ユダヤ人排斥運動」は益々エスカレートして、既に欧州内にはユダヤ人の安住の地はなく、安全な世界へ避難するルートも途絶えた。残されたのは長距離で困難を伴うシベリアを横断し、日本を経由して第三国に逃れるのが唯一生きる可能性を秘めた道であつた。
 しかるにこの時期、リトアニアに親ソ傀儡政権が発足し、ソ連に併合される日が追っていた。同時にソ連からはリトアニア駐在の各国公館に八月二十五日限りで閉鎖指令が出されるに至つた。このためユダヤ難民は日本領事館が閉鎖される前に、日本ビザを入手するべく急遽押しかけて来たのである。
 難民の大部分は着の身着のままの姿で、行き先国の入国許可も必要な所持金もなく、日本ビザを発給出来る条件を満たしてない。外交官として欧州の緊張状態を熟知している杉原としては、難民を救うため「ビザ発給条件の緩和」を認めるよう外務省に要請した。再三にわたり要請電報を打電したが許可は全く得られなかつたのである。
 時あたかも日本政府は日・独・伊の枢軸強化に向けて外交交渉中であり、三国同盟締結(四十・九・二十七)直前の緊張状態であつた。
 ユダヤ人を特別配慮することはドイツへの背信行為となり兼ねず、日本政府の「渡航条件不備な申請者は拒否すべし」との訓令は、至極当然のことだったといえよう。
      
独断でビザ発給を決断す

 ビザ発給条件緩和の不許可、急増するユダヤ難民、領事館閉鎖期日の接近などの至難な局面を如何に打開するか、杉原は悩みに悩んだ。
 外交上の緊急事態では国の指示を遵守するのは当然である。難民を振り切って国外に出てしまえば、全く問題は生じない。本件当事者が他者であれば誰でも無難な道を選ぶに違いない。
 しかし杉原にはそれが出来なかつた。救いを求める難民の叫びに眠れぬ夜を過ごしつつ。最後に、「私を頼ってくる人々を見捨てる訳にはいかない。でなければ私は神に背くことになる」として、人を相手とせず、天を相手に己を尽くすことに決意した。
 ○国の訓令違反に馘首(カクシュ)を覚悟しなければならない。
 ○外交官として将来を嘱望される栄達を四十歳にして捨て去ることになる。
 ○激動下の世界で国の後ろ楯を失えば、家族の生命すら保証出来なくなる。
などに、苦しみ抜いた末に杉原は独断でビザ発給の決断をしたのである。
 実に人生の大転換である。言うべくして出来ることではない。まして周囲に相談相手もいない孤独な葛藤に、これを理解し黙って支えたのは幸子夫人であつた。人間として、夫婦として強い絆があつたからこそ到達した結論であつた。ビザ発給を開始してから約一ヶ月ペンが折れ、腕が動かなくなるまで書き続けた。ソ連から度重なる退去要請、日本政府より早急なる閉鎖命令が激しくなるに及び、八月二十六日に領事館を閉鎖。止むなく移動したホテルでも、さらにベルリンに脱出(九月五日上級機関のベルリン大使館に帰還)する列車の発車するまで、押し寄せる難民にビザを発給し続けたのである。
 最後にホームに茫然と立ち尽くす人々に対し「最早なにも出来ません。許して下さい」と深々と頭を下げたという。発給されたビザは家族単位に記入され、二千枚以上に及んだ。平均三人家族として婦女子を含む六千人を超える人達が、日本を経由して第三国に渡って行ったと伝えられている。

正教徒だった杉原夫妻に更なる感動

 さて私はリトアニア訪問のその後の旅程車中で、こうした話の記された、杉原幸子著の「六千人の命のビザ」を一気に読破した。
 ところが著書後半の僅か三行であるが、杉原夫妻が正教徒として受洗していたことを知った時は、心の底から込み上げる喜び、絶えて久しい感動のうねりに、しばし茫然としていた。真の神を信じ、人道にかけた先達に言い様のない感銘を受けたのである。
 しかもその終章で杉原は一九六四年から数年、神田、ニコライ学院のロシア語教授であつたことが判り(筆者の父ワシリイ永井益伝も同時期ロシア語教授であり、当然知己だつた筈)、益々もって身近な人物としての想いを強くしたのである。
 最後にこの人道・博愛の精神を貫いた勇気ある外交官・杉原千畝氏に心からの敬意を表し、その偉大なる功績と精神を永く記憶して、我が信仰の一助にしたいものと願っている。


(本稿は東京復活大聖堂教会月報「ニコライ堂だより」2004年10月号より、筆者及び同教会長司祭イオアン高橋保行神父のお許しを得て掲載させていただきました。)

「六千人の命のビザ」(杉原幸子著 朝日ソノラマ、1990年)

海外のサイトでも、多く杉原夫妻のことは取り上げられています。
http://www.jacwell.org/Fall_2003/a_hidden_life.htm

至聖三者修道院での研修

司祭 マルコ 小池祐幸 神父

(この記事は正教時報2001年8月号に掲載され、小池神父様のご承諾の上転載させていただきました)

 セラフィム主教座下の指導によつて神品研修が具体化し、ロシア正教会の総本山と称せられる至聖三者・聖セルギイ大修道院の研修に不遜な私が参加することになった。

 二月十九日に日本を発ち、セラフィム主教座下、ロシア教会のイオアン長屋神父様と共に出発、総主教庁の神父様の出迎えを受けてダニイロフ修道院に隣接しているホテルに入り、午前中ソフリノという聖器物工場、午後は是非見たかった救世主大聖堂へ案内して頂いた。息を飲む程のスケールで、ここで行われる祈祷を想像した (セラフィム主教座下は滞在中アレクセイⅡ総主教聖下と共に聖体礼儀を行なっている)。

 二月二十一日朝、研修地、修道院の町・セルギエフポサートに向かう。副修道院長フエオグノスト掌院は昨年五月に総主教と共に来日されていて、セラフィム主教座下と再会の喜びのなか、共に歓待を受けた。昼食後、主教座下と長屋神父様と別れ、いよいよ修道院での生活が始まった。

 聖セルギイ修道院には約三百名の修道士がおり院内には約百人余りが生活しているとのこと。平日は、朝五時半からモレーペン、引続いて早課、時課、聖体礼儀と続き十一時半頃に終了。午後一時の食事、夕方は五時から晩祷、八時の食事で一日の終りとなる。主日の聖体礼儀は五ヶ所の聖堂で行われている。
 祈祷の主聖堂はトラペーザ聖堂で修道士など聖職者と聖歌隊の席があるイコノスタス前部の空間と信徒の立つ部分に区切られている。聖歌隊席は左右に1メートルほどの高壇になっていて、神学生など各々五十人ほどが席に立ち体を震わす様な迫力で祈祷を天にあげている。

 また聖セルギイ修道院の聖歌隊を鋭明するとき「特別」という言葉を添える人が多く、歴史や位置の違いを表現しているのだと感じた。平日は朝四時頃に起床、五時半に始まる至聖三者聖堂での聖セルギイの祈祷。開始時間の早まる日もあって五時過ぎには聖堂へ入る様にしていたが、すでに沢山の信徒が暗闇とマイナス二十度の厳寒の中を聖堂に急いでいる。至聖三者聖堂での祈祷の最後に当番司祭の握る聖十字架に接吻し、聖職者は高位順に聖セルギイの不朽体に伏拝接吻、信徒等が後に続く。伏拝後は至聖三者聖堂と接触して建っている聖ニーコン聖堂へ鉄扉の隙間から身を入れ、階段を降り左側の聖堂のイコンと不朽体に伏拝接吻。右側の部屋には生神女が聖セルギイに現れた場面の大きなイコン、他に多くの聖人の不朽体がある。中でも首致命者・首輔祭聖ステファンの不朽体(右腕部分)がイコンと共に横たわっており、ここでの伏拝接吻の後、真暗闇の中で祈祷が終るのを待つ。祈祷最後の発放後整ニーコン聖堂から出て、トラペーザ聖堂まで歩く。同聖堂で早課、時課、聖体礼儀。夕方四時四十五分から主聖堂での晩祷が祈祷の日課。

 朝の祈祷の終るのが十一時半頃で一旦部屋に戻り、午後一時からのオベグ(ディナー)と呼ぶ食事に修道士達の僧院食堂へ行く。平日は一日二食で晩祷終了後、夜八時頃聖堂からそのまま歩いて食堂へ。食堂は半地下になつていて正面の大きなイコンの下に副修道院長等の席の他、百人余りが座れる。祈りで始まり食事中は後部の席で聖人伝などが読まれ、途中ベルの音で全員が立ち上り、日によって違うが短い聖歌などを歌い、後再び食事を続けることになる。食事中、私語はなく、優雅な食べ方でもなく、作業をしているような速度で只々もくもくと食べる。大斎期に入ると、何となく豊かに感じたそれまでの食事の内容が変化し食堂内の雰囲気も少し変わったように感じた。食事は一日一食、塩漬けの野菜類とジャガ芋、パンなど同じ食材、味付けとなり、水・金曜日の先備整体礼儀のある日にだけスープが出た。

 五日日、二月二十五日『赦罪の主日』 には祭服を着て初めての聖体礼儀を体験。信経では神品が互いに「ハリストスは我等の間(うち)に在り」「まことに在り、また永くあらんとす」と接吻するが、祈祷後日本語の語感は心地好いと何人かにいわれた。主ポティール(聖爵)の他に信徒領聖用に五個のポティールが宝座に並び、直径四十センチはありそうなディスコス(聖皿)の上に置かれた十五センチ四方位の「こひつじ」(聖パンから取られた主の尊体に聖変化する部分・管理人注)もバランスが取れて見えた。大きなコーピエ(聖矛) やデイスコスの特大サイズも「こひつじ」や記憶のパン片の量を見ると納得がいく。聖体礼儀後の十字架接吻に立った時、大聖入でも見渡せなかったが体育館のように広い聖堂一杯に立っている信徒の姿を見て、主の命じた所に網を下ろし魚綱がはちきれんばかりになつた-という聖書の場面を思い起し、改めてロシア正教会のサイズを認識させられた。

 同主日の夕方六時から『赦罪の祈祷。すでに聖堂石畳の床には絨毯がびつしりと敷き詰められ、アルタリ (イコノスタス前の高壇) の左下には木製の大きな聖十字架が設置されていた。赦罪祈祷後、互いの罪の赦しを乞い、伏拝接吻を為す修道士達の列はイコノスタス前始点に、高位者から始まり聖堂入口まで連なり、更に∪ターンし聖堂中央に至る。その列の端に信徒等が並ぼうとしていくとき、修道士達は互いの赦罪を終えポツリポツリと列を離れ、聖十字架に伏拝接吻をし聖堂を後にしていた。フエオグノスト師は主日の晩から大斎初週祈祷の全てに立つことになる。

 六日目、二月二十六日。いよいよ大斎初週祈祷の始まり。いつものように聖人への祈り、そしてトラペーザ聖堂での早課が始まり以下、三時・六時・九時・晩課と続き正午に終了。夕方、クリトの聖アンドレイの大カノンが入る『晩堂大課』。聖歌隊は左右席にフルメンバーで入り『‥神や我を憐れみ、我を憐れみ給え」 の言葉が波の様に繰り返す。日本で行なっている哀愁を帯びたメロディーとは少し異なり力強いメロディーの印象。

 後で尋ねてみると聖セルギイ修道院の聖歌はやはり「特別」だからという答えだった。水・金曜日の『先備聖体礼儀』 は日本と同じく朝に行なわれ、司祭団の入堂祈祷のタイミングも同じく『九時課』の途中で行なわれた。『晩課』 から 『先備聖体礼儀』 にかけての少々忙しい伏拝等の動きも一緒である。王門やカーテンの開閉は権杖を持つ副修道院長の司祷の為か、とくになかった。主日聖体礼儀と同様に先備も信徒領聖用のポティールが数個準備され並ぶ。また先備の終りに神品は全員、聖所に出て永眠者のリテヤを行なっていた。その際、神品が並ぶ背後に信徒等は接近してきて、紙片を手渡している。その紙片には記憶者の名前がビツシリと書かれていた。

 聖パンの記憶は毎日、朝から数人の神品が行なっており、日本のそれより少し小振りの聖パンが山と積まれた台を囲んでいた。聖パンを入れて運ぶ器は木製の以前日本にあったリンゴ箱のような形で、大概八箱は準備されていて、気の遠くなるような数の信徒を記憶しており、世界中から記憶の用紙が届いているとの事だった。

 九日目、三月一日。大斎初週の木曜日の晩、聖セルギイ修道院の修道院長である総主教アレクセイⅡ聖下が御来院。晩堂大課の途中、総主教聖下来日の際に随行した首輔祭ウラジーミル師(聖セルギイ修道院付)と共に至聖所へ。入ると宝座の北門寄りに総主教聖下が座っておられ、暫くしてから輔祭の合図で宝座の後ろを通り、恐れながら聖下の前に身を屈めた。聖下より「明日は共に祈りましょう」の言葉を頂き、祈祷が終るまで脇に立つ事に。大斎は伏拝が多い、聖下の大きな体格が折れ曲り額が床に…息づかいが伝わってくる。緊張のなか晩堂大課が終り翌金曜日は研修最後の日。総主教聖下と宝座を囲む日。なかなか寝つかれない。

 十日日、三月二日。いつものように起床、五時過ぎに至聖三者聖堂、そしてトラペーザ聖堂へ。先備聖体礼儀は十人の神品と共に並び、聖下の入堂式、広い聖堂にぎつしりと立つ人々の中央に道が開け、絨毯が敷かれた。出迎える神品のどの顔も緊張しピリピリした空気に包まれ、末席の私も緊張した。聖歌の響く中、マンテヤを帯びた聖下が聖所と区切られた高台に立たれると、高位神品らが順に至聖所より祭服やパナギア、王冠など両手に掲げて運び、完装されていく。総主教聖下の先備聖体礼儀は緊張感の為かあまり覚えていない、が神品領聖後、聖下に祝福を頂く為に神品は一列に並んだ。祝福に身を屈めた時、御言葉を頂いた。先備聖体礼儀に続き総主教聖下によって、この町セルギエフポサートの戦没者のパニヒダが(初めて)行なわれ、タライのような大きなボールに用意された糖飯が幾つも並び、最後に総主教聖下がメッセージを伝えられた。その後、聖堂に入りきれない信徒等にも糖飯が振る舞われ二時頃、緊張と感動の祈祷、研修体験が全て終った。

 荷物をまとめる為に部屋に急ぐ。準備をしている途中、聖歌隊の二人が珍しいCDを持参して来て、別れ際に 『ムノガヤレータ(幾歳も)』を歌って下さり感激。世話をして頂いた輔祭さんが以前にお願いしていた、プロスホラ(聖パン) と他に修道院で作っている蜂蜜、自パン、乾燥パン、クワスや黒パンなどを持ってきて下さった。暖かい気持ちと共にカバンに詰め込む。三時頃渉外局の車が到着、慌ただしく空港へ。予定の飛行機に無事に搭乗し三月三日の午前十一時過ぎに成田空港。順調な乗換えで夕刻に一関に到着した。

 翌日は一関での主日聖体礼儀。感謝の念と共に「さっき」までいたロシアから日本の地で「同じ」祈りをしている不思議さに心が占められた。

 此度の十日間の神品研修で、勝手に感じ入った事を幾つか述べさせて頂く。修道士は、全くの自由という中にいるのだと目に映った。例えば一日一食の食事をきちんと摂るる人が殆どでも、僅かな量を口にして終る人。祈祷の開始時間のかなり前に聖堂に入って静かに目を閉じている人と祈祷に遅れる人。椅子に座り明らかに眠っていると思われる人。八時間以上の祈祷中、座らずに起立して祈祷する人。イコンに額を付けたまま連日何時間も痛悔の形をとっている人。恐らくは食事を取ろうが取るまいが、一日立ち続けようが座って眠ろうが、そういう人達に向けての尊敬や非難の顔付きは見つけられなかった。恐らくは各人が神に向っている正直な姿を互いに受入れているのではないかと思い巡らした。

 また、大斎初週の祈祷中、急に涙の出るような胸の熱くなる気持ちにおそわれた。それは手にしていた日本語の祈祷書へ自分が溶け出す様な感覚で、私の様な不敬虔で不遜な者でさえも、「翻訳された祈祷書」を手にロシアの聖堂に立つことで、日本もロシアもない深い所から喜びが湧いてきた事。このことを聖ニコライは思い浮べながら、きっとときめきながら、翻訳し死の直前まで続けていたのではないだろうか。今でもその事を思うと胸が熱くなる。二千年前のエルサレムからビザンティン、やがてロシア、そして日本へと時を過ぎ越しながら聖なる流れを注いだ使徒、伝道者、福音者、致命者、表信者に連なる我等の聖ニコライ。そしてニコライが育て、十字架を背負って伝道した日本の教役者等の姿に思いが馳せ、遥かシベリアの大地を横断する熱に私たちは包まれているのだ、との確信を得た事だった。

 また、私を担当してくれた修道士シメオンは自室に招いてくれたり子供のような笑みで秘密の時間を作ってくれた。そして真冬の、ロシア民話の世界に迷い込んだ様な風景、ガラス片の様な雪が月あかりの中をキラキラと舞い落ち大地を覆っていくのを見せてくれたり、最近の聖セルギイの奇跡を面白く話してくれた反面、悪魔の勢力もひどく心配していた。悪魔と仲良く暮らしている人は悪魔と判らずに、主に反する生活に溺れていく愚かで悲しい姿。初日、シメオンに言われた場所に立っていた時、或る主教様からエビタラヒルとポルーチを渡して頂き聖パンの記憶を勧められた。翌日から持参した日本教会の永眠教役者名簿を広げ、思い付く限り信徒の死者生者の名前を書いた紙を広げて記憶できたことに感謝し安堵を得られた。

 セラフィム主教座下より「ただ体験してくるだけでも良いから、行って来なさい」という御配慮された優しい言葉をそのままに、怠慢な準備で反省は免れない。座下の深慮された聖セルギイ修道院での研修は私にとっては感動的で、豊かな実りを予感させる出来事となつた。

 此度の神品研修の機会を作り出されたセラフィム主教座下に感謝し、研修の継続を望みながら報告と感想にさせて湧きます。  

〃教会〃ってどういうところ?

『教会は、人間が神様と一致し〃神化〃してゆくところです』

(正教ガイドシリーズ 平成12年4月)

これまでご案内して参りましたように、教会は、神の招き(啓示)に応(こた)える人びとが、〃救いの恩寵〃に与かってハリストスと体合(本性的に結合)し、神様との一致を深めてゆく、つまり〃神化してゆく〃ところであります。もちろん教会は、神の啓示を正しく守り、すべての人びとにそれを伝え、信じる人を救いの恩寵に与からせ、〃地の塩、世の光〃として社会に貢献する等、さまざまな務めを持っておりますが、それらすべての務めは、ただ一つ〃すべての人がハリストスに在って一体となり神化してゆくため〃であって、それ以外の目的などと言うものは、なにも無いのです。

〃人間が神化する(神になる)〃と申しますと、いかにも人間が人間でなくなるかのように思われるかも知れませんが、決してそうではなく、聖書に『神はご自分にかたどって人を創造された』(創世記1の27)とあるように、もともと人間は〃神になるように召されている被造物〃(聖大ワシリイの言葉)でありますから、人間が神様と一致することーつまり神化は、〃人間が真に人間になる〃(教文館刊「東方キリスト教思想におけるキリスト」305頁)こと以外のなにものでもないのです。

すべての人びとの〃父〃であられる唯一の真の神(コリンフ前書8の6他)は、すべての人びとが救われて真理を知るように望んでおられ(テモヘイ前書2の4)、事実、すべての人びとを救ってくださるために、〃神子〃ご自身が、みずから地上に降(くだ)って籍身(せきしん)なさり、人間の神化を妨げている、すべての障害を取り除いてくださいました。そればかりではなく、人がそのお方―つまり神子・救世主イイスス.ハリストスを信じることはもとより(イオアン福音6の44)、信じて救いを求める人が、実際に救いに与かることも(同上3の5)、救いに与かって神化への道をたどることも(同上15の4・5)すべて〃救いの恩寵〃(神に離反している人びとを招いて、その罪を潔め、壊敗(かいはい)している本性を更新して神様との交わりが可能な状態にし、神化に必要な全てを施してくださる、慈愛に満ちた神の能力)によらなければなりませんが、神様は、それもすべて、全くなんの代償も求めず、無報酬で与えてくださっておられるのです(テモヘイ後書1の9)。

もっとも、神の恩寵は決して機械的強制的に人に作用するものではなく、あくまでも、その人自身の〃自由意志による人格的な応答〃(つまり自分力ら進んで積極的に恩寵を受け入れそれに従うこと黙示録3の2参照)力あって初めて作用するのである、ことを忘れてはなりません。これまでしばしば「救いの恩寵に与かる」という言葉を使って参りましたが、〃与かる〃というのは、そういう意味であります。

(正教ガイドシリーズ 平成12年5月)
〃教会〃ってどういうところ?

『教会は、自分の意志で神様のご恩寵に与(あず)かり、〃人間本来の在り方〃
を実現してゆくところです』


すでにご案内いたしましたように、もともと私たち人間は、造物主である真の神との〃人格的な交わり〃を通して、〃神化〃(神様と一致すること)してゆくことができるように、〃神の像と肖とによって造られ〃ていたのでした。ところが元祖アダムの陥罪(神の御旨(みこころ)に背いて、その〃本来在るべき在り方〃を破壊してしまったこと)以来、人類は皆、その堕落した状態に覆われ、みずからも神に離反しつづけて、ますます罪悪の深みに堕ち入っております。その堕落した状態から救い出し、罪によって壊敗(かいはい)した本性を新たにして、人間本来の在り方を回復し、〃神化の道〃を開いたのが、神子(かみこ)イイスス・ハリストスによる救いの恩寵でした。

教会は、そのことを世界中に伝え、その福音(よろこばしいしらせ)を信じる人びとが、神様の招きに応えて救いの恩寵に与かり、神化して行く〃場〃として、ハリストスによって創立されたものであり、この教会以外に、救いの恩寵に与かれるところは、どこにもございません。したがって、福音を聞き、神の導きに従ってハリストスに心を寄せるーつまり〃信じる〃ということは、とりもなおさず〃実際に教会において救いの恩寵に与(あず)かり、神化をめざす〃ことを意味しており、それは〃愛による人格的な交わり〃において実現してゆくのです。

つまり、救いのご恩寵は、すべて神様の限りない愛による、〃御旨のままなる恵みの働き〃でありますから、それに与かることを望む者も、自分の意志で、信頼と愛をもって、すなおにそのご恩寵に自分を委ね、それが実現するよう、みずからも努めるということなのです。たとえば、〃福音を信じる〃ということも、ハリストスが『わたしをお遣(つか)わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない』(イオアン福音6の44)とおっしゃっておられるように、正しい信仰は、すべてご恩寵によらなければなりません(ロマ書12の3)が、さりとて、ただ漫然と恩寵を待っていても、恩寵は決して作用しないでしょう。大切なことは、神様の愛の働きかけ(恩寵)に積極的に応えることーつまり自分の考えに固執しないで、謙虚に神様の照らしと教会の教えを受け入れ、それを堅く信じることであります。(以下次号)

(正教ガイドシリーズ 平成12年8月)
〃教会〃ってどういうところ?

『教会は、神様の御恩寵に与かって人間本来の在り方を実現してゆくところです』


〃人間本来の在り方〃と申しますのは、これまで既にご案内致しましたように、〃神にかたどって造られている人間〃としての在り方のことで、端的に申しますと「私たち人間が神様の御恩寵(神的生命)に与かって〃全面的に神に似た者となる〃(神学者・聖グリゴリイ)」ことを意味しております。しかもそれは決して〃人間を超えた者〃になるということではなく、かえってそれによって〃真に人間となる〃(J・メイェンドルフ「東方キリスト教思想におけるキリスト」305頁)のであって、たとえば人はだれでも善を喜び悪を嫌っておりますが、実際には自分が望む善は行なわず、望まない悪を行なっているのが実情です。 こうした状態から解放されて、望み通りに善に生き、善に上達してゆく人間本来の姿を回復するということなのです。

では〃真に人間となる〃ために、なぜ神様の御恩寵が必要なのでしょうか。ニュッサの主教・聖クリゴリイは、その雅歌講話の中で次のように教えております。「人間は、善のあらゆる実(みの)りから遠ざかって、不従順(神に逆らうこと)によって滅びをもたらす実(み)で一杯になった。(この実の名前が〃死をもたらす罪〃である)こうして人間は、より優れた生(せい)には死んで、その神的な生命を非理性的で獣のような生命と交換したのであった。人間は真の生命に死んだことで、(私たちが受け継いでいる)この死すべき生に陥ったように、逆に、この死すべき獣のような生命に死んだときに、永遠の生命の状態に移し置かれる。実に、罪に死んだ者になっていなければ至福の生命に入ることはできない。…善に死んだ者は悪のために生きるし、悪徳に死んでしまった者は徳に向かって再生する。」(大森正樹他訳・新世社刊。352頁)

人間が〃真の生命〃を失って、死の力に支配されている、はかない〃この世の生命〃に生きていることと、その状態からの救いについては、すでにこれまでお話ししておりますが、聖グリゴリイが教えている〃この死すべき獣のような生命に死んだときに云々〃というのは、いわゆる〃洗礼による再生〃(ロマ書6の4~13)のことであり、それはすべて神様の御恩寵によることなのです。聖書に『善を行なう者はいない。一人もいない』(詩篇14の3、ロマ書3の12)とあるように、この世の生命によって生きているかぎり、人はだれも善に生きることはできません。聖グリゴリイが言っているように、私たち人間はすでに〃善に生きる真の命を失っている〃のです。したがって〃真の人間〃つまり〃善に生きる者〃となるためには、万善の宝蔵なる者、生命を賜うの主(正教会祝文)であられる真の神によらなければならないのです。

主イイスス・ハリストスはおっしゃっておられます。『ぶどうの枝が木に繋(つな)がっていなければ実を結ぶことができないように、あなたがたも私に繋がっていなければ実を結ぶことはできない。…私から離れては、あなたがたは何もできないからである…云々』(イオアン福音15の4・5)と。〃私から離れては、あなた方は何もできない〃というのは、前に申しました〃神に力たどって造られた人間としての在り方〃のことで、端的に申しますと〃善に生きること〃を指します。また〃ハリストスに繋がっている〃というのは、ハリストスが『私は天から降(くだ)って来た生きたパンである。…私の肉を食べ、私の血を飲む者は私の内におり、私もその人の内にいる。生きておられる父が私をお遣わしになり、私が父によって生きているように、私を食べる者も私によって生きる』(イオアン福音6の51・56・57)とおっしゃっておられるように、具体的には、ハリストスがパンとブドウ酒の形で与えてくださる、彼の尊体(そんたい)・尊血(そんけつ)―つまり御聖体(マトフェイ福音26の26~28)を領食する(いただく)ことによる、ハリストスとの体合(一体となること)を指しており、それはまた、ハリストスが『父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。…私が彼らの内におり、あなたが私の内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです』(イオアン福音17の21・23)と、神父(かみちち)に祈られたことの実現を目指すものであります。

こうして人びとがハリストスと体合し、ハリストスによって皆一体となり(本性的に統一されて)神の光栄に与かり(あらゆる善に満たされた者となり)、神を賛美することこそ、人間本来の在るべき姿であり、人類創造の目的の成就に他なりません。(修院長ミハイル著・小野ペトル訳「イオアン福音書注解」下358頁)。しかもそれはすべて、人が〃水と聖神とによる洗礼〃を受けて、この世に属する者から、神の国に属する者に生まれ変わることから出発し(イオアン福音3の5)、神聖神(かみせいしん)の導きに従って(ガラテヤ書5の16~25)、信仰と(同書3の26~28)愛とによって(イオアン第一書3の23~24他)、新しい生き方(エフェス書4の23~5の5)を保ち続けて行くことによってのみ近付いて行けるのです。

赦罪の晩課

ステファン内田圭一

(東京復活大聖堂教会の「ニコライ堂だより」から転載させていただきます。大斎の開始を告げる「赦罪の晩課」のレポート。

ステファンさんは、ニコライ堂で堂役奉仕をされる熱心な青年信徒)

 大斎に入った二月二十五日、午後五時から大聖堂にて赦罪の晩課が行われました。
祈祷中、聖堂内の全ての覆いは黒いものに替えられ、神品の祭服も黒いものに替えられました。聖エフレムの祝文が伏拝とともに祈られ、ダニイル府主教座下から「大斎は私たち人間がエデンの楽園から陥ちたことを記憶するものである。そして私たちは陥ちた楽園、神の国に還ることを忘れてはならない」との説教がありました。最後に、お互いにひれ伏して罪の赦しを請い、お互いに赦しあう「赦罪の祈祷」が府主教座下はじめ参祷者全員によって行われました。目の前の一人ひとりの兄姉に赦しを願い、赦し赦される時の涙、この涙こそ私たちの信仰を原点に再び立ち返らせるものだと感じました。私たちは共にあるのだということ、共に復活の命に与るために歩んでいるのだということに感謝いたします。そして萬有の王、主が私たちと共にあり、兄弟姉妹を守ってくださることに感謝いたします。

 乾酪の主日聖体礼儀終了後、多くの方の御奉仕により聖堂内のイコンの覆いは普段の金から黒いものに替えられ、赤いランパートは青いものに替えられました。照明が消された大聖堂は四十日の長い旅、私たちが復活祭へ向かうための節制と痛悔の旅を守るに相応しい船となったように思います。守られているということ。私たちが斎する時に忘れてはならないことだと思います。食を節制し、娯楽を控えること。それらは規則だというように考えれば大変に辛いことです。その辛さゆえに、斎を守ることができればそれを誇らしく思う。守ることができなければ罪を犯したように思う。あるいは開き直って、斎など信仰には必ずしも必要ではないものだ、と思うようになるかもしれません。しかし、神が人となったのは私たち人間への途方もない愛からであるといいます。それは規則のようなものではなかったし、必要なものですらなかったでしょう。

 「斎は規則ではありません」と神父様たちは繰り返し仰います。「斎は私たちを守る知恵、神からの愛の贈り物である」と。
また、正教の詩人であった鷲巣繁男氏は『聖なるものとその變容』で述べています。「《聖なるもの》の「形態」である教会に入った時、われわれはサイクルの中へ入ったのであって、そのサイクルの中に生きる者こそ信仰者だといふこと(中略)信者は単なる立会人ではない。それは見物者でもない。いささか極論すれば、信者は神の子と共に死し神の子と共によみがへるのである。主イイスス、神の子と共に私たちは荒野に旅をします。福音書によれば主はお一人で斎されたとあります。四人の福音記者は一緒にいたわけではありません。それは主が彼らに語ったから記されているのだということになります。なぜ主はそれをお弟子たちに、お弟子たちを通して私たちに語ったのでしょうか?それは私たちの旅、楽園から陥ちたこの世から再び楽園に向かう旅、復活に向かう大斎の旅に必ず主神は同伴しているよ、ということを示されたのに違いありません。

「教会」ってどういうところ?

『教会は回心者の集いです』

 

石巻教会教会報から ワシリイ田口三千男 神父 ご執筆

(回心者というのは、神に逆らう生き方から、神の御旨に従う生き方に立ち返る人とのことです)
これまで御紹介致しました聖師父たちの教えを要約しますと、”真の人間”となるただ一つの道は、「イイスス・ハリストスと一体となり、神聖神(聖霊)の臨在(神聖神が自分の中に宿ること)、を受け(ロマ警8の9、コリンフ前書3の16等)、その恩寵(恵の働き)にまって生きる(ヘブル書13の21)ことである」と申せましょう。

 それはつまり”人間と神との一致の交わり”ということであって、この交わりを通して、私たち人間は神のすべての善に与かり、”神に似た者”神の光栄に満たされた至福者)となってゆくのであり、もともと人間は、本性的にそういうものとして造られている(創世記1の26)ことから、この在り方こそ「真の人間」-つまり、人間本来のあるべき姿である、ということなのです。

 そして、この「人間と神との一致の交わり」は、先ず神の招きに応える人が、「洗礼機密」を受けることによってハリストスに接合され、洗礼に併せて行なわれる「傅膏機密」(特別の油を付ける祈り)によって、神聖神の臨在を受けることによって実現し、その後、ハリストスの御聖体を頂き続けることによって、一致の交わりが深められ、”神化”という霊的・精神的成長を続けてゆくことになります。

 しかし、前にも申しましたように、この交わりはあくまでも「人格的な交わり」であって、決して機械的・強制的になされるものではありませんから、特に私たち人間(神の方には、いささかの心変わりも、手抜きなど全く無い)その人その人の在り方によって、当然のことながら、交わりの程度に大きな違いが生じることになります。
 
 主イイスス.ハリストスが、『人はだれも二人の主人に兼ね仕えることはできない』と教えておられるように、私たちは、福音によって神の招きを知ったとき、その神を信じてその招きに応え、目分自身を神に委ねる交わりに入るか、それとも、あくまでも「この世」を自分のよりどころとし、この世にすべてを委ねて生きるか、二つに一つの選択を迫られたのでした。

 いうまでもなく、洗礼を受けて信者になっている人は、神をよりどころとして生きる道を選んでいるわけですが、それでも心が「この世」に囚われなくなって、真の自由を獲得するまでは、少しでも注意を怠ると、すぐに心が「この世」に傾いて、神との一致が絶たれてしまいます。

 もしそのままの状態を続けているとするなら、それは自分の意志で神に逆らっていることを意味しており、その罪は一層重いものとなります。ですから、少しでも信仰に目覚めている人であれぱ、この世に執着している自分を悔い、ただちに神のもとに立ち返ってその罪の赦しを願い(痛悔し)、再び神との一致の交わりに努めることでしょう。

 ということから、教会は先ずこうした人びとの集いであります。